【演目に関する言葉】


かぶきじゅうはちばん
歌舞伎十八番
七代目の市川團十郎が自分とこの得意芸を家の芸として選んだもの。“歌舞伎の最たる演目”というような意味合いではないので誤解のないように。とはいえ、歌舞伎を見たなぁという感じをビギナーに抱かせてくれるのは、やっぱり「歌舞伎十八番」の中のいくつかの演目かもしれないと思いやす。「勧進帳」「助六」「暫」「鳴神」「外郎売」「矢の根」「毛抜」などは上演される機会も多いので、比較的お目にかかりやすい演目です。なお、團十郎家には「新歌舞伎十八番」とゆーのもあり。こっちは十八番とか言いながら32もの演目が制定されており、とてもじゃないが覚えられない(苦笑)



げだい
外題
もともとは上方歌舞伎の言葉で、芸題と言ったのが語源みたいですな。要するに、演目のタイトルのことです。歌舞伎では、おなじ内容の演目が違うタイトルで上演されることがままあり、その辺はちょっとややこしいかも。



さんだいきょうげん
三大狂言
歌舞伎の演目の中でも傑作中の傑作と呼ばれる三つの演目。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」を指します。いずれも人形浄瑠璃の傑作を歌舞伎に移植した丸本物です。



じだいもの
時代物
江戸時代から見た時代劇、と思えばいいのかも。一般庶民が知ってる程度の安土桃山時代以前の日本史や伝説・伝承のさまざまな事件を題材にした演目を指す。たとえば、神話を題材にしたのは「神代物」、平安時代の公家社会を題材にしたものは「王代物」と称される。あと、同時代(江戸時代)に起こった事件を時代劇に見立てて上演したものも時代物に分類される。というのは、当時の武家社会で起きた事件を扱うのはタブーだったため、時代劇にすり替えて上演していたからなんですねぇ。その最たるものが忠臣蔵。元禄時代の事件をちゃっかりと太平記の時代の話にして上演してます。これぞ庶民の知恵。で、こういった武家社会を題材にした演目は「御家物」とも呼ばれます。



しゃっきょうもの
石橋物
能の石橋をもとにして歌舞伎の舞踏に仕立てたもの。獅子物です。たてがみのような長い毛を豪快に振り回す、その独特の姿は人形の題材にもなっているので、歌舞伎を見たことのない方でも一度ご覧になれば「あぁ」とひざを打つはずです。有名どころでは、実の役者親子が親獅子と子獅子を演じて代々の御贔屓さんを喜ばせる「連獅子」や、前半は奥女中としてたおやかに踊っていたのが後半には一転して勇壮な獅子の舞を見せる「鏡獅子」などが石橋物の演目です。



しらなみもの
白浪物
盗賊を主人公にした作品を呼ぶ。白浪とは、中国から来た言葉で、もともとは白波賊と呼ばれた盗賊団のことだったとか。歌舞伎で白浪といえば、白浪五人男をはじめとする河竹黙阿弥の作品が有名。



しんかぶき
新歌舞伎
明治以後につくられた新作歌舞伎のこと(新作とは言え、現代人から見れば明治だって十分に古いんですが・・・)。坪内逍遥の桐一葉などが新歌舞伎の最初らしいです。その後、岡本綺堂、山本有三、真山青果、長谷川伸、大佛次郎、三島由紀夫などの文学者たちが新作歌舞伎を手がけていたりします。緞帳を上げ下ろしする演目があったら、それが新歌舞伎。また、演出者の名前がついていたら、それも新歌舞伎です。



せかい
世界
いわゆるインターナショナルなワールドじゃぁござんせん。歌舞伎で世界と言うときは、その演目の背景となっている物語の大枠を示します。時代や事件、登場人物など、戯作者がストーリーを展開するうえでの基本的な約束事をあらかじめ決めたものです。歌舞伎は庶民の娯楽だったから、初めて見る演目でも、みながみなその物語に溶け込める分かりやすさが必要とされたのでしょう。だから、「太平記の世界」とか、「平家物語の世界」とか、当時の庶民一般に広く知られたものがほとんどでした(現代人には縁が薄いけど)。たとえば、義経千本桜も勧進帳もおなじ「義経記の世界」。なのに、ずいぶんと印象が違うのは、戯作者の創意工夫によるところが大きいから。世界という大枠の中でどんな趣向を凝らすかが戯作者の腕の見せどころだった、というわけですね。



せわもの
世話物
当時の市井の町人の活躍を描いたもので、時代物に対する呼び方です。江戸時代の現代劇、と思えばいいかな(現代人から見れば十分に時代劇ではありますが・・・)。実際に起こった心中や殺人事件を一夜漬けで劇化して上演したこともあったらしいです。そうなると、もはやニュースですね。瓦版と速報を競っていたのかもしれやせんね(なんか、バタバタしてそうだけど楽しそうだなぁ。そういうの、江戸時代にタイムスリップして見てみたい気分)。また、両者の違いとしては時間軸の他に、フォーマルとカジュアル、といったニュアンスの違いもあるかなぁ・・・と思います。



ない まぜ
綯い交ぜ
戯作上のテクニックで、まったく関係のないふたつ以上の世界を混ぜ合わせてひとつの物語にしちゃうことを言うそうな。もともと歌舞伎の戯作は「これこれこーゆー世界の話ですよぉ」というお客さまとの暗黙の了解のうえに成り立っていたんですが、そこを突くとゆーか、「そんなのは面白くもなんともねぇ」とばかりに斬新な話や意外性を追求したくなっちゃった戯作者がいたんでしょうねぇ。これを得意としたのが、大南北とも呼ばれる四代目の鶴屋南北(わっちの大好きな戯作者でやんす。えへへ)で、社会の最下層に位置するような人たちをも生き生きと写実的に描き出しました。それらの作品は、生々しい世話物という意味でしょうか、「生世話(きぜわ)と呼ばれます。



まつばめもの
松羽目物
能舞台をまねた大道具で上演する演目のこと。衣装や演出も能をまねています。大きな根付きの松が描かれた板が背景にあったら、それは松羽目物でありんす。なぁんて分かりやすい(笑)。じゃぁ、題材も能からとっているのかとゆーと、全部が全部じゃぁないんですね。勧進帳なんかは実際に能を題材にとっているんですが、まったくのオリジナルをあたかも能からとったように演出して、しらばっくれてる演目もあるみたいです。そういうところが、ねぇ、なんとも歌舞伎って面白い。



まるほんもの
丸本物
人形浄瑠璃の作品を歌舞伎に移したもの。義太夫物、義太夫狂言とも呼ばれます(丸本というのは義太夫節の書かれた本のことらしいっす)。元禄の時代、爆発的なブームになってた人形浄瑠璃の人気にあやかれとばかりに、それをちゃっかりと歌舞伎に移植したら、なんとものすごい大当たりをとったらしいんですね。んで、次々と人形浄瑠璃の傑作が歌舞伎化された。二匹目、三匹目のドジョウを狙う商売人が多かったということでしょうか(笑)。歌舞伎の三代狂言と呼ばれる傑作演目はみな、この丸本物です。ほんとーに傑作です。本さえよければ、という気もしてきますが、本がいいから役者も気を入れて演ずるようになり、役者がいいからお客さんが喜んで傑作だとたたえる、という良循環なんだろうなぁと思います。