本編5

 「やめろ」

 オレイアスの爪が、まさに人間の喉元を貫こうとした瞬間だった。

 「戦乙女ヴァルキリーか」

 オレイアスは爪を納めた。
 人間達は、情けない声を上げながら、散り散りになって逃げ出した。
 光に包まれた女性が、ゆっくりと地面に降り立った。

 「不死者の波動を感じて来てみれば…貴様であったか、オレイアス。
  不死者の中でも、貴様だけは話の分かる者だと思っていたが」

 戦乙女はスッと剣を抜いた。

 「五月蠅い! オーディンの犬め、今ここで滅してくれよう!」

 オレイアスは空に浮かび上がり、魔力を収束させる。

 「喰らえ、クール・ダンセル!」

 呪文と共に、少女の亡霊達が踊りながら戦乙女に斬りかかる。

 「通じるものか」

 戦乙女は、剣を横一閃に振るう。
 強烈な光に包まれ、亡霊達は光の中に消え去った。

 「あきらめろ。貴様は私には勝てない。
  折角の因果律を知る能力も、相手が神族ではな」

 「黙れ!黙れ!黙れ! ダーク・セイヴァー!」

 今度は闇の剣を喚ぶオレイアス。

 「とうとう自分を見失ったか、オレイアスよ。イグニード・ジャベリン!」

 闇の剣と光の槍は相殺、いや、わずかに光の槍が競り勝ち、オレイアスをかすめる。

 「くッ!?」

 オレイアスはバランスを失い、地面に着地するものの、再び印を組み、呪文の詠唱に入る。
 しかし、戦乙女はオレイアスに詰め寄っていた。

 「神技ニーベルン・ヴァレスティ!」

 オレイアスは倒れた。

◆◆◆

 戦乙女ヴァルキリーは死神オレイアスを抱えて、人気のない公園に降り立った。
 そこは、偶然にもオレイアスと由佳が初めて出会った公園だった。

 「なぜ…俺を助ける……」

 戦乙女に抱えられたオレイアスは呟いた。

 「貴様にはニヴルヘイムを変えてもらわなければならない」

 戦乙女は、死神をベンチの上にそっと置いた。

 「オレイアスよ。人を知れ。己を知れ」

 いつの間にか、雨は止んでいた。
 雲の通い路から月が顔を覗かせる。

 「そして恋を知れ。恋は時として病となる。心を狂わせる病…。
  かつての私がそうだった……」

 戦乙女は空を仰ぎ、月明かりに手をかざした。
 彼女の指にはめられたニーベルンゲンの指輪が微かに輝いた。

◆◆◆

 朝になった。
 オレイアスは、公園のベンチに寝そべったまま、自分の事を考えていた。
 昨晩の心の乱れの原因は恋…?
 そう、今までそこはかとなく感じていた違和感の正体は恋だったのだ。
 では、俺は誰に恋してるというのか。
 決まっている。
 由佳だ。
 俺は由佳が好きなのだ。
 でも由佳は
―――キミなんて大っ嫌い!―――くちゃくちゃになった涙顔が思い出される。

 「そういえばアイツ、明日死ぬんだよな……」

 オレイアスは、由佳に会いたくて、会いたくて、居ても立ってもいられなくなった。
 会って、そして謝ろう。
 自分の気持ちを伝えるのはそれからだ。
 まず会わないと
―――
 オレイアスは、由佳が今何処にいるのかを因果律によって知ろうとした。
 しかし、上手く集中できない。昨日の戦いで魔力を使いすぎたか…?
 それとも、心の乱れのせいか…?
 だが、それは些細なことだった。
 学校に行けば、必ず会えるだろう。オレイアスは学校へ向かった。

 一時間目が始まったとき、由佳はまだ学校に来ていなかった。
 遅刻か何かだろう
―――そうオレイアスは信じていた。

 しかし、一時間目が終わっても、由佳は来なかった。
 オレイアスは不安になって、学校を抜け出し、由佳の家に行った。
 由佳ママに尋ねたが、由佳は学校よ、と言われた。

 「由佳…何処にいるんだ……」

 明日には由佳は死んでしまう。
 それまでに、この指環を渡さないと、由佳の魂はヴァルハラに連れて行かれる
―――
 
―――つまり、もう永遠に会えなくなるということだ。

 しかし、この広いミッドガルドで、どうやって一人の少女を捜し出せばいいのか。
 因果律さえ分かれば、簡単に由佳を探し出せる。
 それなのに、肝心の運命の輪が回らない。
 歯車が欠けたように。
 運命を感じることができない今は、由佳が明日死ぬということしか分からない。
 何処でどの様に死ぬのか、思い出せないのだ。
 いつも見えていて、見えていて当然と思っていたから、未来を覚えておく必要性などなかったのだ。

 とにかく探し回るんだ。
 それしかなかった
―――

◆◆◆

 日はとうに暮れた。もうすぐ明日になってしまう。
 家に帰って来ていることを信じて、オレイアスは由佳の家に行ってみた。
 しかし、由佳は帰っていなかった。
 希望は絶望に変わった。
 オレイアスはフラフラと、人通りのない道を歩いた。

 「何処なんだよ…由佳……」

 明日までの時間はもうない。
 あきらめるしかないのか。
 その時、首の辺りに鈍い痛みを思い出した。
 昨日、由佳に喰らった必殺チョップだった。

 ―――あきらめ…きれるかーーーッ!―――あの時の由佳の言葉。

 「そうだな、あきらめちゃいけない」

 刹那、一つの可能性がオレイアスの脳裏をかすめた。

 「―――公園だ」

 オレイアスはその可能性に全てを賭けた。

◆◆◆

 少女は公園で捜し物をしていた。

 「死神を失くしちゃったの」

 「俺が探し出してやろうか?」

 少女は首を横に振った。

 「いいの……」

 そして―――

 「今、見つかったから―――

 少女と死神は唇を重ね合わせた。

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