事故詳細

(事故No,19850812ja)

通称:日本航空ジャンボ機墜落事故

 1985(昭和60)年8月12日午後6時56分頃、羽田発大阪行き日本航空(日本航空インターナショナルの前身)123便ボーイング747SR46型機(JA8119)が、32分にも及ぶ迷走飛行の末、群馬県多野郡上野村の御巣鷹山の尾根に墜落した。
 この事故で運航乗務員3名、客室乗務員12名、乗客509名、計524名のうち、女性乗客4名を除く520名が死亡した。単独機としては世界の航空史上最悪の事故となった。
 事故機は午後6時12分羽田空港C滑走路を離陸したが、午後6時24分頃相模湾上空で機体後部に異常をきたし、操縦不能に陥っていた。運輸省事故調査委員会は、事故原因は1978(昭和53)年6月2日大阪空港で同機が着陸に失敗し、機体後部下面を滑走路に接触させる事故(「しりもち事故」と呼ばれている)を起こした際にボーイング社が行った後部圧力隔壁の修理に重大なミスがあり、運航を重ねるうち修理箇所に金属疲労が発生し成長、そしてこの日遂に機体の与圧に修理ミスの箇所が耐えきれなくなり崩壊し、吹き出した与圧された空気と、それにより生じた衝撃波で垂直尾翼が破壊されるとともに、4本の油圧系統全てに損傷を受け操縦不能に陥ったためであるとしている。
 しかし、パイロットや航空業界の人々の多くは、ボイスレコーダーの記録や生存者の証言から、少なくとも尾翼や油圧系統に致命的な損傷を与えるような急減圧は起こらなかったのではないかと疑問を抱いており、垂直尾翼が方向舵ヒンジ部の疲労など何らかの原因で先に崩壊し、その後で与圧隔壁の崩壊が起こったのではないかとの見方をする人も多い。さらに一部にはその垂直尾翼の破壊の原因は、自衛隊機と衝突したためではないかとの見解も見られる。
 本件を契機にボーイング社は、日本航空の要請を受け、ボーイング747に油圧パイプの切断の際油圧が全て抜けてしまわないようにする緊急遮断弁を設ける改修を行なった。

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著者名書 名出版社刊行年頁 数
柳田邦男死角―巨大事故の現場新潮社1985年頁〜頁
朝日新聞社会部編日航ジャンボ機墜落―朝日新聞の24時 (朝日文庫)朝日新聞社1985年
吉原公一郎ジャンボ墜落 (人間の科学叢書)人間の科学社1985年
吉岡忍墜落の夏―日航123便事故全記録 (新潮文庫)新潮社1986年
8・12連絡会おすたかれくいえむ毎日新聞社1987年
加藤寛一郎壊れた尾翼技報堂出版1987年
鶴岡憲一悲劇の真相―日航ジャンボ機事故調査の677日読売新聞社1991年頁〜頁
川北宇夫墜落事故のあと文藝春秋1992年
池田知加恵雪解けの尾根―日航機事故から11年鬼灯書籍1996年
宮城雅子大事故の予兆をさぐる―事故へ至る道筋を断つために (ブルーバックス)講談社1998年24〜37頁
飯塚訓墜落遺体―御巣鷹山の日航機123便講談社1998年
山崎豊子沈まぬ太陽 (3)新潮社1999年
山本善明墜落の背景〈下〉日航機はなぜ落ちたか講談社1999年163頁〜187頁
加藤寛一郎墜落〈第1巻〉驚愕の真実講談社2001年147頁〜213頁
米田憲司御巣鷹の謎を追う -日航123便事故20年-宝島社2005年
8・12連絡会編茜雲 総集編―日航機御巣鷹山墜落事故遺族の二〇年本の泉社2005年
※山崎豊子「沈まぬ太陽」はモデル小説であり、分類上はフィクションだが、綿密な取材に基づいており、内容の信憑性は高いと評価されている。
※本件については他にもたくさんの文献がある。
上記文献のうち現在も流通しているものについてはこちらで入手できます。
 


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