コラム
社員の化学日記 −第204話「ナンバー3」−
ミスタープロ野球長嶋茂雄氏が亡くなりました、私が子供のころの野球界のスーパースターで打順3(又は4)番、背番号3、守備位置はサードで3といえば長嶋の代名詞でした。
この『3』という数字、化学を生業とする者にとって記念すべき数字になりました。
長嶋がプロ入りしたのは1958年、その10年ほど前1949年の11月3日に科学界のスーパ―スター湯川秀樹氏が日本初のノーベル物理学賞を受賞されることが発表されました。
湯川博士は元素を形づける原子核の中に陽子と中性子が存在しており、その二つを結び付けている(中間子)というものを予言しましたが、 のちにイギリスの物理学者がパイ中間子を発見したことによって湯川理論が認められノーベル賞受賞が決定しました。
僕が湯川博士の存在を知ったのは1960年代の小学生の頃でした。当時は湯川博士という名前だけで天才と思っており雲の上の存在で「末は博士か大臣か」という言葉が取り沙汰さ れこの博士という言葉は湯川先生のことだと思っていました。
当たり前ですが小学生にとっては湯川博士の理論内容は理解できる由もありません。
しばらくしてテレビが各家庭に普及しはじめましたが今の液晶画面とは違うブラウン管、もちろん白黒画面の時代で鉄腕アトムという漫画が流行りましたがその作者の手塚治虫と湯 川博士を同様の立場にいる人だと思っていました。
ノーベル賞受賞発表日の11月3日にちなんで、この日を[物理の日]と日本物理学会が今年制定を決定しましたが、ニホニウムNhの原子番号が113であることも(第98話で話 題にしました)この日に決定した要因の一つであるようです。
ノーベル賞受賞発表日の11月3日にちなんで、この日を[物理の日]と日本物理学会が今年制定を決定しましたが、ニホニウムNhの原子番号が113であることも(第98話で話 題にしました)この日に決定した要因の一つであるようです。
ニホニウムは日本で初めて作られた元素で理化学研究所が亜鉛Zn(原子番号30)とビスマスBi(原子番号83)をぶつけ合って合成した元素で、 この原子番号にも『3』が含まれていることにも注目してしまいます。またこの実験は2003年に始められてから9年間の間にでき たのは3個と、偶然ながらここにも3という数字が現れます。
さて今年の11月3日、初めての物理の日、どんな話題が出てくるのか楽しみにしている毎 です。
【今田 美貴男】 <--
次のコラムへ>>