「楽しく仕事が出来ているかい?」


1.部下を伸ばす上司と部下を駄目にする上司

 部下の能力を伸ばす技

 教育者は適度に酔うべし
 
 教育を行う者は、部下や新人に対して
情熱(パッション:passion)を持たなくてはならない。多くの場合に、部下は直接上司や教育者の姿を見て良い面もまた悪い面も真似しようとする。だから、これから育っていく新人や若手の研究者に対しては、色々な場面で熱意を持って対峙して欲しいと考える。 そのために、上司や教育者は仕事だけではなく、種々の場面で率先して興味を引くように熱意を持って欲しいものである。研究や開発の業務だけでなく、仕事や単なる談話の中でも、またたとえ単純な1つの仕事においてでも、全てのことは単なる1つの出来事では終わらない。1つの課題や対象には、それに至る多くの背景や予備的なことが沢山あり、またそこから派生する複数の応用的な技術や出来事もある。

 丁度、文献検索をしているときに、孫引きをして初めてその文献の価値がわかるような状況であろう。 1つの研究や仕事を完遂するためには多くのことを覚えてまた多くのことを学ぶ。上司や教育者は、このような複雑に枝分かれした技術とそれらを解決するためのノウハウや知恵を部下に対して直接の行動として示して欲しいものである。

 そして最も重要なことは、
現在の課題に対して決して上司や部署で与えられた課題や役目とは思わずに、教育を受ける側で自分自身が主体となって解決すべき目標として考えるべきである。理想的には教育を受ける側が自分自身で面白くなって自発的に調べ、また派生する技術を知ろうとする状況に至れば非常に上手く教育が実施されたと感じる。 ただし、どんな時でも教える側が酔いすぎてしまっては部下や若手は決してついてくることはできない

 例えると、どんな飲み会や懇親会でも同じではあるが
、適度に気持ちよく酔った状態がお互いに最も良いのである。自分自身が軽く心地よい程度に酔った状態で部下をその気にさせることが最も良い状態なのであろう。 よく目にすることではあるが、上司自身が日常的に思っている研究の理想や考え方をそのまま教育の活動に出してしまうことがある。また、与えられた課題に対しても、「あれも」「これも」などを幾つも押し付ける場合がある。そのような教育者は、ほとんどの場合において、自分自身の技術の向上や考え方の改善も期待できないであろう。いわゆる「理想形を追うばかり」であり技術を段階的に向上していくことができないからである。

 そのような場合には、部下や新人の教育は辞めるべきであろうし、無理して教育を継続すると部下に対しては不幸な結果を招きやすい。

 教育や育成をするときには最初に大まかな育成計画をたてる。そして、その計画の最終の状態を確認して、そこまでの段階ごとの姿を描き、そのための必要なことに対して情熱を持って部下や若手に成長するための活力を与えていくことである。

 例えば、スタッフとして技術の専門家を目指すのか、あるいはマネージメントも含めて部門を統括する技術者を目指すのかなどを部下や新人の性格や特性や癖などを考慮して考えていかねばならない。

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