第二章 脱皮 (8)
2007/08/08 Wed.
熱したフライパンに溶き卵を一気に流し入れ、一呼吸おいて菜箸でぐるりとかきまわす。手首のスナップをきかせてひょいひょいと浮かしながら形を整えていく。
「オーライ。降ろせ」
チキンライスの山頂に慎重に着地させたつもりが、やわやわのオムレツは側壁を滑落してへちゃり、と自壊した。
「あちゃー」
「気にすんな。形より火加減や」
特大のオムライスを二皿、適当にちぎったサラダ菜を一皿とウーロン茶のペットボトルを自室へ運んだ。
今晩、勇はピアノ教室の発表会だ。両親そろって応援に行ってくれたおかげで、セルフルームサービスを楽しめる。
あつあつを一口ほおばってからPCを復帰させて、ディスプレイのスプレッドシートをスプーンでさした。
「浜小の平成十一年度入学生のスナップ写真を集めた。一学年三十人くらいしかいないから、どの子もけっこう載せてもらってるけど、やっぱり目立つ子とそれなりの子の差はあってね。
北野久実は低学年の時にはけっこう写ってたのに、五年生以降は全然。転校したのはもっとあとのはずだけど」
各セルにはスキャンした写真から子供の顔をひとつずつカットアンドペーストしてある。行は在籍した子供の名前。列は入学以降、時系列に並べた行事。
「お前みたいなのがおるから、子供の顔写真をどこにも載せられなくなる」
ちょっと後ろめたいところをつかれて、僕は咳払いした。
「データは外付けHDに入れて、ネットにつなぐ時にはアンマウントしてるよ」
キアはひょいとマウスに手を伸ばして、スプレッドシートの下に隠れていたもうひとつの図表を前面に表示させた。浜町の年表と、北野家の子供達の学年の対照表だ。
「一番上と二番目が四つ違いで、二番目と三番目が年子。三番目と四番目の間に震災があって、五年あいてるな」
「明実ちゃんと秀一くんの間も五年。久実さんが小五の年には、弟が生まれてお母さんが亡くなって、大変だったとは思うね」
「久実が小六になった時には、明実が小一、澄実が中一か。ここで久実と他の姉妹との縁も切れてもたようやな」
「中学校は私立へ行かせたことになってるけど、それって他の子供達と学校で接触するのを極力避けたみたいだ」
「年子の姉貴と切り離したかったんなら、叔母ちゃんとこから東野中へやればええやんか」
「東野中にも、事情を知ってる子が進学したんだよね」
もう一度顔写真のシートに表示を戻した。
「小四くらいまで、いつも久実さんとくっついて写っていたのが、堀川志帆って子なんだけど」
「よう名前までわかったな」
マウスをクリックして加工する前の写真を表示した。
「クラブ写真があったからね」
学校の体育館だろう。バドミントンのネットの前に、五、六人の女の子と先生が並んで写っていた。体操服のゼッケンに大きく名前が書いてあるのでわかりやすい。
がりがりに痩せた北野と、ぽっちゃりした堀川は肩を寄せ合って後列で身をすくめている。
「この学年で、卒業特集に写真が載ってないのは、この二人だけなんだな」
「一緒に転校したんか」
「時期はわかんない。堀川さんのほうは、東野小の卒業記事に名前が残っていた。久実さんのほうは何の手がかりもない」
「叔母ちゃんとこからは登校してへんかったんか」
「学籍までは調べようがないよ。ずっと不登校だったのかもしれないし。堀川さんに聞けば一番早いんだろうけど」
「お前、さっきから誰かが久実を引きずりまわしたみたいに言いようけど、そうなんか?」
「どういうことさ」
「久実が自分から逃げ出して隠れたんなら、叔母ちゃんがかばうのも理屈が通るやろ」
「……最初はそうだったのかもな……」
お母さんが亡くなったことで、小五の女の子が不登校になったって別におかしくはないと思う。環境を変えれば動けるようになるかと大人が考えて、親戚に預けるというのもありそうな話だ。
僕はもう一度、写真のなかの久実さんの顔を見た。冬子叔母さんに口元が似ている。智実さんよりは芯のしっかりした感じだし、澄実さんよりは落ち着いた印象だった。
「父方の祖母ちゃんは星が丘の特養やな」
「認知症だったりしたら会えても話ができるかなあ。茅島高には浜小出身者はいないのかい?」
「浜中からなら……玉造俊平か。野球部一年の」
「澄実さんと同じ学年だね。知り合いなら、ちょっと話きいてみてくれない?」
意外なことに、キアは返事をためらい、食べかけのオムライスにスプーンをつきたてた。
「あいつな。俺には話しとないやろ」
「何かまずいのか」
スプーンを口に運んで思案顔になる。
「鶏、炒めすぎたな。ぱさついとう」
「胸肉使ったせい……違うって」
思わずのせられかけて、あわててつっこんだ。キアは、仕方ないなとため息をついた。
「あいつは補講に来よるやろから、明日紹介しといたる。晩飯でも奢ったれ」
「僕が聞きに行くのか」
「特養の祖母ちゃんには俺が会うよ」
「知ってる施設か?」
「いいや。けど、介護施設なんてどこも似たり寄ったりやし、俺なら勝手がわかる。ひとりのほうが動きやすい」
「そりゃあ、まあね」
どちらも単独行動になるわけだ。ほんのかすかな不安がよぎったが、反論するほどの根拠は思いつかなかったし、キアの主張も理屈が通っていた。お年寄りや高一が中津さんより危険だとも思えなかった。
「オーライ。明日あさってはそれぞれの仕事をして、あさっての夜また相談しよう」
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