Review No.V-012

HERTZ 20
First Stage
1984-1991

東海ラジオ
SF-0001(東海ラジオ放送)

First Stage このCDは、『mamiのRADIかるコミュニケーション』の放送開始20周年を記念し、過去の放送をダイジェスト版として収録したものです。
「First Stage」には2004年10月で丸20年を迎えた大切な「ラジコミの歴史」のうち、記念すべき第1回放送の1984年から1991年までを収録しています。
Second Stage
Final Stage
Memorial Stage

ラジコミとマミ姉の原点がここに!

 しっかしホントに変わっていませんねー。何がって、そりゃ 「声」 がですよ。今も昔もほとんど変わっていない。 気持ち早口でたどたどしいけれど、今も結構たどたどしいので・・・やっぱり変わってませんね。
  「変わってない」 を連発していますが、それは「進歩がない」と同義である場合と、同義でない場合があります。前者は悪い意味を込めているのに対し、後者は良い意味を込めて使われます。では、 ラジコミ (=小森まなみ) の場合はというと、これはもう 「変わらなくて良かった」 と言うべきでしょう。 変わることも大切ですが、変わらないことも大切なんですね。
 変わらないマミ姉とは言っても、 一つだけ大きく変わったところがあります 。それは、本コーナーのタイトルにもなっている 「こころのお医者さん」 になったということ。きっと 何か大きなきっかけになった事件 があったに違いないと常々思っていました。

 それが番組中でときおり耳にした 「O先輩事件」 だったのです。 ホント、 ショッキング でした。
思いっきり簡単に言ってしまうと、 「自殺したO先輩の遺品の中に、マミ姉の番組と曲が録音されているカセットテープがあった」 という事件なのですが、トークジョッキーを目指していたマミ姉にとって、これほど 衝撃的な事件 はありませんでした。なぜって、いつもラジオを聴いてくれていたリスナーの力になれなかったのですから。

「O先輩事件」 の放送はこちら (クリックで展開/省略)

  無力感に包まれてマミ姉はどう感じ、どう立ち直ったのでしょうか?その後の顛末については、比較的新しいリスナーである私には知るすべもありません。しかし、マミ姉が 「O先輩事件」 のお便りを紹介した後、 涙声で、たぶん番組の収録中であることさえも忘れていたと推測されるような涙声で 「ラジオじゃ無理なのかなぁ」 と言ったその言葉に、自分の無力さを悔やむ気持ちと、 「こころのお医者さん」 を目指す決意がにじみ出ていたように思います。
  この事件がなければ、今のマミ姉はなかった かもしれませんね。

(2004/02/29)

Second Stage へ・・・

「小森医院」メニューへ
トップページへ