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第三章 蛹化 (6)

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2007/08/13 Mon.


 烏丸家の墓は、明智市に隣接する神部市の郊外、山の斜面にへばりついた公営霊園にある。今年の盆は僕と母さんだけでお参りに来た。父さんは仕事。勇は夏風邪をひいて家でごろごろしている。
 母さんは日傘をくるくるまわしながら道路ぎわの縁石の上を跳ねるように歩き、濃緑に染まった山と、かなたに広がる海を眺めてにこにこしていた。僕はひとりで墓石を磨き、雑草を抜いて砂利を掃いた。
「手際がいいわね。半年ぶりとは思えへんわ」
 墓の手入れは先週やったとこです、とは言えないので、黙って作業を続けた。
 掃除が終わると、母さんが家の庭から切ってきた花を活けた。線香をたてて二人で手をあわせた。
「ありがとうね。祖母ちゃん達も孫に世話してもろたら喜んでるわ」
 縁石に並んで腰をおろし、缶コーヒーを飲んだ。いつもなら勇が母さんを独占しておしゃべりに花を咲かすのだが。女の子がいないと静かなものだ。
「聡、最近リビングに出てこんようになったね」
 なにげなく言われて振り向いた。母さんは涼しい顔をして、青空の高みを飛び去るアオスジアゲハを目で追っていた。
「学校の宿題がけっこう多くてね」
「部屋にこもって、熱心なんは勉強だけかしらね。外に出たら今度はなかなか帰ってこうへんし」
「こないだは悪かったと思ってるよ。でも模試の出来はまあまあだったと思う……」
「滋くんの具合が悪かったんなら、しょうがないでしょ。もう元気になったの?」
「うん。昨日見舞いに行った。盆明けまでは社長さんのお世話になるって」

 キアは表向き、体調を崩して会社の事務所兼社長宅に身を寄せていることになっていた。社長さんと僕の父さんは茶飲み友達だから、内部情報は流れてしまっているかもしれないが。
 ロータス白百舌に乗り込んだ堂島さんは、結局のらりくらりと言い逃れをされて一時撤退してきていた。
 絨毯敷きのロイヤルスイートの入所者は、おそらく施設管理にも噛んでいて、相当厳しく手綱をひいているのだろう。口うるさく評価の辛い主に辟易した家来が、ミスを正直に申告するより自分達でなんとか始末をつけてしまおうと考えたとしたら、説明がつけやすい。
 北野昼二たち施設の幹部職員は、謝罪にかこつけてキアを呼び出し、どこまでの事実に感づかれたかさぐってから、口止めの方法を決めるつもりだったんだろう。
 相手が意趣返しをあきらめていると判断できるまでは外勤もするなと言いわたされ、キアがさぞかし退屈しているだろうと思ってようすを見に行った。
 四年前の新聞に載っていた小さな記事のことも話しておきたかった。臨海研修センターで小学生が事故に遭い負傷した、と書かれていただけだったが。
 キアは事務所の副社長席……社長の奥さんのデスクにはりついて、ウインドウズMEの経理ソフトと格闘していた。
「HDがとろい。俺が見に来んと、誰もメンテしてへんかったらしい」
「とっくに耐用年数は過ぎてるんだから、下手にデフラグなんかかけたらとどめをさしちまうぞ」
「月末まで入金はない。今動かんようになったら困る」
「なだめすかして、そろーっと働いてもらうしかないな」
 手みやげのスイカを切ろうと思って、台所をお借りした。奥さんも一緒に来て、皿を出してくれた。
「やっぱり滋くんを住み込みにはできんよ。私らとずっと一緒におると、どうしても仕事をきりあげられんようなってもてね。超勤手当も出せんのに、気の毒なんよ」
 奥さんは小声でそう言って、本当に困った顔をした。

「メールもいれないよりはましやけど、行き先くらい教えときなさいよ」
 母さんの声で現実に引き戻された。
「勉強は手抜きしてないよ。あとは好きにさせてくれてもいいだろ」
 母さんは目を細めてにっこりと笑った。
「気ぃついてる?聡、隠し事がある時ほど熱心に勉強するでしょ」
 ……かなわないな。
「家族に迷惑のかかるようなことはしてないつもりだよ」
「当然です。あとは我が身も大事になさい」
「どの程度?」
 母さんは肩をすくめた。
「最悪を想定したら、身動きとれんようになるのはわかってるわよ」
「今ここで大地震が起きたら僕らは墓石の下敷きだ」
「聡」
「ごめん。冗談でも言いすぎた」
 母さんは、怒ってないよ、と手を振った。
「あんたは知らん間に大きなってしもたからね。たまには親のふり、させてちょうだい」
 僕は素直にこくりと頷いた。親がそばにいて心配してくれるのは、運の良いことなのだとわかっているつもりだった。


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