八王子城

 所 在 地   東京都八王子市元八王子町  別 名   
 遺 構   石垣、曲輪、土塁  形 式   山城
 築 城 者   北条氏照  築 城 年   天正12〜15年(1584〜1587)
 歴 史  八王子城は、北条氏照によって築城された後北条氏の支城の一つであり、支城のなかでは最も規模が大きい。北条氏照は滝山城を居城としていたが、永禄12年(1569)に武田信玄に攻められ、落城寸前にまで至ったことから、滝山城の南西約10kmの深沢山に築城を開始した。築城の時期ははっきりしないが、天正12〜15年(1584〜1587)頃に移転したと考えられている。
天正18年(1590)6月23日、豊臣秀吉の小田原北条攻めの際に、八王子城は、前田利家や上杉景勝らの軍に攻められ、一日で落城している。城主の北条氏照は手兵を率いて小田原城に詰めていて不在であり、また城は未完成であったといわれる。
歴 代 城 主 北条氏照


             古道
城山川が堀として利用されており、城山川に沿って御主殿へ続く古道が設けられている。
           曳橋
古道から御主殿に渡るために城山川に架けられた曳橋が復元されている。


           御主殿の虎口
主殿への入り口の石垣と階段。階段の通路は上ほどわずかに広がっており、先細に見えないようなっている。安土城を模様した工夫とか。
           御主殿の跡
礎石が多数出土しており、大規模な建物があった。またベネチア産のレースガラスなどが発掘されている。


          殿の道の石垣
御主殿の裏から山上への道「殿の道」に残る石垣。この道は立入制限されているが、ガイドの方の特別な配慮で案内してもらった。
           中の曲輪
八王子神社が鎮座している。八王子城の名の由来であり、八王子市の名の由来でもある。案内していただいた、地元のガイドさん。


松木曲輪
二の丸ともいわれる
            山頂曲輪
山頂に位置し、本丸と呼ばれているが、小さな規模である。


小宮曲輪
三の丸ともいわれる
大手登城路の側面下に残る石垣


八王子城の城域は広大であり、154haの範囲が史跡に指定されている。城は、山上の要害地区と、麓の居館地区からなる。要害地区は、山頂曲輪、中の曲輪、小宮曲輪、松木曲輪などからなり、これらの曲輪は馬回り道で複雑につながっている。居館地区には城主の居館である御主殿があった。
城跡の入り口に管理棟があり、地元のボランティアのガイドが詰めている。親切に案内してくれるので、利用をお勧めする。現在、居館地区の御主殿は復元整備されている。管理棟から御主殿までは歩いて10分。山上の要害地区へは、管理棟から山道を歩いて40分。


<アクセス>
国道20号線(甲州街道)のJR高尾の駅前を北へ折れ、城山大橋の信号を左へ進む。次に、八王子城跡入口の信号を左折し、道なりに2kmほど進むと、八王子城見学者用の駐車場と、管理棟がある。(2009.07.03)

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