そば用語辞典   < Mobile 辞典へ   < PC 辞典へ

称往院
明暦3年(1657)世に言う振り袖火事の翌、万治元年(1658)から多くの寺が浅草新寺町へ移った。浄土宗・称往院という寺の院内にあった道光庵の庵主が信州松本出身のそば打ち名手で、寺でありながら振る舞うそばが評判になり、まるでそば屋の如く大繁盛したという事例がある。道光庵はそば屋とともに「蕎麦全書」にも登場しているが、その後天明6年(1786年)の三代目の時に親寺(称往院)から蕎麦禁断にされる。後に、この繁昌振りにあやかろうとしたのが、そば屋「庵号」の始まりとされている。*称往院は昭和2年関東大震災で北多摩群千歳村字烏山(現・世田谷区北烏山)に移転。
 
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称往院・道光庵の跡地
東京都台東区西浅草3辺り。江戸時代、(そば屋のごとく繁盛した道光庵があった)称往院の跡地と、(慈性日記の舞台にもなり、明暦大火後小伝馬町から移ってきた)現在の東光院。江戸名所図会・浅草新寺町では天嶽院・称徃院・東光院の三寺が並んでいた。将軍お鷹狩の際には東光院で休息することもあり、多くのそば好きが道光庵目当てに行きかった。*画像は現在の町並みで、道光庵のあった称往院は二寺に挟まれた場所にあったがその名残はなにひとつ残っていない。
 
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