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第4日目6/12(月) リマ ➝ クスコ ➝ マチュピチュ


さぁ今日は、今回の旅行で一番心配な高山病の恐れのあるクスコを経由してマチュピチュ村行きだ。最初に書いたように心臓病の持病があるので高地への旅行は避けていた。がマチュピチュの
天空都市へは高地のクスコ(標高3400m)を経由してしか行けない。

高山病は3000mを越える場所に飛行機などでいきなり移動すると薄い酸素に体が順応できず、頭痛や吐き気、倦怠感などを催し最悪の場合は死に至るという病気(症状)。私の身近にもそうした経験をした人がいて、大変な目にあったと話していた。もっとも彼の場合はリマで酒を飲み過ぎてそのまま飛行機に乗りクスコへ着いて発症したらしいが。

高山病対策の薬をネットで調べたら、日本では「ダイアモックス」という薬がよく処方されているらしく、本来は緑内障のための薬らしい。丁度、白内障の治療で眼科に通っていたので、医者に話してこの薬を処方してもらった。飲むと血管を拡張させて血液の循環を良くし、高山病の予防効果がある他、頭痛や不眠などの高山病の初期症状を改善させる効果があるとか。なお現地の空港でもこの薬は買うことができるようだが、事前に用意しているとより安心だ。

この薬はあくまでも予防だけで、基本は無理をせず、水分の補給や暴飲暴食、アルコールなどへの注意がより大事であることは言うまでもない。この薬を朝食後服用し着陸直前にも服用予定、午前7時半バスでリマ国際空港へ。今回は国内線なので手荷物検査も緩く、ペットボトルの水も持ち込めた。飛行機はラタム航空LA-2021便、リマを定刻の10時20分出発しクスコには11時55分着、飛行時間約1時間半。クスコ空港の正式名称はアレハンドロ・ベラスコ・アステテ国際空港。


 
クスコ空港に到着したラタム航空機
 
クスコ空港ビル

マチュピチュ行きの列車にはスーツケースは持ち込めないのでリマのホテルに預け、リュックに2泊3日分の衣類を詰め、機内持ち込みとして持ってきたので、何時ものようにターンテーブルでスーツケースが出てくるのを待つ必要もなく、すぐに空港ビルを出て観光バスへ移動する。
心配した高山病も、移動中に少し足元がふらついたが、それだけで胸の方は何ともないので先ずは一安心だ。バスは市内のアルマス広場に面した昼食のレストランに直行、約20分で到着。

アルマスとは、スペイン語で「武器」と言う意味で、武器を調達したり避難所として広場が使われたことに由来があるようで、ペルーにはどんな小さな町にもアルマス広場がある。インカ帝国の時代は歴代の皇帝たちの宮殿や公共の建物がこの広場周辺に建っていたという。クスコのアルマス広場の中心にはインカ帝国を最も繁栄させたと言われているパチャクテク皇帝の像のある噴水がある。周囲にはシンボルのカテドラル(大聖堂)ラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会が取り囲み造り方はリマと同じ、いやいやリマがクスコのマネをしたのだろう。また、近くにクスコ市庁舎があり今でもインカ帝国の7色の旗が掲げられている。

クスコはかつてのインカ帝国の首都として繁栄した世界遺産の街、16世紀以降に建築されたスペインコロニアル風建築が今も保存され至るところにその面影が残り、白壁に青いバルコニー、たくさんの教会が立ち並ぶ。そんなスペイン風建築の土台には精巧なインカ文化の石組みがそのまま残されている。その神秘的な魅力で世界中の観光客をひきつけている。

丁度、我々が行った時は、毎年6月24日に開催される「インティ・ライミ(太陽の祭り)」の「前祭」が行われていて、街中がお祭りムードにあふれていた。インカ帝国の時代にその年の収穫を感謝し翌年の豊作を願う祭り、として1年のうちで昼が一番短い冬至の日に“生贄を捧げ”て「太陽神」へ祈った祭りで、インティ・ライミの祭りはリオのカーニバル(ブラジル)、オルーロのカーニバル(ボリビア)と並んで南米三大祭りの一つに数えられている。



アルマス広場で行なわれていたインティ・ライミ(太陽の祭り)の前祭


インティ・ライミ(太陽の祭り)の前祭、左の建物はカテドラル(大聖堂)、右はラ・コンパニーア・デ・ヘスス教会

 
インティ・ライミ(太陽の祭り)の前祭のパレード
 
インティ・ライミ(太陽の祭り)の前祭のパレード
 
昼食のレストランでフォルクローレを演奏する二人組
 
右のカップは高山病に効くというコカ茶、麻薬の一種で日本には持ち帰れない

アルマス広場の周りには、この広場の様子を眺められるように沢山のレストランやカフェ、お土産店などが並んでいる。その中のカテドラルや教会を正面に眺める2階のレストランで肉料理の昼食。食事中にフォルクローレを演奏する二人組が、ペルーの代表的な楽曲である“コンドルは飛んでいく”を演奏していたが、やはり本場の高地で聞くこの曲は、ピッタリな雰囲気を漂わせていた。

昼食後、広場の周りをぶらぶら歩いてインティ・ライミの祭りのパレードを見学、そしてカテドラル(大聖堂)裏手の石畳を少し歩いて、クスコ市街でも有数の観光スポットとなっている「12角の石」の見学に、この石垣こそがインカ帝国時代の建築技術の高さの証拠となっているからである。インカ特有の石組みは、よく見ると、石と石とが精巧に組み合わされ、その隙間はカミソリの刃も通さないといわれるほど精密に造られている。インカ帝国時代の石工の高い技術力と知識には感動を覚える。



石と石とが精巧に組み合わされたインカ帝国時代の「12角の石」

 
インカ帝国時代の石畳や石垣が残る通り
 
インカ帝国時代の石畳や石垣が残る通りとインカ時代を彷彿とさせる女性

ここからインカ時代の石畳や石垣が残る通りをぶらぶらと10分ほど歩いてサント・ドミンゴ教会に到着。この教会はインカ帝国時代にコリカンチャと呼ばれた太陽の神殿の跡に建っている。スペインの征服者フランシスコ・ピサロたちは植民地となったインカの建造物をなにもかも破壊し略奪していった。寺院も宮殿もインカ帝国のものは壊され、その土台の上にスペイン様式の建造物が建てられた。
太陽の神殿」は黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿で黄金が満ち光り輝いていたといわれる。ここからも金の板を剥ぎ取り、黄金の像を運び出してしまうと上部を壊して、残った土台の上に教会を建てた、これがサント・ドミンゴ教会である。しかしこの教会は1650年の大地震で崩壊したが、インカの土台の石組はひずみひとつ起さなかったというのは有名な話、教会はその後土台の上に再建され、現在では太陽の神殿もその一部が復元されている。



サント ドミンゴ教会


サントドミンゴ教会の中庭


サントドミンゴ教会内のインカ時代の世界観が描かれた金の板(レプリカ)

上はサント・ドミンゴ教会内にあるインカ時代の世界観を現している金の板のレプリカ、こちらも本物はスペイン人征服者達によって金が剥がされ、ことごとく持ち去られたそうです。インカの世界観では、世界は三層に分かれていて、コンドルが天上界の世界、ピューマが地上界の世界、ヘビが地下の死者の世界を守っていると考えていた。インカ時代、コンドル、ピューマ、ヘビは「聖なる動物」として考えられていた。

マチュピチュがコンドルの形で作られているのに対し、インカ時代のクスコは力強さを表すピューマの形をしていたそうである。インカの人々は昔から山、川、星、月など自然界のあらゆるものに神々が宿ると考えていたが、最も重要な神として考えられたのが太陽。インカ帝国の最高権力者である皇帝は、太陽神の息子として神格化され、太陽の神殿は特に精巧な建築が施され、中は黄金で満ちていたと言われる。

サント・ドミンゴ教会の観光を終えた後、バスでマチュピチュ行きの列車の発着駅であるオリャンタイタンポ駅へ向かう。クスコからは約2時間余で到着、標高は約2800m、この標高では高山病の心配をしなくても大丈夫のようで、身体の調子も良く、これから行くマチュピチュに期待が高まる。

オリャンタイタンポ駅19時04分発ペルーレイルの3タイプの内のエクスペディション号という列車に乗り込む、最も安いタイプの列車だが座席は広く総革張りで乗り心地は良い。途中の車内では飲み物とお菓子が出てきた。出発時にはすでに真っ暗で外の景色もあまり分からなかったが、線路は単線なのでスピードを出して走ることもなく、途中で何か所もすれ違いのために止まったりと、ゆったりと走行している。マチュピチュ駅に定時の20時45分に到着、乗車時間1時間40分。

駅を出て徒歩で、お土産店エリアを抜け、ウルバンバ川に架かる橋を渡り3分も歩くと村の中心部にあるエルマピ・ホテルに到着。



夕食後、ホテルから歩いて2.3分のアルマス広場へ、後ろの像はインカ帝国第9代皇帝パチャクテクの像



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