玄蕃尾城

 所 在 地   福井県敦賀市刀根
 滋賀県長浜市余呉町柳ケ崎
 別 名   内中尾山城
 遺 構   土塁、空堀、堀切、櫓台、馬出  形 式   山城(標高468m、比高210m)
 築 城 者   柴田勝家  築 城 年   天正11年(1583)
 歴 史  玄蕃尾(げんばお)城は、羽柴秀吉との対決が迫るなか、柴田勝家の本拠の北ノ庄城と、長浜城とを繋ぐ城として、越前と近江の国境に築かれたといわれる。
玄蕃尾城の名の由来は、柴田勝家の重臣・佐久間玄蕃充盛政に因むといわれるが、定かではない。
天正11年(1583)の、羽柴秀吉と柴田勝家が争った賤ケ嶽合戦において、柴田勝家は当初、玄蕃尾城に本陣を置く。柴田勝家が合戦に敗れて北之庄城で滅亡するとともに、玄蕃尾城も廃絶された。
歴 代 城 主 柴田勝家


大手郭 10m×50mほどの南北に細長い曲輪 大手郭の東側の土塁と切岸


主郭(本丸) 50m×50m程の、正方形に近い曲輪であり、最高部にある。 主郭の北東隅部に設けられた、10m×10mほどの櫓台。天守台とされているが、天守があげられていたとは考え難い。


主郭の北側の馬出の空堀 搦手虎口郭の西側の土塁と空堀


玄蕃尾城は、築城者と築城年がはっきりしており、しかも使用期間は一年未満である。このため、中世城郭から近世城郭への過渡期の城郭編年の標識遺跡として重要であるとされており、国指定史跡となっている。
南から北へと、大手虎口郭、大手郭、主郭(本丸)、搦め手虎口郭が、虎口で接続されて連なっており、また主郭の南側と北側の虎口にはそれぞれ馬出が設けられている。土塁造りながら、織田系城郭の最高峰の一つといえる。
林道で奥へ入り、終点の駐車場から、山道を15分程度で城域に至ることができる。深い山の中にあるにもかかわらず、定期的な管理で下草は総て除去されており、土塁、空堀、堀切を明瞭に観察することができる。明るい雰囲気の非常に気持ちの良い遺構に整備されている。


現地案内板


城域は、南北300m、東西100m。

主郭を中心に南北に連郭式に曲輪を配置する。各曲輪は虎口で接続されているが、曲輪間に空堀や土塁を設けて、直進できないようになっている。

主郭の南と北にはそれぞれ馬出が設けられている。


<アクセス>
滋賀県と福井県の県境を北陸自動車道と平行に横切る県道140号線の、柳ケ瀬トンネルの福井県側の出口のすぐ傍に、北側へ入る脇道(林道)がある。この林道を終点まで走ると、駐車場となっている広場に至る。この広場から城跡へ入る山道が始まる。(2008.05.02)

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