「ふるさとMail」 から
月二回、館に「ふるさとMail]が送られてくる。福井市と福井新聞が共同で運営している県外に住む福井に関心のある人へのサービスである。
第24号から我が館はこのサービスを享受しているのだが中には面白い便りもある。福井のPRになりそうな、隠居が興味を持った話題を紹介する。
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パラリンピク 今年のパラリンピックでの日本人のの活躍はオリンピック同様素晴らしく、
われわれに多くの感動を与えてくれた。金メダリストの高田稔浩さん(39歳、陸上男子五千メートル、四百メートル、マラソンで金、
千五百メートルで銅を獲得)に三人目の福井県栄誉賞と、第一号の福井市民栄誉賞を贈られました。更に、
10月27日に賜杯と厚生労働大臣表彰を受けました。高田さんは福井市社会福祉課職員で同市花堂に在住されておられる方です。
北京大会での活躍を期待したいものです。(ふるさとMail 39号-11/1日発信-より)
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平成独楽吟 幕末の歌人・橘曙覧(1812-1868)は福井の人である。
昨年春、橘曙覧記念文学館がオープンし、その直後に同館を見学した。館内には「楽しみは
朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」と詠んだ曙覧の歌の、
赤字部分を生かした喜びを詠んだ多くの歌が展示されている。展示されているのは「平成独楽吟」の入選作で今年は10回目になるようです。
インターネットでの応募も可能でまだ間に合います。応募してみませんか!。
応募締め切り後選考委員が選んだ最終作品10首への投票も出来ます。詳しくは次のURLをご覧ください。
http://www.city.fukui.fukui.jp/rekisi/dokuraku/
(ふるさとMail45号-2/1日発信-より)
福井の言葉 あれこれ
◎隠居の独楽吟
楽しみは 方言辞典のコピー時に 新たに加える 田舎の言葉 明石の隠居
福井方言辞典(松本善雄 著)のデータベース化に取り組んでいる。一ヶ月以上かけて(ア行)の入力を終えた。途中、明らかに誤植と思われるものがあり、その都度修正し色をかえてある。
一万一千語にも及ぶ福井の方言を収めた辞典だから、まず包含されていない言葉は無いと思っていたが、中にはもれているのがある。また、違った意味で自分の育った土地では使われている言葉があるのだ。これらも追加すべしと、色を変えて追加しながら作業を続けている。さらに、パソコンならではの編集も可能のように思えてきている。最終的にはどんな形になるのか楽しみである。
そんなこんなで、変哲も無い単純な入力作業と思って始めたデータベース化だが、意外な楽しみを発見し今日もキーボードを叩いている。(ア行の入力-882K-を終えて
平成17年6月17日)
◎福 井 弁
←クリックしてみてんでー 一覧表がでてくるさけに
言語は変化するのが自然の様だ。40年近く前に米国のロスアンゼルスに滞在した時、現地の日本語新聞「羅府新報」に接した事がある。
そこに使われている言葉・字体は戦前のままらしく、戦後教育を受けた隠居にはとても奇異に感じられた。
故郷福井を離れて40数年にもなるとそれに近い感じを持つ。「福井弁」でWEB検索すると幾つかのサイトに出くわすが隠居の使った「福井弁」
が出て来ないのだ。どうも「死語」になった方言が存在するらしい。貴重な福井弁が廃語とならない様、子供の頃への記憶をたどり思いつくままに
書き綴ってみる。イントネーションがあってはじめて福井弁になるのだが、そこまではHTMLで記録できないのが残念なり。 ところが平成17年4月に福井に行った時、左のような本に出合った。何と1万1千語にも及ぶ福井の方言を収録した辞典が発刊されているのだ。 平成6年の刊行と比較的新しい辞典である。40数年に亘る研究成果をまとめて自費出版された本のようで、中身は素晴らしい。とてもこの辞典を凌駕することは出来そうに無いので、オリジナルの一覧表の作成は諦める事とする。(平成17年4月26日)
◎数 え 歌
幼い頃、10歳ほど年上の従兄弟がよく聞かせてくれた数え歌である。メロディーは付いていなかったが、今風に言えば「ラップ調」にリズミカルに唄い、聞いているものを笑わせたものだ。その従兄弟も既にあの世の人となってしまった。記憶の彼方となった空白を埋めるのは困難かも知れないが機会あるごとに調べてみたい。
◎ 地突き唄
昭和23年6月28日午後5時14分、M7.1の大地震が福井を襲った。死者3,769人、家屋倒壊3万6,184戸、半壊1万1,816戸、
焼失3,851戸と云う大被害を残し、気象庁の震度階に7「激震」が新たに追加された事でも有名な地震である。
我が家は藁葺きであった為屋根が軽く半壊ですんだ。しかし殆どの家が全壊で、地震発生のあと数年のうちに新築されていった。
今とは違い、家の新築には近所の人達の絶大なる助が当たり前におこなわれていた。地震がおきた時は9歳でしたが、ご近所が家を新築する頃には手伝いを色々とやったものです。その一つに、「地突」がありました。柱を支える「ジブク石」・・(基礎の石)・・を置く地面に、「砕石」・「砂利」を埋め込み基礎を作るのが当時の工法でした。
「タコ」と呼ばれる重い木の塊を上下させ突き固めるのですが、3本の棒で支柱を組み滑車で「タコ」を引っ張り上げ瞬間に放し落下させる方法がとられていました。
この作業は15ー6人の人がかかわり、タイミングを合わせるのがとても重要でした。
そのために「地突き唄」を唄いながら作業したのです。
唄は名人により歌われ、合いの手を全員で区切り区切りに入れながら進行し、最後に「あれわいせーのこおーりゃなんでもせー」と全員で締めくくり一つの唄がおわります。合いの手・歌詞に対する記憶が残っていません。唄の名人と呼ばれた人達は随分前に他界してしまいました。懐かしい地震に関連した思い出です。(ちなみに、阪神大震災の時隠居は単身赴任中で、激震の揺れを2回経験する事にはなりませんでした。・・・残念なのか幸いなのか・・・)
◎ ニワカ
子供の頃、おめでたい席が自分の家、近所・親戚の家で何度も行われました。結婚式であったり、
米寿の祝いであったり様々でしたが、祝いの席で演じられる一人芝居・寸劇を「にわか」と呼んでいました。
司会進行役が「ちょいとでられましょー」と掛け声をかけると、「にわか」の演者が出てきて面白いしぐさ・会話で皆を笑わせるのです。
「にわか」にもその地区で名人が居たようです。演目も得意な物がいくつもあったようですし、即席で演じられる場合もあったようです。 (4/20/04)
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