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尊勝院 慈性 |
江戸におけるそば切りの初見である「慈性日記」は、これまで、多賀大社の社僧が書いた日記であるとされてきた。多賀大社には社僧や坊人という身分の僧は多くいたが慈性の立場や身分をこれと混同するのは誤りである。慈性は日野家という名門の出身で、日記を書き始めた22歳は既に尊勝院と多賀大社不動院をも兼務する身分であった。日記に登場するのは朝廷、将軍家、公家・大名など当代超一級の人物と、天台宗の南光坊天海(後の大僧正)と各地の僧達である。そしてこれら天台僧達が江戸滞在中に繰り広げる出来事の一端としてそば切り振舞やうどん振舞が書きとどめられたのである。 |
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