耳が痛くなりそうなくらいの静けさ。
正確には「痛い」というような不快さではなくて、
ただキーンと澄んだ透明の音の波が広がっているように感じた。 「―――クシュン」
沈黙を破ったのは私のくしゃみであった。
ウィルがクスッと笑う。
嫌っ、恥ずかしい。
私は咄嗟に口を手で覆った。
顔が火照ってくるのが、その覆った手から伝わってきて…それがますます火照りを増長させる。
「雨…だしな。体が冷えたのかもしれない」
ウィルは唐突に、私の額にかかった前髪をかき上げ、私の額に自分の額を近づけてきた。
「な、何するのよ!?」
「熱があるといけないからね」
優しい言葉と共に、彼の口が、唇が動く。私の顔のすぐ横で―――。
唇…。い、嫌っ、なに意識してるのよ、私…。
ウィルの額は冷たかった。
冷たくて…それが心地良かった。
時間がゆっくり、ゆっくりと流れていくのを感じた。
このまま目を閉じてしまったなら、全てを忘れてしまえるかもしれない。
でも私は―――
「話をはぐらかさないで!」
甘い誘惑を振り切り、私は立ち上がった。
ウィルは座ったまま私を見上げている。
「熱は無さそうだ」
「は、はぐらかさないでって言ってるでしょ!?」
「分かってる。氷のメガリスで何が起きたか、だろ?」
ウィルは地面をトントンと指で小突いた。
座れ、という意味のジェスチャーなんだろう。
私は再び濡れた地面に座り直した。
水たまりが波紋が広がり、映る星空が粟立つかのように見えた。
◆◆◆
ウィルはすぐには話さなかった。
彼の頭の中でも、あの出来事は上手くまとまっていないのかもしれない。
あの出来事―――メガリスの中心部でウィルが夢魔のメダリオンを得たこと。
そのおかげで皆が助かったこと。
兄のアニマが暴走したこと。
そして…。
兄の願いが叶えられなかったこと。
私は、質問の答えを聞くことに対してだんだんと恐怖を感じ始めていた。
兄が劣っていたからか?
やはりそうなのか?
そんなことない!
兄は…兄さんは…唯一私のことを分かってくれた。
私にとって兄さんは…!
それなのに…それはメガリスにとっては…他の者にとってはどうでもいいことなの?
私にとって「大切な兄さん」は、他人にとっては「劣った人間」でしかないの?
「優劣とかじゃないよ。ウィリアムさんのアニマが暴走したのは」
え?
恐怖感がすぅーっと引いていくのが分かる。
ウィルは懐から夢魔のメダリオンを取り出し、それを見つめながら言った。
「氷のメガリスは、二つの力を備えていたんだ。
一つは弱き者を退ける力。
もう一つはアニマを代償に願いを叶える力。
メガリスを作った先行文明人達は、ツールなしでも術が使えたってことは知ってるよね?
つまり彼らは僕らよりもずっと強かったんだ。
逆に言えば…僕達は弱かった。
だから僕達はメガリスの一つめの力で命を落としそうになった。
その時、僕は願ったんだ―――みんなを助けて欲しい、と。
そしてメガリスに僕のアニマを捧げようとした時…身代わりになってくれた人がいたんだ。
コーディー…そう、コーデリアという人が。
彼女はね、11年前に死んでしまったんだ…。
でも死してもそのアニマはこの世に留まり、ずっと僕のことを見守ってくれていたらしい。
そのコーディーのアニマが代償になって…」
ウィルはメダリオンをじっと見つめたままだった。
「ウィリアムさんも何か願ったんだと思う。
タイクーンになること、ではなくて何か別のことを。
メガリスの中心では色々なことが一瞬で頭の中に流れ込んでくるんだ。
願いを叶えるためにはアニマを代償にしなければならないことはもちろん、
過去や未来のことも少し見えたりする…。
ウィリアムさんはメガリスの中心で何かを知り、
その悲劇を変えるために自分のアニマを捧げたんだと思う」
ウィルはメダリオンを握りしめ、空を見上げた。
見上げたまま、何も言わなかった。
兄さんは…未来を変えたってこと?
未来に起こる悲劇を回避するために自分の命を差し出したってこと?
兄さんの死ぬ前の言葉が思い出される。
「ミッチ…心配することなんて何もないんだ…。これでいい…これで…」
「…幸せに…生きるんだぞ…」
兄さん…。
「信じていいの?」
ウィルは答えなかった。
答える代わりに私の肩をぐっと抱き寄せた。
私は彼の腕の中で、彼と同じように空を見上げた。
◆
流れ星が長い尾を残して消えた。
その尾もやがてゆっくりと夜空に消えた。
消えゆく光を吸い込んだかのように、東の空が明るくなった。
「綺麗ね」
私の言葉に
「綺麗だ」
彼は同じ言葉を返した。
<完>
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