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★ 第1、2日目7/9(金)10(土) 関空→ドーハ着市内観光・乗継→アンマン→ペトラ ★ |
今年も昨年のギリシャ旅行と同じカタール航空を利用しドーハ乗継、ヨルダンの首都アンマンへと飛ぶ。 カタール航空の使用機材及び飛行経路、食事内容、ドーハ国際空港も昨年とほとんど同じ、着陸後バスに乗り込んで空港ビルまで移動も同じボーディングブリッジもない。なので昨年のギリシャ旅行記の最初方を参照して下さい。 もっとも来年の2011年末には隣接する敷地に、豊富な石油、天然ガス資源で蓄えた資金で建設中の世界有数の設備を誇る新ドーハ国際空港が完成する。この空港建設には日本の大成建設や竹中工務店他多くの日本企業も参加し、最大収容力5000万人、80の搭乗ゲートを持ち、ヨーロッパ、アフリカとアジアを結ぶハブ空港として活躍が期待されている。 昨年はドーハでの乗継時間が短かくて空港内で時間を過ごしたが、今年は約8時間とタップリあるのでその時間を有効利用し、ツアー総員23名でドーハ市内観光に出発。ところが到着予定時刻の一時間も早い現地時間の午前4時過ぎという早朝に空港到着のためか、観光バスもまだ待機しておらず添乗員さんがようやく連絡を取って午前7時すぎ約3時間半の市内観光に出発。 カタールはかつてはペルシャ湾での漁業と真珠採取の産地として知られた寒村の砂漠の遊牧民の国だった。ところが1940年代に高品位の石油が発見され、それを契機に目覚しい経済発展をとげ世界各国から人が集まり人口も65万人に急増した。今では首都ドーハには超近代的な高層ビルが建ち並んでいるが、一方では昔からの民族色豊かな古臭いスークもあり、また一歩郊外に出れば遊牧民がいまだにテント生活をしているという両極端が並立する不思議な砂漠の国だ。 冷房の良く効いた空港ビルを一歩出れば外は40度を越える灼熱の国。建設ラッシュで町のあちこちにクレーンが林立しているが、日中、働いているのはパキスタン、インド、ネパール、フィリピンなどから来た出稼ぎ労働者ばかりで、彼らがいなければ国は成り立たないとか。カタール人は冷房の効いたオフィスで事務を取り、指示を出すだけだ。 日本語を話す観光バスのガイドもネパール人、運転手はパキスタン人とこちらも出稼ぎ労働者だ、カタール人はこんな仕事には就かないのだろうか。地下に眠る豊富な天然資源の石油や天然ガスのおかげで湾岸諸国の超金満国家・国民になったカタールでは、カタール人(市民権を持つカタール人、人口の約30%)は所得税などの税金はなし、水道、電気、教育費は無料、医療費も基本的に無料とその生活は国に保障されている。そこには汗水たらして働くという考えは無いのかもしれない。 |
アル・アハリ競技場 |
ラクダの強烈な体臭充満のラクダ市場 |
野菜果物市場 |
スーク・早朝の為かひっそりとしている |
競馬場 |
冷房完備の競走馬の室内調教場 |
さて市内観光バスが最初に向かったのが「アル・アハリ競技場」。この競技場は、サッカーファンの人なら思い出すのも嫌な「ドーハの悲劇」の舞台となった場所だ。1993年10月28日、アメリカワールドカップアジア地区最終予選、日本対イラク戦で、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ヘディングシュートが入り、日本の予選敗退が決まったのがこの競技場なのである。テレビで見ていて、その瞬間あ〜ぁというため息とともに何ともいえない脱力感に襲われたことを思い出す。競技場はそれほど大きくなく観客席も低く、15000人も収容出来ないような競技場だ。 次は「ラクダ市場」である。運搬や移動手段としての需要は少なく、今では食肉用やミルク採取用として売買されているという。そして全品が輸入物という野菜果物市場、2006年に開催されたアジア大会で使われた5万人収容可能のカリファ競技場、アラブ競走馬の育成を兼ねた競馬場、あまりにも早い時間帯で開いてる店も少なく少ししかその雰囲気を感じられないスークの中をゾロゾロと散歩し、新市街を一望する港でバスから降りて写真タイムそしてドーハ国際空港に戻ってくるというコース。所要時間は3時間半から4時間。乗継時間が8〜12時間もある人向けに無理してコースを設定した感じで、目玉となる見学場所もなく、単に時間稼ぎの半日観光の印象を持った。 |
午後1時過ぎにドーハ空港離陸、空路ヨルダンの首都アンマンへ、飛行時間約2時間40分で到着。 早速バスに乗り込んで南部のペトラ遺跡を目指す。クイーンアリア国際空港を一歩出ればもうあたりは砂漠や茶褐色の荒地が広がっている。その砂漠を一直線に切り開いてデザートハイウェイと呼ばれる道路が南へ向かって走り、映画「アラビアのロレンス」でも重要な港湾都市として出てくるアカバまで延びている。 このデザートハイウェイを走りに走って、ペトラ遺跡近くのワディムーサの町まで約280km、途中一回のトイレタイムを入れて約3時間半の行程だ。午後7時過ぎホテル到着、午後8時から夕食。 関空からわずか一日であのペトラ遺跡に到着できるとは感動ものだ。 |