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★ 第5日目7/13(火) 死海→ジェラッシュ→ボスラ→パルミラ ★


午前7時半、死海のホテルを出発、1時間半かけてまずアンマンの北にあるジェラッシュ遺跡を目指す。

ジェラッシュ遺跡は、ローマ時代の町の面影をほぼ完全な形で残している貴重な遺跡、2〜3世紀に最も栄えた。列柱道路を基盤に整備され凱旋門、フォーラム広場、アルテミス神殿、ゼウス神殿、競技場、ローマ劇場、浴場などが建てられた。

7世紀始めにはペルシャ人に攻め込まれ、8世紀には地震で多くの建物が崩壊し、町は廃墟となり土の中に長く埋もれていた。しかしその周辺には当時から6500年にもわたって人が住み続けており、現在も民家の地下深くに未発掘の遺跡が多く存在している。

これだけの大規模の立派な遺跡で、見ごたえがあると思っていたのにここは世界遺産になっていない。
ヨルダンにはこれ以上の遺跡があるということだろうか?


ハドリアヌス帝凱旋門


イオニア式列柱で囲まれたフォーラム(広場)


ゼウス神殿跡

アルテミス神殿跡

アルテミス神殿跡

アルテミス神殿の柱は押すと揺れる

アルテミス神殿はジェラッシュ遺跡群の中でひときわ目立つ大きな建物。
アルテミスはギリシャ神話に登場するオリンポス12神の一人の女神、アポロンと双子で“月の女神”“山と森の女神”といわれた。アルテミス神殿はあちこちに建てられているのか知らないが、世界七不思議に入っている紀元前に建てられた元祖トルコのエフェソスのアルテミス神殿が有名だが、現在は跡形もない廃墟になっていて、所在を示す柱が一本建っているだけだ。

ジェラッシュ遺跡のアルテミス神殿は建造されてから2000年近くもなるのに、何回も襲った地震にも耐えまだ11本のコリント式円柱が立っている。これは柱が免震構造になっていて地震の揺れを吸収するためといわれ、実際、柱の下にスプーンを入れ柱を押すとかすかにスプーンが揺れるのが判る。


列柱道路

列柱道路

ヨルダンのジェラッシュからバスで50分ほどでシリアとの国境地帯に到着した。
ヨルダン側では出国審査、シリア側では入国審査でいずれもバス乗客全員のパスポートを一括して添乗員が提示して承認をもらう、30分ほどでトラブルもなく無事シリアに入国。

シリア入国後、そのまま北に向かえば2時間足らずで首都ダマスカスに到着するが、しかし我々のツアーはシリア入国後北ではなく東に向けて走り出した。シリアにある世界遺産の一つであるボスラに向かうためで、ボスラへは約40分で到着。

ボスラはヨルダン、シリア、パレスチナにかけて勢力を築いたベドウィンの一族ナバテア人のナバテア王国の北の中心都市として繁栄した、南はペトラ。しかし全盛を極めたナバテア王国も紀元後106年にローマ帝国に征服されローマの属領となったが、ペルシャ湾と地中海を結ぶ貿易の中継基地として重要な位置を占めていたため、ローマ帝国も重視し大いに繁栄した。そのころにボスラにはローマ劇場を始め数多くの建造物が造られた。

ローマ帝国時代には中東各地に多くの円形劇場が造られたが、ボスラほど保存状態の良い完全に近い形で現存しているものはない。この劇場は紀元3世紀ごろ造られたが、7世紀にイスラム教徒の支配下となったあと、劇場の周囲は頑丈な外壁で囲まれ次第に要塞化されていった。
要塞化された劇場は十字軍の2回の攻撃にも耐えた後、砂の中に埋もれてしまい長い間忘れられた存在だった。
1940年代から発掘が始まり全体像が明らかになってきた。堅固な城塞を抜け階段を上ると突然視界が広がり巨大な劇場が現われる。近辺で取れる黒玄武岩で建てられているため全体的に黒ずんでいる。
幅が102m、席が37段もあり、11000人ほど収容できる大きな円形劇場だ。


ローマ帝国時代を完全な形で残す最大級のボスラのローマ劇場、現在も使用されている

ボスラ見学後、シリアの首都ダマスカスを経由してパルミラへ向かう。ボスラからダマスカス140Km、ダマスカスからパルミラは約240Km。シリアの地図を見れば全ての幹線道路は一度首都ダマスカスを経由して各都市に向かうようになっている。従って交通量の多い首都ダマスカスを経由してパルミラだから所要時間は不明だが約5時間と見とけば大丈夫だろう。

首都ダマスカスからパルミラは砂漠地帯を走るが、途中にトイレ休憩で道路沿いにポツンと1軒あるベドウィン人経営のお土産品店を兼ねているカフェに止まる。この店の名前が“バク゛ダッド・カフェ”、そうあのアメリカ映画“バク゛ダッド・カフェ”と同じ名前だ。映画の方は、舞台はアメリカ・ネバダ州のラスベガスに近いモハーベ砂漠、ハイウェイ沿いにポツンと一軒のカフェ兼モーテル兼ガソリンスタンドがあるという場所設定がどちらも同じ、どちらが先に“バク゛ダッド・カフェ”という名称を使ったのか不明だが、映画もシリアのもバク゛ダッドはイラクの首都なのに何故バグダッドという語を使っているのかチョット気になる。

この前の道路は砂漠の一直線、2.3分に1台の割合で車が走っているが、制限速度がないのか皆無茶苦茶速いスピードで爆走している。だいたい平均速度は150Kmぐらい、ベンツなんか200Kmぐらいのスピードでアッという間に走り去っていった。約30分の休憩後パルミラに向けてバスは走りだしたが、乗っていても怖くなるようなスピードで走っていることは実感できた。


砂漠の中のバクダッドカフェで小休止

カフェでチャイ(紅茶)を飲む

パルミラへは夕暮れ時に到着、ホテルへは直行せずそのままライトアップされたアラブ城砦へ、頂上には観光バスがUターン出来る場所はないとかで、細い急坂をバックのまま登っていったがその運転技術は見事だ。アラブ城砦は小高い岩山に17世紀に造られた城砦で頂上から見るパルミラ遺跡と砂漠に沈む夕陽が印象的だということだったが、到着が少し遅かったのか夕陽は沈み、風は吹き荒れ、ライトアップされたパルミラ遺跡がボンヤリ見えるだけだった。
だが空には星が輝き、三日月はクッキリ光り、その下にはパルミラ遺跡が広がりとなかなか絵になるような風景でここまで来た価値は充分にあると思った。この後ホテルへ。


ライトアップされたパルミラ遺跡の記念門、その奥には列柱道路が続く




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