【役者の演技・演出に関する言葉】


あらごと
荒事
わっちもそうでしたが、歌舞伎と聞いて一般に思い浮かべるのは隈取りだったりするんではないでしょうか。それって、実は荒事の演出方法のひとつだったりするんですよ。荒事とは、元禄時代に、江戸の名優だった市川團十郎がはじめたとされている特殊な演技・演出様式のこと。歌舞伎のごく一部です。はじめの頃は荒い事、荒武者事などと言われていたらしく、豪快で、ともすると単純で、荒々しく見えるのが特徴です。



えび
海老ぞり
この言葉は解説などしなくても、どんなしぐさかは分かるでしょう? そそ。海老のように背中をぐぐっと反らせて見せる。これ、ちゃんとした演技です。すご〜く重い衣装、しかも胴回りに帯なぞしめた状態でやるんですよ。身体かたくちゃできまへん。女形さんは実はとても重労働。かなり身体を鍛えていると思いまふ。



かた

歌舞伎は型の演劇です。長い歌舞伎の歴史の中で多くの役者さんたちの創意工夫によって練りに練られて洗練されてきた表現が、理想的な型として後世に伝えられています。決まり切った型を変えずに踏襲しているという側面は保守的とも受け取られがちだけど、そうした究極の型をつくりたいと演じてきた役者がいたわけで、かなり冒険心に富んでいたのではないかと想像しています。いまも創作歌舞伎にチャレンジする役者さんも少なからずいるわけで、もうこれ以上の手の加えようはないと思われる型にもどんどん挑戦する役者さんが出てきたら、もっと歌舞伎は面白くなるんじゃないかなぁ、と思ったりもします(その分、観客も見る目を養わないといけないけど・・・)



かみこ
紙衣
紙でつくった着物だよと図式化した衣装。もちろん本物の紙じゃぁない。紫に金糸・銀糸で文字を描いている派手な衣装ざんす。ま、イメージとしたら新聞紙を身体に巻いてる感じ? にしちゃキンキラキンだけどね。



かみす
髪梳き
恋しい男の髪を、女が櫛で梳き上げる。「それが、どうしたの?」って感じだが、これが歌舞伎のラブ・シーンの描き方だったりして。奥ゆかしい。



くどき
日常の言葉にも口説くって、ありますね。自分の意に従わせようとあれこれ言うことですが、歌舞伎の場合は、登場人物の心情を切々と述べ立てることみたいです。もともと楽曲に関する言葉で、くどくどと同じような節を繰り返し語る部分を「くどき」と呼んだようですが、それが浄瑠璃に入って、哀切を帯びた聞かせどころになっていったとか。聞かせどころは役者さんの見せどころでもあり。ならば、しっかと見届けましょう。



くまど
隈取り
顔にぼかした筋を入れる歌舞伎独特の化粧法。いろいろな隈の取り方があって、それぞれに名前もついているみたいだが、そこまで覚える必要はないと思う。赤い隈は正義、情熱の持ち主、藍色の隈は邪悪、陰なる性質の持ち主、茶色の隈は妖怪や鬼畜の変化と大ざっぱに覚えておくだけでも分かりやすい。



けれん
意表を突く仕掛けや手法を用いてウケを狙う、見せ物的要素の強い演出のこと。早替りや宙乗りも、けれんの一種です。物語本来の筋とは関係のないところで観客が沸いたりするから、正攻法じゃない外れたやり方とも批判されることがあります。でも、わっちゃぁ歌舞伎にけれんがなかったら、ここまで好きになったかどうか疑わしいと思っている。面白いものが見たい、それが観客の正直な気持ちだもん、ね。



じつごと
実事
荒事が力強く荒々しい動の演技だとすると、実事は落ち着いた静の演技。荒事が無邪気な子どもだとすると、実事は分別のある大人の男。もっと極端に言っちゃうと、荒事は型、実事は心。静かなる中に秘めたる強じんな精神力までをも描き出さねばならないようで難しいらしいです(もちろん荒事だって難しいみたいなんですがね。実事の難しさの方が、現代人にも分かりやすいということでして、と言い訳)



しょうね
性根
こころね、ってことですね。日常でも「あの人は性根がいい」とか「悪い」とか、または「座っている」とか言ったりします。歌舞伎では「役の性根」という使い方をして、性根をつかんだ演技ができているかどうかを重要視しています。どんなに上手く演じているように見えても、うわべだけ、つまり型だけなぞっているようなのはダメ、ということらしいです。そりゃ、もっともだと思いますが、素人には善し悪しの差が見分けにくいのが厄介ですね〜。わっちも、その辺は分からない(苦笑)



タテ
この言葉、TVの時代劇なんかでもおなじみですね。争いや喧嘩、捕物などの場面で見られる、いわゆる立ち回り。これ、実は型の演技の組み合わせ技なんですって。立ち回りの型は、なんと200種類もあるとか。その中からいくつかの型を、見た目にも美しく流れるように組み合わせて、ひとつの場面がつくられているというわけです。こうした特別な仕事をする人が、芝居全体の演出とは別にいて、タテ師と呼ばれています。



だんまり
大勢の登場人物が出ているのに、誰ひとりとして何もしゃべらず、妙にゆっくりした動きで、あっちへうろうろ、こっちへふらふら。「ねーねー、何してんのぉ?」と思っちゃう場面があったら、それが、だんまり(笑)。暗やみの中でお宝なんかを手探り状態で探してる図、と思ってくださいな。要はパントマイムです。特にストーリーがあるわけでもないので「なんじゃらほい?」と戸惑うやもしれやせんが、そういうものだと思って見るが肝心。



ちゅうの
宙乗り
役者の身体を宙に吊り上げ、空中を移動させる演出手法。超現実的、超人間的な表現として使われます。これが、はるか江戸時代から行われていたってんだから、すごいです、歌舞伎って。いまの役者さんでは猿之助さんが宙乗りの第一人者でしょうか、ね。人気ありますよね。やっぱり見てて驚きがあるし、スペクタクルだもん。



ツラネ
力強く雄弁に、または朗々と歌うように、あるていどのまとまった長ぜりふを言うこと。つらつら語る音色、ってことかなぁ(と、かってに思う)。声じゃぁなくって音色、ってとこがポイントかもしれん。役者の声は楽器と同様?

では
出端
役者が花道を通って本舞台に来るまでの演技。歩いてくる、そのこと自体が役者の見せ場になってるのが面白い。チャリッと揚げ幕が上がって、花道に一歩出た瞬間から、この世はすべて俺のもの。ほらほら客の視線と心が俺様にくぎ付けになってらぁ。・・・なぁ〜んて手ごたえが感じられたら、やっぱり役者冥利につきるんだろうなぁ、などと思いながらワクワクして見ちゃいますね。



といただおし
戸板倒し
立ち回りの中で行われる演出なんですが、2枚の戸板を並べて立てて、その上に戸板を渡します。で、渡した戸板の上に役者さんが立つんですよ。支えを離せば、戸板は役者さんを乗せたまま、とうぜんドゥと倒れまする。「わぁ!」っと思わず見物から声が上がるくらい、超迫力もんです。役者さんは、もちろんうまく着地するんですが、勇気あるなーと、そりゃもー拍手喝采でんがな。



とおみ
遠見
登場人物などが遠くにいることを表現するために、歌舞伎ではどうするかというと、その人物と同じ衣装をつけた子役を出して動かしたりするんですね。このように遠近感を演出する方法が遠見。舞台に奥行き感を出そうとして編み出された手法なんでしょう。子どもだましみたいだけど、「なるほどぉ!」とちょっと感激する演出です。



トンボ
立ち回りの時に、主役にからむ人たちが、クルリと前に返ったり、後ろに返ったりして魅せてくれる技。ジャニーズ系のアイドルもトンボを切るのが得意だから、みなさん知ってるよね〜?



にん

「仁にあった」とか「仁じゃない」とか、役者さんが演ずる役にあっているかどうかを論じるときに使われる言葉。歌舞伎に独特のものかもしれません。誤解を覚悟で簡単に言っちゃうと、見た目からくる雰囲気が役にあうかどうか、ということ。役者さんの身体つきや顔形、備わっている雰囲気が、演じられる役を限定していく、とも言えます。どんなに演技がうまくても仁じゃないと演じられないということがあるようだから、役者さんとしたらちょっと辛いかも・・・。



にんぎょうぶ
人形振り
人形の振りまね、ってこと。背後の黒衣に操られているかのように、ギクシャクした動作をする。その姿は、まるで等身大の人形。人形振りの見られる演目では櫓お七が有名。



はおりおと
羽織落し
一目ぼれの瞬間を、誰がどこから見ても分かるように表現した、歌舞伎独特の演出の型。美しい女性に心奪われ、ボーッとしちゃって、羽織が肩からずり落ちたのにも気がつかないってゆーんだなぁ、これが。・・・なんだかなぁ、間抜けだなぁ・・・と思っちゃたりなんかしないように(苦笑)



はやがわ
早替り
ひとりの役者が同じ場面で二役以上を演じわけるための、けれんの手法のひとつ。短い時間でパッと衣装はもちろん性根も替えて変身したら、もうそれだけで拍手喝采。役者さんは大変だろうけど、見てる方は楽しい以外の何ものでもない。まさにファンタジックな歌舞伎サーカス。やんや、やんや。早替りの妙が見られる代表的な演目は、お染の七役、伊達の十役などがあります。



ひ   ぬ
引き抜き
舞踏や演技の途中で一瞬にして衣装を替えてしまう、歌舞伎マジック。二枚重ねの衣装の袖や裾につけられた糸を後見が引き抜く。すると上の衣装がバラバラになるので、それをパッと取り去ると、見事に下の衣装があらわれ、拍手喝采を浴びるという寸法。当然ながら役者と後見の息があってないとうまくいかない。



ひっこ
引込み
出端と同様、歌舞伎では、役者が舞台から退場するときに演じる演技・演出を「引込み」と呼んで大切にしています。有名な六法も引込みの演技のひとつ。役者が立ち去っていく印象を強くアピールして、舞台の余韻を残そうとするかのよう。これでもかこれでもかと瞼の裏に役者の残像を刻みつけようとしているかのようで、実際、お芝居を見終わった後にも「瞼を閉じりゃぁ・・・」でありんす。



    かえ
ぶっ返り
隠していた本性を現すなど役の性格が変わったことを見た目にも分かりやすく表現するための演出手法。衣装の上半分が二重になった特別な衣装が用いられる。着ていた衣装の肩、袖、襟の部分をとめていた糸を引き抜き、上身ごろをパッと下に垂らすと、瞬時にまったく別の衣装に替わったように見える仕掛け。正体にふさわしい色や絵柄の衣装となり、実に見事。



ほとけだお
仏倒れ
前へバッタリと倒れる荒技。義賢最後の場面が有名。息が絶え、硬直した状態で倒れるってゆーんだからさぁ、すごいのよぉ。それも前へ、よ。鼻血ブーにならないのかしらん、とヒヤヒヤもんで手に汗にぎること間違いなし。それだけに、うまく倒れた後は拍手喝采となるんだが、役者としては勇気いるんだろうなぁ、やっぱし。



みあらわ
見顕し
隠していた身分や本性を見せること。クラーク・ケント、実はスーパーマン、というのと同じでやんすな。こういう例は、古今東西いっぱいあるから分かりますよね? スーパーマンは衣装を替えて颯爽と登場しますが、歌舞伎でも同様に衣装を替えるなどして、本性を見せたと誰にでも分かるような演出をします。



みえ
見得
歌舞伎といえば見得でさぁ〜ね。役者が一瞬、それまでの動きをピタッと止める。見るからに絵画的、彫刻的な美しさでやんす。見得にも型がいろいろあって、「絵面の見得」「元禄見得」「石投げの見得」「不動の見得」「天地の見得」など名前がついているようです。んで、その見得。近場で見ると荒事役者の目が寄っている。あ〜、見たことあるよ〜。これって浮世絵じゃん? はい、そのとおり。浮世絵って写実だったのね、と感心させられる瞬間でもありんす。でも、この瞬間って、見慣れてないと間が悪く感じちゃったりもするんですよね・・・(苦笑)慣れましょうねぇ、みなさん。



みた
見立て
文字通り、見立てること。観客がよく知ってる形に見立てて、それを連想させるような特別な形をつくること、だって。たとえば曽我の対面の最後に登場人物が富士山に見立てた見得をして、お正月のおめでたさを演出するとか。ふ〜ん、そうだったのか。今度よく見てみよう(苦笑)説明されないと分からないのは、わっちが現代人だからか・・・。




もどり
悪人が心根を入替え、元にもどること。悪いことをしたのは実は「これこれこういう訳で」と本心を語って死んでいくことが多い。○○とは仮の姿で実は△△、と姿から何から悪人に変わっちゃうのがぶっ返りですが、こっちはその反対ですかね。姿は変わらずに本心だけをさらけ出すという演技です。



ろっぽう
六法
歌舞伎独特の引込み芸の型。勧進帳の弁慶の飛び六法が有名。その他にも狐六法、傾城六法など、いくつかの型があるそうだ。



わごと
和事
荒々しく雄々しい江戸の荒事に対し、上方で起こった和事は、文字通りやわらかな感触が持ち味。はんなり、こってり、という言葉で形容される味わいも。また、荒事が荒唐無稽な筋が多いのに対し、和事はよりリアルなものが多いのも特徴。



わた
渡りぜりふ
ひとつのつながったせりふを、いくつかに区切って、ふたり以上の人物が順々に言っていくもの。これはけっこう頻繁に見られる演出方法です。



わり
割ぜりふ
ふたりの人物がそれぞれのせりふを一句ずつ交互にしゃべるもの、だって。このHPのために調べ事してはじめて知った(笑)。これについちゃぁ注意して見たことがなかったけど、「十六夜清心」の清心と求女の掛け合いがこれかな?