赤穂城
所 在 地 | 兵庫県赤穂市加里屋 | 別 名 | 加里屋城 赤蓼城 |
遺 構 | 石垣、堀、櫓(再建)、門(再建) | 形 式 | 平山城 |
築 城 者 | 浅野長直 | 築 城 年 | 正保2年(1645) |
歴 史 | 天正15年(1587)、 岡山城の宇喜多秀家が、赤穂に支城を構築する。 慶長5年(1600)、池田輝政は、播磨一国を領有して姫路城に入り、末弟の池田長政を赤穂に配置する。慶長8年(1603)、池田長政は、備前市下津井に移り、赤穂に郡代を置く。 慶長20年(1615)、池田輝政の5男の政綱に3.5万石が与えられ、赤穂藩が成立する。寛永8年(1631)、池田輝政の6男の輝興が、入封する。 正保2年(1645)、池田輝興は、乱心により改易され、常陸笠間から浅野長直が入封する。 |
慶安元年(1648)、浅野長直が、支城の位置に築城を開始する。寛文元年(1661)に赤穂城が完成する。 元禄14年(1701)、浅野長矩が、江戸城内で刃傷に及び。改易になる。 元禄15年(1702)、永井直敬が、下野烏山より、入封する。 永保3年(1706)、森長直が、備中西江原より、入封する。以後、森氏が明治維新まで在封する。 |
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歴 代 城 主 | 生駒氏(6万石)、宇喜多氏、池田氏2代(3.5万石)、浅野氏3代(5.3万石)、永井氏1代(3.3万石)、森氏(2万石) |
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現存する遺構は石垣と堀だけであるが、古写真をもとに、門、櫓、土塀等が外観復元されている。 天守台 五層の天守の模型まで作られたが、天守があがることはなかった。 |
赤穂城の築城工事は、山鹿素行も加わって、13年間を要して行なわれた。大砲戦を考慮した稜堡式築城が取り入れられ、また瀬戸内海と河川に囲まれた海城となっている。 現存する遺構は石垣と堀だけであるが、古写真をもとに、門、櫓、土塀等が外観復元されている。 |
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大手門(左)と隅櫓(右) | 本丸門 手前の高麗門と、奥の櫓門とで枡形を形成している。 |
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本丸門の櫓門 | 本丸 本丸御殿の跡地 | |
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本丸 厩口門 | 水の手門 |