石川虚舟
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 夏炉冬扇 
松尾芭蕉と老荘思想
 
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石川虚舟/俳句集
 
 
 
 

《随風庵の瓢》
  photo 2009.2.8

…我にひとつのひさごあり。
是をたくみにつけて、
花入るヽ器にせむとすれば、
大にしてのりにあたらず。
ささえに作りてさけをもらむとすれば、
かたちみる所なし。
あるひといはく、
「草庵にいみじき糧入るべきものなり」と。
まことに
よもぎのこヽろあるかな。
ものひとつ瓢はかろき我よかな     芭蕉
松尾芭蕉 『 四山の瓢 』 
『芭蕉俳文集』下、岩波文庫、p.35  
 
予が風雅は、夏炉冬扇のごとし。
衆にさかひて用(もちゐ)る所なし。
松尾芭蕉 『 許六離別詞 』 
『芭蕉俳文集』下、岩波文庫、p.128  
 
 
以夏進炉、以冬奏扇、
為所不欲得之事、獻所不欲聞之語。
其不遇禍、幸矣、何福祐之有乎。
…夏時炉以灸湿、冬時扇以翣火、
…不求自至、不作自成、是名為遇。
夏を以て炉を進め、冬を以て扇を奏(すす)め、
得んことを欲せざる所の事を為し、
聞かんことを欲せざる所の語を獻ず。
其の禍に遇わざるは幸いなり、何の福祐か之れ有らん、と。
…夏時の炉を以て湿を灸(あぶ)り、冬時の扇は以て火を翣(あふ)ぐ。
…求めずして自から至り、作(な)さずして自から成る、
是れ名づけて遇と為す。
王充『論衡』上 「逢遇  第一」 (明治書院)、pp.28-32
 
今、子有五石之瓠、何不慮以為大樽而浮乎江湖、
而憂其瓠落無所容、則夫子猶有逢之心也夫、
今、子に五石の瓠(ひさご)あり、何ぞ慮(くりぬ)きて、
大樽と為して江湖に浮かべずして、
其の瓠落(かくらく)として容るる所なきを憂うるや。
則ち夫子には、猶ほ
蓬の心あるかな と。
註:「蓬の心」=塞がった心
金谷治訳注 『荘子』 第一冊内篇(逍遥遊篇 第一)、岩波文庫、p.35
 
風狂も風流も世俗に対立する概念である。世俗から逸脱してゐる。
世俗の常識をもって健康とするからこそ狂でもあり、
変でもあることになり、
風流は世俗を無視するからこそ夏炉冬扇ともなるのである。
『唐木順三全集』第四巻 「詩とデカダンス」 (筑摩書房版)、p.43
 
⇒ 石川虚舟 《不繋之舟》 2007