滝山城

 所 在 地   東京都八王子市高月町  別 名   
 遺 構   曲輪、土塁、堀  形 式   山城(標高160m)
 築 城 者   大石定重  築 城 年   大永元年(1521)
 歴 史  滝山城は、山内上杉氏の重臣で、武蔵守護代の大石定重が大永元年(1521)が築城したのに始まるとされる。
天文15年(1546)の川越城の戦い(川越夜戦)で、北条氏康は扇谷上杉氏を滅ぼし、武蔵を手中に入れる。その際に滝山城も北条氏の支配に入り、定重の子、大石定石のとき、氏康の子の北条氏照を養子に迎えた。
北条氏照の代になって大幅に改修され、今日確認される遺構の規模に拡大された。滝山城は、上杉謙信や武田信玄などから何度も攻撃された城であるが、永禄12年(1569)の武田信玄の攻城は熾烈を極め、二の丸まで攻め込まれて、落城寸前にまで至った。
このため、北条氏照は、戦略上の利点から、滝山城の南西約10kmの地に八王子城を築き、天正12〜15年(1584〜1587)ごろに居城を移した。
歴 代 城 主 大石氏2代、北条氏照


本丸(左)と中の丸(右)の間の巨大な堀切に架けられた引橋


滝山城は、多摩川沿いの加住丘陵の一角に築城されており、その北側は多摩川に面する比高50〜80mの断崖になっている。この断崖を背にするように、最高所に本丸を置き、その東に中の丸、その南に二の丸、その西に千畳敷、その南西に三の丸、その西に小宮曲輪を配する。二の丸の南には巨大な馬出が設けられ、各曲輪は堀で画して巧に連結されている。
規模の大きさ、縄張りの巧みさ、良好な保存状態から、戦国時代山城の代表的なものとされる。城跡は現在、滝山公園として整備されている。


本丸の虎口の枡形 本丸 二段になっている


中の丸 中の丸と二の丸の間の空堀


二の丸 二の丸と千畳敷の間の空堀と土橋


千畳敷 三の丸の外側の堀跡


現地案内板
の曲輪配置図

<アクセス>
国道411号線(滝山街道)の、舟木町3丁目の交差点から八王子IC側へ100mほど行くと、左側に滝山公園へ入る狭い道がある。付近に駐車場はない。(2009.07.03)

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