嘘…でしょ…?

 私はウィルに駆け寄った。
 うつ伏しているウィルを仰向けにする。
 腰の短剣を抜いて、彼の上着を切り開く。
 ぬるぬると血に濡れた肌の感触。

 「出血が酷い…」

 相変わらず、血の匂いは鼻につく。
 しかし、そんな事を言っている場合ではない。

 「急所を外れていると言っても、このままでは出血多量で死んでしまう」

 どうすればいい?
 あせるな、よく考えるんだ。
 今から町に戻っても往復で1時間はかかる。ダメだ、時間が足りない!
 ウィルを運ぶか? いや、今の彼を動かすのは危険だ!
 落ち着け…私が何とかするんだ。
 何か…何か方法が…。
 聞こえるのは雨の音だけ。

 雨…?

 そうか、水だ。
 水の象徴は柔軟・知性・流動・混乱・幻覚・時間そして…治癒。

 私はウィルの胸にそっと手を置き、静かに目を閉じた。
 水のアニマよ。
 我が意志に従い、全てを癒せ!
 私は集中し、水のアニマに一定の指向性を与えていった。

◆◆◆

 どれだけの時間が経っただろうか。
 気付いた時には、雨は止んでいた。

 術は成功した…と思う。
 成功したと思うのだが、ウィルは目を開けない。
 彼の胸に置いた手からは、規則正しい鼓動が伝わってくる。生きているには確かだ。
 雨が止んだ為、辺りは一切の静寂、無音であった。
 私の呼吸音を除けば。

 …あれ?

 「ちょ、ちょっとウィル、息してる?」

 私は、静かすぎるウィルに不安を抱き、手をウィルの口元にかざしてみた。
 息をしてない…。
 そんなッ!?
 だって、心臓はキチンと…。
 まさか、自律神経に何か異常が…?

 と、とにかくだ。
 早く処置をしなければ…。
 え…と確か、心肺蘇生法は…。

 私は、ウィルの肩を前にして、彼から見て左側にしゃがみ、両膝をついた。
 頭側の手、つまり右手をウィルの額から前頭部に当て、肘(ひじ)を地面につける。
 胸側の手、つまり左手は彼の顎(あご)の先端に当てて、顎を上げる。
 それと同時に、右手は前頭部を下へ押すようにし、ウィルの頭を後屈させる。

 「…これで気道の確保はOKね」

 私は、前頭部を押さえていた右手を鼻へ動かした。
 そのまま親指と人差し指で、ウィルの鼻をつまむ。
 そして、私は大きく息を吸い込み。
 口を…。
 口を…。
 口に…。

 「…ねえ、ウィル。もしかして…死んだふりしてるでしょ?」

 「ハハハ、気付かれたか」

 何事も無かったかのように目を開けるウィル。
 鼻を押さえられている為、声が変だった。

 「殺されかけたんだ。
  少しくらいからかっても、バチは当たらないだろう?」

 「よ、避けないアナタが悪いんでしょ!?」

 「そうだな」

 ウィル・ナイツは、その上半身を起こした。
 私は、鼻を押さえていた手を離してやる。

 「ラベールが悪いんじゃない」

 彼は言った。

 「殺されかけたんじゃなくて、死に損ねたんだ」

 私には、その言葉の意味が分からなかった。
 でも、敢えて問おうとも思わなかった。

 ふと、上を見上げると、濃紺の空が広がっている。
 そこに、針で突いたかのような光が無数に瞬いていた。
 地面には大きな水たまりが出来ているが、
 私の身体は元よりびしょぬれなので、私は構わず足を伸ばして座り込んだ。
 ウィルは隣に座っている。
 水たまりには、空の星々が映し出される。
 上にも下にも星の海…。まさに、宇宙の中を飛んでいるような感覚だった。

 「綺麗ね…」

 私は空を見上げながら呟いた。

 「綺麗だ」

 ウィルも私と同じ行動、同じ台詞を取る。
 私は今、彼と同じ感情を共有しているのだろうか?
 そんなどうでもいいことを考えたりした。

 「つまらない話なんだが、してもいいかな」

 「つまらない話なんて、聞きたくないわ」

 私は天の邪鬼(あまのじゃく)にそう言った。

 「そうだな」

 ウィルは静かに答えた。
 再び辺りは静寂に包まれる。

 「…でも、話したければ…話してもいいんじゃない?」

 すると、ウィルは突然笑い出した。
 不快ではない、爽やかな笑い。

 「な、なんで笑うの?」

 「いやいやラベール。こっちの話なんだ」

 「もう聞いてあげないからッ!」

 「うん、もう言わない。それでいいかい?」

 私は即答できなかった。
 心の中で相反する二つの感情がぶつかりあって。
 そして、結局…。

 「…嘘。言って」

 ウィルは再び笑い出した。
 なんとなく私もつられて笑ってしまった。
 ひとしきり笑って―――。

 「濃紺の空と、そこに瞬く無数の光。
  一体どちらが綺麗なんだと思う?」

 え?

 「きっと、どちらが綺麗だとか比較すること自体が間違っているんだ」

 …………。
 ………。
 …。

 「いや、それだけなんだけどね。つまらないだろ?」

 「そんなことないわ」

 「うん?」

 「綺麗って思うことは理屈じゃない。
  比較でもない。
  ただ純粋にそう感じるってことでしょ?」

 ウィルは何も言わず、ただ頷いた。

 無限の星々に囲まれている。
 有限の私は、その中に存在しないのではないか――そんな錯覚を覚えるほど、この景観は雄大だった。

 「ねぇ、ウィル」

 私は以前からのわだかまりを――

 「氷のメガリスで…一体何が起こったの?」

 ――ウィルにぶつけることにした。

 メガリスはウィル・ナイツに夢魔のメダリオンというクヴェルを与え、
 一方で私の兄ウィリアムのアニマを消し去った。
 納得できない。
 その気持ちは、今とて変わらない。
 ウィル・ナイツは悪い人間ではない。それは今、実感している。
 しかし、兄ウィリアムは悪い人間であっただろうか?
 否、そんなことはない。それは、妹である私が一番よく知っている。
 では何故メガリスは、兄の願いを拒んだのか。
 その思いを今、私はウィル・ナイツにぶつけた。

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