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第二章 脱皮 (5)

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2007/08/01 Wed.


 西小学校の門をくぐるのは何年ぶりだろう。校舎もグラウンドもその横のビオトープも、記憶していたよりずっとこじんまりと、かわいらしく見えた。たぶん、僕の背が伸びて視点が変化したからなんだろう。
 僕を追い越して、勇が職員室をのぞきこんだ。
「すみませーん、PTA室の鍵、借してくださぁーい」
 ひとり机に向かっていた年配の女性教師がこちらを向いて、あら、と声をあげた。
「烏丸くん、大きなったね」
「ごぶさたしてます、住吉先生」
「今は教頭先生だよぉ」
「母が資料の整理にくるはずだったんですけど、仕事がはいっちゃったんで。代理です」
「バイト代、もらわんとね。相当散らかってるわよ」
 先生から鍵を預かり、一部屋おいて隣のPTA室に向かった。
 室内は言われたとおり、長机にも床の上にも新旧の書類やアルバム、ビデオテープの箱などが乱雑に積み上げられ、今にも土石流をおこしそうになっていた。
「きったなーい。これ全部片づけるのぉ?」
「整理整頓は要領だよ」
 持参の段ボール箱を三、四個組み立てて並べ、大ざっぱに分別した書類を片っ端から放り込んでいく。いっぱいになった箱はあいた隅に並べて次の箱を組み立てる。箱の大きさをそろえてあるので、部屋の見栄えはどんどんすっきりしていった。
 思った通り、手前の混乱を片づけると奥の棚が見えるようになった。それなりにファイルされた資料が並んでいる。几帳面な役員さんが整理されていた時代もあったのだ。
 目当てのファイルは簡単にみつかった。市内の各小学校のPTA新聞バックナンバー。背表紙をたどって、浜小学校の過去十五年分くらいを抜き出した。
「お兄ちゃん、さぼり?」
「いいから、そっちは作業続けてろ。理科の宿題、片づけてやっただろ」
 浜小の新入学児童数は年々減少している。数少ない子供達を精一杯歓迎するように、毎年度の第一号は新入生の集合写真と全員の氏名を掲載している。三年前の記事にはちゃんと、加茂川忠も載せてもらっていた。
 毎年の記事をたどって、北野姓の子供をさがし、まだ入学していない末っ子を除く全員の入学年度を控えていった。次に、それぞれの六年後の最終号を抜き出した。こちらは卒業生ひとりひとりの顔写真と氏名、ひとことメッセージが定番の特集だ。もちろん、六年間に転出したらしい子もいれば、新たに転入してきた子もいる。北野家は転居していないから、子供達は当然そのまま、卒業特集に名前を載せてもらっているはずだった。
 おっとりした長女の智実。今はもう高校を卒業している年齢だ。
 はねっかえりの次女、澄実。今年高校一年生で、加茂川遙と同期。
 遙さんは転居してきた時にはもう中学生だったので載っていない。意外なことに、金髪の彼氏も同期生だった。京橋俊之という名前だと初めて知った。
 忠と同じ塾にいる四女の明実はまだ卒業していない。小学四年生。
 智実と澄実は浜小を卒業した記録がしっかり残っているのに、三女の久実だけが途中で姿を消していた。
 僕は、北野久実が入学してから、彼女の同級生達が卒業するまでの期間の新聞にもう一度目を通した。めぼしい記事の載っている号を茶封筒におさめ、整理作業に戻った。
 鍵を返しに行った時にも教頭先生は職員室におられた。
「必要な資料があったんで、ちょっとお借りします」
 茶封筒を降ってみせると、
「あわてて返しにこなくていいよ。夏休み中は用事もないし」
 先生は昔と変わらぬ笑顔で見送ってくれた。
 校門を出たところで勇がすねを蹴ってきた。
「悪党」
「嘘はついてないさ。算数も手伝ってやるから、母さんに余計なこと言うなよ」
「社会も教えてくれなきゃ、パパに言うよぉ」
「じゃあ、勝手にしろよ。来年から自分で自由研究やりな」
「兄ちゃんがいじめるぅ」
 コンビニで勇にアイスを買ってやって追っ払い、店の前の公衆電話ボックスに入った。備えつけの電話帳をくって、浜町西、北野朝一の番号をみつけだした。電話をかけると女の人が出た。話し方からすると、長女の智実さんのようだった。
「お忙しいところ、恐れ入ります。家庭教師のご紹介をさせていただいております」
「うちはーそういうのいらないんですけどー」
 こんな遠慮がちな話し方では、なかなか勧誘は断れないだろう。
「今年中学三年生のお嬢さんがおられますよね。夏休みの間だけでも、お考えになってみませんか」
「あのー中三の子はー今、家にいないんでー。えーと、私立中学の寮にはいっているのでー」
 受話器の向こう、離れたところで別の女性の怒った声が聞こえた。
 がちゃり。前触れなしに通話は切られた。
 やっぱり久実さんはあの家にはいないことになっている。中学受験をしたと言うなら、小学校はどこで卒業したんだ?人の良い智実さんをこれ以上困らせたくはないが、澄実さんや父親に聞くわけにはいかないようだ。今ある手がかりをたぐっていく他はないのだろう。


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