産地について

巨椋池干拓田について

京都市伏見区南部、宇治市西部、久御山町北東部にかけては、今から約80年前の干拓事業完了まで巨椋池という巨大な池(規模的には湖)が広がっていました。

その大きさは東西約4km、南北約3km、周囲約16kmで、面積は約800haと、甲子園球場の約200倍もの広さがありました。

北から桂川、南から木津川、東から宇治川がこの巨椋池で合流し淀川となって大阪湾へと注いでいました。

3本の大河川の合流地である巨椋池は、増水時には洪水の常習地帯でもあり、また、京都盆地の低いところにあったことから水はけも悪く蚊の大流行を招いたことから、昭和8年(1933年)~昭和16年(1941年)に国営初の干拓事業が行われ、その後農地の払い下げによって一大穀倉地帯へと生まれ変わりました。

現在では、京都と大阪に挟まれた都市近郊の強みを活かして、米だけでなく野菜や花きなども生産されている一大農業地帯です。