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第5日目6/13(火) マチュピチュ遺跡観光 |
午前8時ホテルロビーにツアーメンバー全員集合、今日は快晴、期待に胸の高鳴りを覚える。 そして徒歩でマチュピチュ行のバス乗り場に向う。歩いても5分ほどで、バス乗り場は昨夜散策したアルマス広場のそばにあり、すでにたくさんの観光客がバスに乗車している。ほどなくシャトルバスは出発、30分くらいつづら折りの道、ハイラム・ビンガム・ロードを登って行く。運転手は慣れたもので、かなりのスピードを出して上がっていくが、対向車が来たときは、片側は崖っぷちなので落ちないかとひやひやする。終点はホテル・サンクチュアリ・ロッジの前の広場。 マチュピチュ遺跡内にはトイレがないのでここでトイレに行く。トイレは有料で夫婦二人で1ドル。 トイレを済ませて、早くも観光客でごった返す入口に並び、入場の順番を待つ。入場のチェックを受けたら、いよいよマチュピチュ遺跡だ。入口から急な狭い階段状の坂道を、息を切らせて登っていくこと30分ほど、突然目の前が開け、写真で何度も目にした、あの遺跡の全景、どの旅行ガイドブックにも載っている写真そのものの光景が広がっている。一番上にある「見張り小屋」へ着いたのだった。 |
見張り小屋付近から眺めるマチュピチュ遺跡の全景はまさに絶景!!!「天空の城」その魅惑的な景色その素晴らしさには思わず息をのんでしまう。わざわざ地球の裏側まで、費用と時間をかけてやってきた甲斐があったと心から感じる瞬間です。 1911年に映画「インディ・ジョーンズ」のモデルになったと言われる米探検家ハイラム・ビンガム教授により発見されたマチュピチュ遺跡、なぜこんな山の中の断崖絶壁に都市を築き、どうして滅び何処に人々は消えてしまったのかその真相は未だ謎。 が、遺跡は神秘的で美しく一瞬でインカ帝国の時代にタイムスリップしたような、不思議な感覚にもなります。 |
マチュピチュ遺跡の中ではリャマが放牧されている。姿はラクダと似ているが、背中にコブはなく全身が毛で覆われています。まつげが長くぱっちりした目が特徴です。温厚で危険はなく草をむしゃむしゃ食べているだけで、そのため芝刈りをしなくてもよく、遺跡内の芝はキレイに生え揃っています。ペルーの山岳地方では古くから家畜として多く飼われており、荷物の運搬用に用いられたり、毛や皮を衣類に用いたりしている。悠然とたたずむ姿はマチュピチュ遺跡の景色に完璧にマッチングし、まるで守護神のようで、ベストアングルを狙う大勢の観光客の恰好の被写体になっています。 |
見張り小屋から段々畑を一気に下りるとやがて、遺跡の中の市街地に入る門に出る。 これがマチュピチュ市街地の入口に入る正門。上の写真は門の内側から映している。 しっかりした大きな石により精緻に門が組み上げられ、内側から見ると扉が取り付けられるように細工がされていることがよく分かる。 市街地に入る門からは見学ルートが決まっていて、原則として一方通行となる。石切り場、3つの窓の神殿、インティワタナ(日時計)、聖なる石、メイン広場、太陽の神殿、コンドルの神殿、と一巡りして歩く。 |
マチュピチュ遺跡のシンボルとして有名なワイナピチュ峰、遺跡の背後にそびえ立つ峰は神秘的で神々しく、この峰があるからこそマチュピチュ遺跡全体は引き立っている。ワイナピチュ峰には1日400人限定で登ることもできるが事前に入山許可証の購入は必要。頂上からはなかなか写真で見ることの出来ない角度から遺跡を見ることができ、またマチュピチュ市街がコンドルの形にデザインされている姿を見ることができるそうです。何故ならマチュピチュ遺跡はワイナピチュ上からの眺めでデザインされているからです。所要時間は片道1時間弱ですが、しかし道幅は狭くロープも手すりもない急な階段や登りが多く、毎年転落者が出るらしい。 私も、もう少し若ければチャレンジしていたと思うが、今となっては眺めるだけで十分満足だ。 |
総面積約5k㎡のマチュピチュ遺跡の約半分は、はるか下のウルバンバ川から土砂を運んで土盛りした段々畑で、トウモロコシやコカを栽培していたようです。限られた場所を効率よく利用していて東側の日当たりの良い場所で農作物を作り生活していたことが分かる。1段の高さは3mほどの石組みになっています。ここでは自給自足の生活が行われていて、およそ800~1000人のインカ人が住んでいたと推測されています。ただし、すべてが作物を育てるために使われていたのではなく、山崩れ防止や神様への捧げ物を置く場所としても活用されていたのだそう。 そして雨量の多いこの土地で数百年もの間崩れなかったことや、整備された水路などでも文明の高度な技術をうかがい知ることができる。 |
クスコにある”コリカンチャ”(太陽の宮殿)にもみられる微妙な曲線を描く石壁に囲まれ、塔には2つの窓があり、東の窓からは冬至の朝、南の窓からは夏至の朝、日が差し込むように作られていることから、太陽信仰に基づいた造りをしています。 インカ帝国の太陽信仰では、皇帝は太陽の子孫だとされていたのです。 |
インカ帝国は、南アメリカのペルー、ボリビア(チチカカ湖周辺)、エクアドルを中心にケチュア族が作った国、首都はクスコ。巨大な石を使った建築や精密な石の加工などの技術、黄金細工、織物などの高度な文明をもっていましたが、文字を持たない社会・文明でもあった。 なお、インカ帝国は1533年に鉄砲や鉄剣を持ったスペイン人征服者ピサロたち170人に征服により滅亡したが、インカ文明は文字を持たないため、マチュ・ピチュの遺跡が何のために作られたのか、首都クスコとの関係・役割分担など、その理由はまだ明確にわかっていない。 |
聖なる広場の東側、長方形の開いた窓が3つ、ふさがった窓が2つある 「神聖な広場」は、「3つの窓の神殿」「神官の館」「主神殿」の3つの石館に囲まれた広場です。インカ創始伝説では、3つの穴から8人の兄弟姉妹が湧き出し、その中の一人がインカ初代皇帝マンコ・カパックとなりクスコにインカ帝国を築いたと伝承されています。3つの窓の神殿が創始伝説にまつわった場所と考えられています。 |
「太陽の神殿」の一番高い所にある遺跡が「太陽をつなぎ止める石」です。 この石の四隅が東西南北を示していることから、インティワタナ(日時計)の役目を果たしていたのではないか、もしくは太陽を使って暦を観測し種まきや収穫の日を判断していたのではないか、と言われているようです。このあたり一帯はパワースポットとしても知られ、訪れた観光客は石の上に手をかざし、神秘の力を分け与えてもらっています。 |
コンドルが翼を広げているように見えますか?写真の撮り方が悪かったのか、下手なのかコンドルが翼を広げているようには全然見えません。また、ここの地面にはコンドルの頭部とくちばしを象った石が置かれていました。が、残念ながらこれも撮り損ねたようで写ってません、残念です。 インカの世界観では、コンドルが天上界の世界を守り、ここの神殿が地上と天界を結ぶ神聖な場所であるといわれ、その儀式が行われたといわれています。 |
ワイナピチュ登山口に鎮座する「聖なる石」高さ3メートル、幅7メートルの屏風のような一枚岩の巨岩。この聖なる石も、パワーストーンとしても有名で世界中の観光客が手をかざして「聖なる石」の不思議なパワーをいただいています。 |
遺跡内の一巡を終えるとちょうど昼食の時間、いったん遺跡の出口を出て、目の前にあるホテル・サンクチュアリー・ロッジへ、昼食を取れるのはこのロッジしかなく、後は30分かけてシャトルバスでマチュピチュの町に戻るかしかない。食事はビュッフェ形式で味は普通。 午後は、再度遺跡に入り「太陽の門」インティプンクに向かってハイキング。インカ道を1時間ほどかけて登った。太陽の門あたりからはるかにマチュピチュを望むと、インカ時代のクスコからの旅人が太陽の門にたどり着いた時の喜びが想像された。マチュピチュ遺跡と太陽の門の間のインカ道は、最も精巧に作られていて区間といわれている。太陽の門の先は4000mの峠を越えてクスコへと続く道です。 |
ここでマチュピチュ遺跡の観光と服装や注意点について少し書いておきます。 マチュピチュ遺跡のベストな観光シーズンは、4月から11月の乾季、中でも最も降水量の少ない6,7月がベストといわれています。やはり快晴の下で見るマチュピチュ遺跡の全景は感動すること間違いないと思います。12月から3月までの雨季は、常に曇り空でマチュピチュの美しい景色を見ることが難しく、雨が降ると地面が滑りやすくなって危険も増します。 マチュピチュ遺跡は標高2400mの山間部にあるため、1日の中で寒暖差が激しく、朝晩は夏でも10℃以下になることも多いので、保温性が高い防寒具を持っていくこと、、また天気が変わりやすいので防水加工の服や脱ぎ着のできる服、日焼け止めや帽子、サングラスは必須です。 遺跡では、急な山道や階段が続くので必ず履き慣れた歩きやすい運動靴が必要。登山靴はワイナピチュ峰にでも登るのであれば必要ですが、それ以外は運動靴で十分と思います。 険しい道が続くので、荷物はリュック(但し20リットル以下)にまとめ両手は空けておきたいところ。遺跡内に売店はなく、食べ物の持ち込みは禁止、そして勿論禁煙です、ペットボトルは持ち込み可能なのでこちらも必須です。 夕食はエルマピホテル内のレストランで魚料理、やはり快晴のマチュピチュ遺跡を見学できたことでみんな盛り上がり美味しくいただいた。 今日は歩き疲れたのか夕食後、外出もせずシャワーを浴びて早々に寝る。 |
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