ホームへ この旅行記トップへ 前頁へ 次頁へ 3/8

★ 第3日目7/11(日) ペトラ遺跡終日観光 1/2 ★


いよいよ今日が今回の旅行のハイライト、ペトラ遺跡の観光である
ペトラはローマ帝国のあった時代に、ヨルダン周辺で勢力を築いたベドウィンの一族ナバテア人のナバテア王国の首都として栄えたといわれる。そしてペトラ遺跡は映画好きの人なら別の意味で有名だ。そう、あのスティーヴン・スピルバーグ監督の「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」(1989年)のロケ地だったところでもある。ちなみに、「ペトラ」とは、ギリシア語で「岩」という意味。

さて、本日も快晴、雲ひとつない青空に喜ばなくてはならないのだが、ということは日中の気温が40度を超える灼熱の炎天下を歩き回ることになるので、体力のない私には不安だけが先立ってしまう。まあ馬やロバに出来るだけ乗って体力の消耗を防ごう。

午前8時、ホテル前にツアー客23名全員集合、皆日焼け止めクリームを塗り、帽子にサングラスと万全の対策でやる気満々だ。バスに7、8分乗ってチケット売場・メインゲート入口へ。既に多くの馬が待機している。ここからシーク(Siq)の入口までは800mほどだが早速乗馬だ。ベドウィンのおじさんに引かれてパカパカと力強く進む姿は確かに快適だ、シークの入口近くまで乗って料金はチップの3ドルだけ。

乗馬料金はいらないというよりも旅行会社を通してツアーに参加する場合はペトラでは原則として乗っても乗らなくても乗馬料金を支払う義務がある。これは国のベドウィンに対する保護政策とのことであるが、別の言い方をすればベドウィンへの一種の寄付金だと考えられる。したがって料金は既に支払っているのでチップの3ドルだけ払えばOKということになる。ただしこれはメインゲート入口からシークの入口までの片道の乗馬料金だけの話でそれ以外では料金は必要との添乗員の解説である。

シーク入口に行く砂利道の右側には、四角い岩がゴロンゴロンと並んでいる、これは古代ナバテア人が祭ったという埋葬用の記念碑といわれている。途中の山の岩肌には多くの穴が見られるが、墳墓であるとの説が有力のようだ。またオベリスク墳墓という墓やシーク入口の手前にはナバテア人が造った人工のダム跡もあったりしてペトラ遺跡探索の気分を盛り上げてくれる。


馬に揺られて、前方の四角形の岩は埋葬用の記念碑

馬に揺られて、途中にあるオベリスク墳墓

岩肌に彫られた墳墓

前方がシークの入口

シーク(siq)というのは岩山と岩山の間にできた細い道のこと。長年の水の浸食作用によって削られて出来たといわれる。幅は4m〜10m、頭上にせり出した岩の高さは60〜100m、道の長さは約1.2km。このシークの先にペトラ遺跡がある。この道を利用しなければペトラに出入出来ないので、いわば自然の要塞によって守られた難攻不落のペトラ王国だった。

この地で栄えたベドウィンの一族ナバテア人は紀元前4世紀頃からこの地に住み着き、紀元前1世紀から紀元後1世紀に全盛を極めた彼らのペトラ王国は、紀元後106年にローマ帝国に征服される。

このシーク、入口から出口までブラブラとゆっくり歩いても20〜30分、岩山に挟まれた谷底のシークの道は夏の炎天下でも日陰で涼しく快適に歩ける。道中にはナバテア人が造ったローマ時代の用水路跡、碑文、信仰した神(ドゥシャラ神)を祭った祭壇、生け贄を捧げた穴等々が見られる。それに両側の岩も様々な形をしていて、バラ色、赤色、茶色と彩り豊かで、太陽光線の当たり具合や場所によって微妙に違い見る者を飽きさせない。写真を撮ったり、左右の岩を見たりお喋りしながら歩いていると知らない間にシークの出口に近づいている。


シークの中に入った所

象の形をした岩

ナバテア人の彫像

ナバテア人が造った用水路跡

シークの狭い所

シークの広い所

そしてそのシークをゆっくりと歩いて抜けて行くと、少しずつ岩の隙間から朝日に輝くバラ色のエル・ハズネ(宝物殿)が姿を現して来る。「うわおー!」って叫びそうになる感動の瞬間だ。
皆も全体をはやく見ようと駆け出しそうになる気持ちを抑えてわざとゆっくり歩いているのが判るほど気持ちが高揚している感じがする。
シークを出て眼前に広がるギリシャ神殿を思わせる荘厳なエル・ハズネ(宝物殿)は圧倒的な存在感を持ち、その素晴らしさ美しさに大感動である。目も自然とうるうるとしてくる。


シークの岩の間から見える朝日にまばゆく輝くバラ色のエル・ハズネ(宝物殿)


エル・ハズネ(宝物殿)

このギリシャ神殿を思わせる荘厳なエル・ハズネ(宝物殿)は幅約30m、高さ約43mの大きさ。ハズネとはアラビア語で宝物庫の意味で、宝物殿ともいわれる。
この神殿の建築にはエジプト、ギリシャ、アッシリアの様式が採り入れられており、中央のコリント式の円柱の間にはエジプトのイシス神が、その左右にはギリシャ神話のアマゾネスが彫られている。神殿の両側の壁には工事用足場の穴がはたくさん彫られている。

エル・ハズネは外から見ると2階建てのように見えるが、最近の発掘調査で地下にもう1階あることが判って3階建てが正しい。中に入ることは出来ないが「インディジョーンズ・最後の聖戦」の映画と違って、中には洞窟はない、唯の空っぽの奥行きのあまりない四角い部屋があるだけだ。だけど、シークを出ると広場を挟んで真正面にエル・ハズネがドーンと陣取るその絶妙の配置に、古代ナバテア人の素晴らしい知識、文化水準の高さを見る思いがする。

ペトラ遺跡は、1812年、スイス人探検家ブルクハルトによって発見されるまでは、砂漠のなかに埋もれていた。ペトラの発掘が始まって長年が経過するというのにこのナバタイ王国の首都の全貌は謎のベールにつつまれたまま、現在発掘された遺跡は全体の5パーセントだと言われている。
この先も素晴らしい遺跡が発掘されるよう期待しょう。


シークの出入口とエル・ハズネ(宝物殿)の間にある広場


シークの出入口、エル・ハズネ(宝物殿)側から見た景色




ホームへ この旅行記トップへ 前頁へ 次頁へ