4月生まれの偉人伝

今日生まれの偉人達
1日 親鸞(しんらん)1173〜1262浄土真宗を開いた、鎌倉時代の僧。
「南無阿弥陀仏」と、念仏をとなえることによって極楽往生ができると説き、人々の心の救いに大きな力となった。「歎異抄」「教行信証」などの多くの著書がある。「「善人なをもて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」という、有名な言葉は親鸞の思想をよくあらわしている。
2日 ハンス・クリスチャン・アンデルセン(1805〜1875)デンマーク 童話作家
芸術童話の祖、童話文学の父と言われ、誕生日は「子供の本の日」となっています。童話、詩、小説、戯曲、随筆、旅行記などを書く他に、切り絵やスケッチなど、多方面に渡る才能を発揮した。「絵のない絵本」「親ゆび姫」「みにくいあひるの子」「赤い靴」など、多くの傑作童話は人類の宝とさえいわれ、童話の父として今も世界中の子ども達に親しまれています。
エミール・ゾラ(1840〜1902)フランスの小説家
3日 ヘムルート・コール(Kohl,Helmut)(1930〜)ドイツ 政治家
1982年、首相に就任。1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊後の東西ドイツ統一にイニシアチブを発揮し、1990年10月3日にはドイツ統一の偉業を達成。その後、欧州統合の旗手として活躍、16年の長きにわたって長期政権を保った。1998年ヨーロッパ連合(EU)の会議で欧州統合の功績をたたえ「ヨーロッパ名誉市民」の称号を贈られた。
4日 池田光政(1609〜1682)江戸時代初期の岡山藩主
江戸前期の備前岡山藩主。輝政の孫。熊沢蕃山を用い、諸制度を整え、農産業を開発し、学問の興隆をはかった。1654年備前に大洪水が起こると、光政は、蕃山の補佐を得て、飢民の救済に万全を期した。これをきっかけにして地方知行制を改め、藩主権力を強化するなどの改革をし、名君と呼ばれるようになった。
山本五十六(やまもと いそろく)(1884〜1943)海軍軍人
5日 ヘルベルト・フォン・カラヤン(1908〜1989)オーストリア 指揮者
貴族であり医者でもある父エルンスト、母マルタ・コスマチの次男としてザルツブルグに生まれた。1955年に、ベルリン・フィル首席指揮者・芸術監督に就任、翌56年、その終身芸術監督になる。これに続き、西欧の音楽界の枢要ポストを一手に収めたことから、「帝王カラヤン」と呼ばれた。
慈円(じえん)(1155〜1225)鎌倉時代の天台宗の僧、歌人。
6日 ラファエロ・サンティ(1483〜1520)イタリア ルネッサンス期の画家・建築家
画家である父やペルジーノに学び、フィレンツェに出て多くの聖母像などを描く。1508年以後ローマで活躍。バチカン宮殿の壁画装飾、サン‐ピエトロ大聖堂の設計にあたる。代表作「システィナの聖母」「アテネの学園」など。8歳のときに母親を亡くしたこともあり、聖母子をモチーフにした作品も多い。
7日 法然(ほうねん)(1133〜1212)浄土宗を開いた鎌倉時代初期の僧。
唐の善導大師の著した「散善義」を読んで開眼、念仏の人となる。「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることによってのみ仏に救われると説く浄土宗を開宗。京都に出て民衆や公家、とりわけ従来僧に近づけなかった婦人たちにも法を説いていった。貴族の仏教を民衆のものにした功績は大きい。
木梅太郎(すずきうめたろう)(1874〜1943)明治大正時代の栄養学者
鉄腕アトム(2003年4月7日生まれ)ロボット  (11月3日生まれ 作者 手塚治虫
8日 釈迦(紀元前560頃〜紀元前480頃)古代インドの宗教家 仏教の開祖
釈迦国の王子として生まれるが、人間の運命について深い悩みを持ち、妻子と国を捨てて、出家する。自我に執着する迷いから目覚めて無我の境地にたって安心立命すれば人は救われる、そのためには欲望をおさえ、修行をつみ、一切の生けるものに対して慈悲をおよぼせと説いた。
9日 佐藤春夫(1892〜1964) 詩人 小説家
慶応義塾大学中退。新詩社同人となる一方、生田長江に師事。永井荷風、谷崎潤一郎の影響をうける。1935年、芥川賞設立とともに銓衡委員になり、27年間委員をつとめる。詩集「殉情詩集」「佐久の草笛」、小説「田園の憂鬱」「晶子曼陀羅」などの作がある。
10日 ジョセフ・ピュリッツァー(1847〜1911)アメリカ ジャーナリスト 新聞経営者
ハンガリーからの移民として辛酸をなめるも、記者として活躍、その後「ニューヨーク・ワールド」紙を経営。巨大企業の専横に対する攻撃、「自由の女神」の台座作りの10万ドル基金キャンペーンなどで、巨大な部数と影響力をもつ新聞を作り上げた。遺言により「ピュリッツァー賞」が設けられた。
淀川長治(よどがわ ながはる)1909〜1998 映画評論家
11日 石井 十次 (1865〜1914) 社会事業家
岡山県の甲種医学校で勉強中、偶然、大師堂で巡礼者の子供を引き取ったことから孤児教育会をつくる。その後、医学の道をすてて孤児救済に自らの生涯を捧げることを決心。門田屋敷の三友寺に孤児教育会(のちに岡山孤児院と改名)を創設。その後、各地の孤児を引き取り、一時は1200人にも達し、全国にその名が広まった。
小林秀雄(こばや しひでお)1902〜1983 評論家
12日 オットー・マイアーホーフ(1884〜1951)生化学者
1992年イギリスのA・ヒルとともに、筋収縮に伴う化学反応の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受賞。その後、解糖作用の機構を研究し、反応経路を解明。また、解糖や発酵においてアデノシン三リン酸が果す役割も明らかにした。弟子のなかから、S.オチョア、G.ウォルド、K.ローマンらすぐれた生化学者が輩出した。
13日 トーマス・ジェファーソン(1743〜1826)政治家 アメリカ第三代大統領
1775年大陸会議に参加。独立宣言起草委員に指名され、歴史的文章である、独立宣言草案を執筆。ワシントンのもとで初代国務長官、民主共和党党首となり、1801年に第3代大統領に就任した。1803年ナポレオン治下のフランスと交渉し、わずか1500万ドルの支出によって「ルイジアナ購入」に成功。
14日 クリスチャン・ホイヘンス(1629〜1695)オランダ 物理学者・天文学者・数学者
振子時計・望遠鏡・色消しレンズを発明。自作の望遠鏡で土星の第6衛星(タイタン)及び土星の輪を発見。最も有名なのが光の波動説で、運河の水面上を広がる波面をみて、光は宇宙に充満しているエーテルを伝わる波動であると考え、ホイヘンスの原理を発表した。応用数学の事実上の創始者である。
アーノルド・ジョセフ・トインビー (1889〜1975)イギリスの歴史家・文明評論家
15日 レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)イタリア 美術家・科学者
絵画では、厳しい観察に基づいた人体・空間表現と深い精神性により、ルネサンス絵画の頂点を築き、「モナリザ」「最後の晩餐」などの作品を残した。天文学、物理学、地理学、水利学、土木学、機械学、造兵学等自然科学のあらゆる方面に、その才能を示し、ルネサンス期の人々が理想とした「万能人」の典型とされた。
16日 チャールズ・スペンサー・チャップリン(1889〜1977)アメリカ 喜劇映画俳優 映画作家
寄席芸人の子としてロンドンに生まれる。アメリカのハリウッドを中心に活躍。脚本、監督、主演を兼ね、チョビ髭、山高帽の扮装を考え出し、その扮装でユーモアとペーソスをふりまいた。現代文明を批判した「モダンタイムス」や、ヒトラーを弾劾した「独裁者」などがある。
ウイルバー・ライト(1867〜1912)アメリカの飛行機製作者 ライト兄弟(兄)
17日 板垣退助(1837〜1919)政治家
土佐藩出身。幕末、討幕運動を推進。維新後、参議となったが征韓論を主張して辞職。愛国公党を結成して民選議院設立建白書を提出する。以後自由民権運動を指導して自由党を創設。遊説の途上、刺客に襲われ「板垣死すとも自由は死せず」との名言を残した。のち、立憲自由党を組織し内相となる。
18日 フランツ・フォン・スッペ(1819〜1895)オーストリア オペレッタ作曲家。
オーストリアの作曲家。ウィーンの主要な劇場の指揮者を歴任。ウィーン風の軽妙さと、イタリア風の華麗な旋律は広く人気を集め、その劇場音楽は一世を風靡した。「スペードの女王」「詩人と農夫」「軽騎兵」「美しきガラテア」など多くの軽妙で明るい歌劇、喜歌劇を作曲。
19日 岡 潔(おか きよし1901〜1978 数学者
多変数解析関数に関する研究を行ない、未解決であったクーザンの問題第1、第2、近似問題、レビーの問題を決定的に解決し、戦後の世界の数学界に大きく貢献した。昭和35年度文化勲章を受章。数学論文のほかに「春宵十話」「春風夏雨」など、人間を主題にした多くの随筆がある。
20日 犬養毅(いぬかいつよし)1855〜1932 政治家
はじめての衆議院議員の総選挙(明治23年)に故郷の岡山から立候補して当選し以来毎回当選。一貫して政党政治の確立に貢献し、「憲政の神様」といわれた。書にもすぐれ、中国の政治家との親交も深く、情に厚い政治家としても知られていた。政友会総裁、文相、逓相を歴任。昭和六年首相となったが、五・一五事件で暗殺された。
21日 フリードリヒ・ウィルヘルム・アウグスト・フレーベル(1782〜1852) ドイツ 教育家
ペスタロッチに私淑し、多くの人に幼児教育の大切さを知ってもらうため、教育遊具を使って幼児を指導する先生を養成し、実際に幼児を指導する場を創ろうと考え、1837年世界最初の幼稚園を創設した。しかし、ドイツで幼稚園が広まり始めたころ、急に政府が幼稚園禁止令を出し、失意のうちに亡くなった。主著「人間の教育」。
22日 マヌエル・カント(1724〜1804)ドイツ 哲学者
近世哲学を代表する最も重要な哲学者の一人であり、いわゆるドイツ観念論の起点となった哲学者。人間の心の中には、感情にとらわれないで物事を考え、判断する理性があり、そのために人は正しく物事を考えていくものだと説いた。批判的 (形式的) 観念論、先験的観念論の創始者。著書に「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」等
イサベル(イサベラ)(1451〜1504)スペインの女王
23日 上村松園(うえむら しょうえん)1875〜1949 日本画家 (女性) 
16歳の時、内国勧業博覧会に「四季美人絵図」を出品、一等褒状を受賞。その絵が、来日中の英国皇太子の目にとまり買い上げられ、一躍有名になった。美人画家として活躍し「母子」「月雪花」「夕暮」「晩秋」など多くの名作を書き、昭和23年には、女性として最初の文化勲章を受章した。
24日 牧野富太郎(1862〜1957) 植物学者
小学校を中退し独学で植物学を学ぶ、主に日本の高等植物の分類学的研究を行い、日本の植物相の解明に貢献した。多くの新種を発表し、彼が命名した数は千種にも及んでいる、また、植物知識の啓蒙活動を行い、アマチュア植物研究家の育成に尽力した。彼の死後、文化勲章が贈られている。著「日本植物志図篇」「日本植物図鑑」「植物記」など。
25日 グリエルモ・マルコーニ(1874〜1937) イタリア 発明家
電磁波による無線通信機を発明、英仏間の通信に成功。世界ではじめての無線電信会社を作り。船舶の無線電信の道を開いた。1909年ノーベル物理学賞を受賞したほか、パリ講和会議のイタリア全権大使、1929年に侯爵に叙せられるとともに上院議員に任命され、また1930年イタリア王立アカデミー総裁に選ばれた。
オリバー・クロムウェル( Oriver Cromwell)(1599〜1658)イギリスの政治家
26日 ウィリアム・シェークスピア(1564〜1616)イギリス 詩人 劇作家
人間世界のさまざまな悲劇・喜劇を描き多くの名作を残した。人間の喜怒哀楽が会話の中に妙味とともに巧みに描かれている。「ヘンリー四世」「ジュリアス‐シーザー」などの史劇、「ベニスの商人」「真夏の夜の夢」などの喜劇、「ハムレット」「マクベス」「オセロ」「リヤ王」の四大悲劇のほか、詩集、ソネット集なども多数ある。
ウジェーヌ・ドラクロワ(1798〜1863)フランスの画家
27日 サミュエル・フィンリー・ブリーズ・モース(1791〜1872)アメリカ 画家 発明家 通信技術者
肖像画家として名をなし、デザイン学校をつくり、その所長をつとめた。が、電気にも興味を持ち、電流による通信を思いついて1837年電信機を発明。モールス(彼の名前モースがなまってモールスとなる)符号を考案して1844年にワシントン・ボルチモア間の通信に成功した。その後、モールス式装置を作る電信会社を作り経営者となった。
28日 島津斉彬(しまず なりあきら)(1809〜1858)江戸末期 薩摩(鹿児島県)藩主
富国強兵策を取り、積極的な開明思想の持主で洋学に関心を寄せ、反射炉建設・洋式軍需工業を起こし、藩内の革新派を登用、藩政改革に努めた。また人材の育成に努め、西郷・大久保らを登用し、精兵の養成にも力を入れた。将軍継嗣問題では,一橋派の中心となり幕末改革を図ったが急死した。
29日 田口卯吉(たぐちうきち)(1855〜1905)経済学者 歴史家
自由主義経済論の立場から『自由貿易日本経済論』を著わし自由放任と自由貿易政策を主張。日本の経済、政治、社会の発展に力を尽くし、鉄道敷設,鉱山試掘など実業界で活躍する一方、政界でも、明治27年衆議院議員となった。また、歴史に関心をもち「日本開化小史」を著わした。
中原 中也(なかはら ちゅうや)(1907〜1937)詩人
「これがわたしの古里だ。さやかに風も吹いている」
昭和天皇
第 124代天皇 (在位 1926〜89)
30日 カール・フリードリヒ・ガウス(1777〜1855) 数学者
3才で父の計算間違いを指摘、「言葉より先に計算を覚えた」といわれる。小学校のころ、9才にしてすでに等差数列の和の公式を見つけた話が有名。代数学の基本定理を証明、その著「整数論研究」で整数論にはじめて完全な体系を与えた。また、天文学、測地学、電磁気学にも大きな業績を残した。

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