しばらく
暫
【見どころ】
これ、正義の味方の大活躍を豪快に見せる荒事の代表作です。
その主人公の鎌倉権五郎景政は、要するにスーパーマンなわけですが、
敵から「わっぱ」と呼ばれるし、自分でも「当年ここに十八番」と言うから、
まだまだ少年、前髪もある若衆なんですね(そうは見えないけどね。笑)。
で、その少年が悪人相手に堂々と渡り合うという話なんで、
当然ながら、その堂々たる荒武者ぶりがいちばんの見ものでやんしょう。
顔には紅の筋隈、五本車びんと言われる妙な髪型、成田屋(團十郎家の屋号)の
三升の紋を白く抜いた柿色の衣裳は、袖がまるで凧のよう(一見ガンダムっぽい。笑)
で、2mはあるかとゆー大太刀を差してまして、すごくデカく見えます。
花道で長々と述べるツラネ(半分は何言ってんの〜?なんですが。苦笑)は聞きどころ。
追い返そうとする悪人方とのやりとりは滑稽で笑えます。
花道から舞台に進んできて決まる見得は“元禄見得”と言われているそう。
最後に権五郎がはねた悪人達のつくりものの首を、ゴロン、と
黒衣が投げ出すのも御愛嬌。荒唐無稽もおおらかな、魅力に満ちた一幕です。
なお、悪人の大将はウケと呼ばれる公家悪で、その家来の赤っ面、
道化方のなまず坊主や女なまずなど、個性的な役柄も面白く見ものです。
【あらすじ】
鶴岡八幡宮では清原武衡の関白宣下の式が行われようとしていた。
そこへ、加茂次郎義綱、その許婚の桂の前、加茂家家老の宝木蔵人貞利らが。
義綱らは紛失した加茂家の重宝国守の印を捜しているのだが、今日は
朝廷の繁栄を祈って大福帳の額を奉納しにきたのだ。
だが、なまず坊主の鹿島入道震斎や女なまずの照葉たちを従えて出てきた武衡は、
早くも天下を手に入れたかのような衣裳をつけ、思い上がった様子で、
かねがね遺恨のある加茂家に言いがかりをつける腹。
桂の前を差しだして家来になれ、できぬというなら成敗してやるわ、
と成田五郎を呼びだした。義綱たちが今にも斬られようとした、そのとき、
「しばらく」と声がして、加茂家の忠臣鎌倉権五郎景政があらわれる。
とんだ邪魔が入り苦々しい武衡は、追い払えと家来達に命じる。
震斎、照葉と、家来たちが代わる代わる追い返そうとするが権五郎は動じない。
それどころか、ずんずんと近寄り、武衡の悪を次々と暴き立てる。
言い逃れようとする悪人達の中から、国守の印も雷丸の名刀も取り返した、と、
なんと照葉が進み出る。実は照葉、加茂側のスパイだったのだ。
重宝が戻り、御家は安泰と喜ぶ加茂側。
最後のあがきで討ちかかろうとする者を、権五郎は一太刀で首を打ち落とし、
「弱虫めら」と捨てぜりふを残して、意気揚々と引き上げて行くのだった。
【うんちく】
初代市川團十郎によって元禄五年(1692年)に初演されたものが最初らしいが、
現存する台本として最も古いのは元禄十年に上演された狂言の一場面だとか。
どっちにしろ、はるか昔の話である。二代目の團十郎もこれを演じて以来、
十一月の顔見世狂言には必ず演じられる慣習があったという。
「暫」という外題は、もともとは俗称で、主人公が「しばらく、しばらく」と
言いながら登場するところから、そう呼ばれるようになった。
それが外題として定着したのは、歌舞伎十八番に制定されてから、だそうだ。
現行の脚本は、明治二十八年(1895年)に福地桜痴が改訂し、
九代目團十郎が演じたものが基本となっているらしい。