顕本法華宗総本山妙満寺

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〒606-0015 京都市 左京区岩倉幡枝町91 

       075-791-7171

妙満寺を創建した日什大正師は、もと天台宗の人で、比叡山三千の学頭(現:大学学長)にまでなった玄妙能化であるが、日蓮聖人の教えに帰依して67歳という高齢にも拘わらず宗を改め、自解仏乗して名を日什と改め日蓮門下になられた。当時の門下各宗派は、それぞれ勝手な本尊をまつり、背き合い、聖人没後百年にして大理想実現には程遠い状態であった。御歳68歳にして都に上り、時の帝、後円融天皇より「二位僧都」の位と、「洛中弘法の綸旨」を賜り、康応元年(1389年)六条坊門室町(現:烏丸五条辺り)に「妙塔山妙満寺」を建立し、根本道場とした。その後、幾度かの兵火にあい、その都度洛中に寺域を移り興隆してきたが、天正11年(1583年)秀吉の時代に寺町二条に移され、400年の間「寺町二条の妙満寺」として親しまれていたが、日毎に増す喧噪と、環境悪化を避けるため、昭和43年衆議一決し「昭和の大遷堂」を挙行。現在の地に移り今日に至る。日什大正師の教えは、釈迦牟尼佛より日蓮聖人に受け継がけた、正しい教えをそのまま素直に受け継ぐことである。これを「経巻相承・直受法水」という。

        

  

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