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第二章 脱皮 (9)

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2007/08/09 Thu.


 午前十一時半、東野中学校のグラウンドは運動部員でごったがえしていた。
 知った顔はひとりもいない。教職員には訪問の理由を説明できない。サッカー用ゴールの裏にたむろしている女子の一団に目星をつけて声をかけた。
「すみません。今、バドミントン部がどこで練習してるかわかりますか?」
 紺のスウェット上下を着て、地べたに座り込んでいた女の子がにらんできた。
「バトミントンするのは体育館に決まっとうやん。あほちゃう」
 ひとこと余計だよ、と頭の中だけで注意した。
「練習は休みかもしれないし、屋外で基礎トレの日かもってことを聞きたかったんだけどさ」
「きしょっ。なにが『けどさー』や」
 制服のスカートを思いきり短くした子が、僕の関東弁に反応した。
「じゃあ、体育館がどっちなのか教えてよ」
「知るか、タコ」
 あてもなくうろうろしたくはなかったので辛抱強く返事を待っていたら、スウェットの子に容赦なく追い打ちをかけられた。
「うざい。あっちいけよ、おじん」
「おじんはないでしょ。まだ高校生だよ」
 手鏡にかぶりつくようにして熱心に眉を抜いていた子がこっちを向いた。
「まあ、見られる顔しとうやん。兄ちゃん、ナンパにきたん?」
「届け物を預かっただけだよ。バド部がいないんなら出直すよ」
「まだおんのか、ボケ」
 罵倒を続ける友達を横にして、片方眉なしの子だけがちゃんと返事してくれた。
「体育館はあっちの校舎の間をまっすぐ行ったつきあたりよ」
「そうなの?ありがとう。それじゃ」
「用が済んだら一緒にカラオケ行かへん?」
「そうだね」
 愛想笑いをしてジーンズのポケットに手をつっこんだ。
「財布、忘れたみたい」
「かーっ、サイアク!なめとんのか。もう、消えろ」
 カラオケに誘ったのとは別の子にこきおろされた。
「ごめんね。この次はちゃんと用意してくるから……」
 後ろにいた誰かがばしんと背中をどやした。退散する時には小石を投げられたが、あたらないように加減はしてくれた。
 異文化交流だと割り切れば、つきあえない連中ではない。夏休みだというのに学校にたむろっているも、ほほえましい。
 あの子、眉毛抜かないほうがかわいいのに。もったいないな。

 体育館にたどりつくと、ちょうど午前中の練習を済ませた面々がひきあげてくるところだった。濃紺のポロを着た男子連中は卓球部だろうか。その後から、細身のラケットケースを肩にかけ、スポーツバッグをさげた女の子達が歩いてきた。
 せっかくのチャンスだ。思いきって大声で呼んでみた。
「堀川さん!」
 先頭を歩いていた女の子達の一団がさっと後ろを振り向き、声の主をさがして僕をみつけ、きゅっと凝集して小声でおしゃべりを始めた。ひとりの女の子がなかほどの集団を抜けて近づいてきた。
 堀川志帆さんの第一印象は「とがったところのない子だな」だった。マッシュルームのようなおかっぱなので、まるい顔が余計まるく見える。眼鏡のフレームもまるっこいし、鼻もまるい。身体もちょっと太めで、あまり長くない脚で小股に歩いてくるところは縫いぐるみのクマさんのようだ。
 堀川さんは用心深く、僕から一.五メートル離れたところで立ち止まった。頭のてっぺんが僕の肩よりまだ下にあった。見上げた顔は、小学生時代とあまり変わっていなかった。
「やっぱり堀川さんだ。人違いだったらどうしようかと、どきどきしてましたよ」
「部外者は校内立ち入り禁止ですよ」
 見知った相手ではないと確認したようで、役所の窓口のような返事をされた。
「そうですね。ご相談したいことがあるんですが。少しだけお時間いただけませんか」
 チームメイトの女の子達が、くすくす笑いながら通り過ぎた。なかには、わざわざ僕の背中を見に戻ってくる子もいた。ちょっと失礼だな、と思っていると、堀川さんが不機嫌な声で言った。
「あなたと一緒に歩け、というんですか?その格好で?」
 はたと気がついて、あわてて自分の背中に手をまわした。つるっとした紙の感触がした。引き剥がそうとすると、指にくっついた。
「やられた……」
 『税込二百十円』と、ゴシック体で印刷されたステッカー。百均ショップの食器コーナーでよく見かける、あれだ。紙切れをくしゃくしゃにまるめて顔をあげた時には、堀川さんはもうさっさと歩み去っていくところだった。
 今さら相手してもらうのは無理だろうが、このまま退却するのも癪にさわる。ちょっと陰険だと思ったけど、着替えを済ませた堀川さんのあとをつけて、国道沿いの進学塾の建物に入るところまで確かめた。態勢を立て直してリトライする心づもりだった。

 帰宅すると、僕あての葉書が届いていた。加茂川忠からだ。
「八月二日十一時、ミンミンゼミ。三日一時、アブラゼミ。五日十一時、クマゼミ……」
 頼んでおいたとおり、ここ数日間の観察結果を克明に記録してくれていた。頼りになる助手くんだ。何かごほうびも用意しておいてあげよう。


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