空は厚い黒雲に覆われていた。
 まだ昼間だというのに、異様に暗い。
 生暖かい風に吹き付けられ、ザワッと肌が粟立った。

 ここは古代帝国ハンの廃墟。
 神殿造りの建造物を通り抜けたそこは、闘技場風の施設がそびえ立っていた。

 「バケットヒルの戦いに敗れたギュスターヴ14世は、この地で処刑の時を迎えた」

 ウィル・ナイツは呟いた。
 その言葉は、誰に向けられたものでもなかった。

 「処刑場ね…」

 私は言った。

 「今の私達にはおあつらえ向きだわ」

 生暖かかった風は急に冷たくなり、唸りを上げた。
 黒雲の間より稲妻が走る。
 雷鳴が轟く。
 廃墟が照らされる。

 冷たい。
 雨か?
 雨が降ってきたのか?
 ポツポツと落ちてきたそれは、やがてバケツをひっくり返したかのような土砂降りとなった。

 スッと弓を構える。
 矢をつがえる。
 流れるような一連の動き。

 「兄ウィリアムのかたきーーーッ!!」

 弦を敢えて軸からずらして射る。
 ブレた矢は変則的な軌道を描き、ウィル・ナイツを捕らえる。

 「イド・ブレイクッ!」

 その矢は……。
 その矢は深々とウィル・ナイツに突き刺さった。
 彼は全く動かなかったのだ。
 避けようとも、止めようともしなかったのだ。
 どうして…。

 「どうして避けないのよッ!?」

 私は叫んだ。
 私は矛盾している。
 でも、矛盾しているのは彼も同じだ。

 「分かっていたんでしょ…?
  私が兄の復讐のために…逆恨みのために、あなたを追ってきたってことを…」

 「ああ、分かっていた」

 ウィルは、胸に突き刺さった矢を引き抜いた。
 鮮血がほとばしる。

 「イド・ブレイクか…。
  その不規則な動きは、相手を攪乱させる。
  しかし、その射方がゆえ、命中精度は極めて悪い」

 彼は、引き抜いた矢を地面に放った。

 「…と、ナルセスさんが言っていたが…。
  まさか、身を持って体験する事になるとはね」

 傷口からは、血がにじみ出ている。
 私は、思わず口を抑えた。
 血の匂いが鼻につき、気分が悪くなった。
 血なんて平気だったはずだ。
 そう、昔は、あの時までは…。
 まさか、あの事件がトラウマになっているなんて…。

 血圧が急激に下がっている。
 指や足の先までは十分に血液が行き渡らず、ピリピリと痺れを感じた。
 どうする…私はどうすればいい?

 私は動けなかった。
 矢をつがえぬ弓を左手に携えたまま、動けなかった。
 何もできない私に対し、ウィルは淡々と話を続ける。

 「その命中力の低さのおかげかな、急所は外れたようだ。…ここじゃ死なない」

 ウィルは右手の親指で、自らの左胸を指し示す。

 「ここだ。よく狙え。大丈夫、俺は逃げたり……」

 後半の方は、耳鳴りでよく聞き取れなかった。
 吐き気がこみ上げ、痺れた指先から身体が冷えていく。

 私は今…何処に……?

 その瞬間、私の心を縛り続けていた何か糸のような物が、プツンと切れた。
 ホントは言いたかったのに、言えなかったあの気持ち…。

 「助けてくれてありがとう」

 言葉にはならなかった。
 しかし、その言葉は、意味は、はっきりと私に意識された。

 痺れも耳鳴りも消えていた。
 あの時、ウィルは私を助けてくれたのに、私は兄を失った悲しみをウィルにぶつけていただけなのだ。
 私は、なんてバカなんだろう…。

 「ウィル…私、ホントごめんなさ…」

 やっと言えた言葉。
 しかし、最後まで言い終わらないうちに、ウィル・ナイツの身体はぐらりと傾き、
 そのままうつ伏せに、地面に倒れた。

 雲が出ていなければ、夕日が見られただろう時刻。
 雨の音だけが聞こえた。

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