尼崎城

 所 在 地   兵庫県尼崎市北城内  別 名   琴浦城
 遺 構   模擬石垣・模擬塀  形 式   平城
 築 城 者   和田惟政  築 城 年   永禄12年(1569)
 歴  史  元和元年(1615)に、織田・豊臣時代に尼崎郡代を勤めた建部寿徳の孫の建部政長が、大坂夏の陣の功により、1万石に加増されて、尼崎藩を立藩した。
元和3年(1617)、戸田氏鉄が、近江膳所より入封する。城郭強化のために本格的な築造が行なわれる。
寛永12年(1635)、青山幸成が、遠江掛川より入封する。
正徳元年(1711)、松平(桜井)忠喬が、遠江掛川より入封する。以後、松平(桜井)氏が明治維新まで在封する。
弘化3年(1848)に本丸御殿が焼失したが、翌年、再建された。
歴 代 城 主 建部氏(1万石)・戸田氏(5万石)・青山氏2代(5万石)・松平(桜井)氏7代(4万石)


明治になって石垣は尼崎港の防波堤に転用され、また開発によって、城郭の痕跡は殆どない。

城内小学校のグランド沿いに、石碑が建てられているばかり。


尼崎には、戦国時代初期に、細川氏によって城が築かれていたが、戸田氏鉄が入封したときに、幕府の命令で元和4年から数年かけて、尼崎強化のために本格的な築城工事が行なわれた。
細川氏の尼崎城を本丸に取り込み、二の丸、松の丸、東西の三の丸が渦巻状に配置された縄張りで築城され、本丸には四重の天守がそびえていた。海から見ると、城全体が海の上に浮かんでいるように見えたという。


近くに城址公園があり、模擬の石垣と塀が造られている。

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