袴谷憲昭氏の『維摩経批判の誤り

 
 私は僧でも仏教徒でもない只の一般人で仏教のことはほとんど知らない。その私が元仏教大学教授である袴谷氏の論説を批判するのはもっての他だと普通の人なら考えるに違いない。
 
 しかし、私は独学で20年以上掛かって釈迦の到達したものいわゆる悟りなるものに到達したので、仏教の何が誤りで何が正解かはほぼ分かるのである。悟りとは、説くものもなく、示すものもないが本道であり、釈迦は便宜上「空」と呼称したが、その「空」は決して無意味な「空」ではなく有意味な「空」なのである。
 
 「空」のことを「一法」と呼称する禅僧も多々いるが、「空」つまり「一法」とはこの天地に存在する絶対の真理であり、比較すべきものもない唯一無二の真理なのである。

 頓悟入道要門論の大珠慧海は、愚者を装うぐらい謙虚な人だが、その人柄に引かれ弟子入り志願者が後を絶たなかったが、そのたびに「私は禅を会得しておらず、また一法は人に示すものは何もないので、どうかお引取り下さい」と帰している。徳山もこういった言葉を吐いている。

  我語句無く一法の人に与ふるもの無し
 
 到達した頂点が無意味な「空」であればたしかにそれは虚無だが、釈迦が到達したものは有意味な「空」で有り、決して無意味な「空」ではないことを私は言いたい。
 
 そうでなければ江戸時代の二人のひとかどの剣客が更なる極意を求めて参禅するはずもなく、また参禅して到達したものに大満足したことが、自らの新しい流儀に禅語を冠したことでも分かる。
 
 江戸時代の剣客辻月旦が悟りに到達したときに、辻月旦の師であった禅僧石潭は遷化していたが、その後を継いだ二代目神州が、石潭の名によって辻月旦に与えた偈にもある。

    一法実無外 (一法実に外無し)
    乾坤得一貞 (乾坤一貞を得)
    吹毛方納密 (吹毛まさに密に納む)
    動着則光清 (動着すればすなわち光清し)

 一法すなわち絶対の真理以外なにものもない。この天地に存在する唯一無二の真理を得た。何物にも劣らぬ剣は、まさに胸三寸に納まっているのである。わずかに動けば光が燦然と輝く。
辻月旦がこの偈を受けて、これより流儀を「無外流」と改めたことは周知の事実である。
 
 辻月旦より20年ほど後に生まれた針ヶ谷夕雲は、「真新陰流」の開祖である小笠原長治の門人で、伝説の技とされる「 八寸の延金 」を相伝されて生涯52度の試合で一度も敗れなかったという。それでも飽き足らず彼は、本所駒込龍光寺の虎白和尚に参禅しついに禅の極意に到達し「無住心剣流」を編み出した。当然、「空」が有意味ゆえに出来たことであり無意味な「空」では何の取り柄も無い仕儀になるはずである。
 
 
「一法」の感化による剣の極意を会得すれば、命のやり取りすら滅多に負けることはないのである。という事は命の次に大切な金のやり取り、つまり相場のことだが、滅多に負けることはなくなるのではないだろうか。

 「一法」を応用、活用すれば、人類の垂涎の的である相場の極意を手に入れる事が出来るのではないだろうか。私は今までの投機方法を止め「一法」に特化した投機方法に改めた。まだ日は浅いが驚くべき成果が得られた。

 絶対の真理であり、唯一無二の真理である「一法」を応用、活用した結果が次の表である。これはどういう場面で売りどういう場面で買ったか皆に知れ渡ればせっかくの極意も無効になるので、売りか買いかも分からぬようにし、取引日も決済した年と月だけの記載にした。この記載は証券会社のCSV出力によりダウンロードした売買報告に基づいているので、公開こそ出来ないがいつでも証拠を示すことは可能である。

 これは一種の実験のようなものなので、投機数量を少なめにしたが、数量を増やせば莫大な利益に繋がるはずである。その結果は折を見て報告する積りである。一つだけマイナスがあるが、これは私が「一法」の応用、活用を誤ったもので、真剣勝負なら命を失っていたところであった。
     

   銘柄  売買  数量   売買日時  決済結果
CFD原油 5 令和5年9月 +2200円
CFD原油 5 令和5年9月 +4420円
ネクステージ 100株 令和5年9月 +11720円
225先物ミニ 令和5年10月 +35890円
CFD香港 5 令和5年10月 +44160円
CFD米国J30 5 令和5年10月 +43970円
225先物ミニ 令和5年10月  -43600円
225先物ミニ 令和5年10月 +50800円


 差し引き端数は切り捨て149,560円の利益だが、実は本来はあと10万ぐらいの利益を上乗せできたのであるが、「一法」の応用活用が十分に発揮できず逡巡する場面もありみすみす見逃した銘柄も2、3ありほぞを噛んだ次第である。決して多くない玉でこれだけの利益を上げられたのだから、「一法」の応用活用方法が完成して玉を多くしたときの利益は計り知れないものがあるはずである。これからも順次商いの結果は発表して行く積りである。
 
 
「悟り」つまり「一法」とは説くものもなく、示すものもないものだが、この天地に存在する絶対の真理であり、比較すべきものもない唯一無二の真理である。「一法」に到達すれば、生死の動静を超越でき、剣を学べば必勝の極意を知り、相場に参入すれば高下の極意を知り、茶道、華道、絵画、短歌、俳句などの頂点もどうあるべきかを知る事が出来る。「一法」こそ諸事万端の最強の極意なのである。
 
 2023年(令和5年)10月頃から225先物は上昇して令和6年3月には4万円台を突破した。しかし、一法を極めていればその波長に逆らって売りから手掛けても勝つことが可能なのである。
 
 相場とは買い方有利なので買いを狙って225先物の指値をしたが、少しの差で届かず、逃がした魚は大きく225先物はどんどん上昇して行った。上がった以上は売りで儲けるしかないと、令和6年には売りに徹し5たび売り全て勝利できた。上昇相場にもかかわらず、売りから入り全て利益を得たことは稀有の事で「一法」を応用、活用した賜物でしかない。
令和6年4月には225先物ミニ2枚を買いこれも勝つことができ225先物ミニは6連勝になった。
 
 次の表は証券会社が発表している年間損益計算書から抜粋したものである。年間損益計算書といってもまだ4月分までしかないが一応抜粋してみた。
 

2024年年間取引計算書
ミニ日経225先物
取引数量  7枚
差金等決済に係る利益又は損失の額 142,000
差金決済等に係る委託手数料(消費税込)  770
差引損益金  141,230

 
 商いは225先物ミニ一枚が5回の勝利で10万円ほどの利益で、225先物ミニ2枚が一回で4万円ほどの利益になった。戦績は15勝3敗で勝率は8割3分で前回より一分上がった。今回初めて2枚商いしたので多少はプレッシャもあったが、これからも商いは最低でも2枚を心掛けるようにする積りである。

 その他にも、私は趣味で俳句をやっているが、「一法」を極めた後の俳句は、近代俳句では誰にも引けを取らないだろうという自負がある。近代俳句では高浜虚子や水原秋櫻子が有名だが、彼らの俳句と私の俳句を比べて貰えばその違いが一目瞭然で分かるはずである。「一法無双の自選俳句」

 袴谷氏は、維摩経では一切法が「法界」に集まり「空性」に集まってしかも「真如」にぴったりと寄添うというような表現になっていると、不満を述べているが、袴谷氏は「真如」とは何だと思っているのかを聞きたいものである。
 
 真如とは空性そのものである。不二法門とは真如の具現性を表現したものであって真如と不二法門は切るに切れない関係なのである。釈迦が到達した真如は、説くものもなく、示すものもないものであり、私自身全く同じ境地に到達したのでそれは自信をもって断言できるのである。拈華微笑はそれを端的に表した仕種といえる。
 
 私は当初、道元を釈迦と同じ境地に到達した人物と思っていたが、さまざまな発言や行動を見て、道元の会得した境地は野狐禅に違いないと信じるに至った。
 私は文章を書くことが好きだが、私が到達した、説くものもなく、示すものもないものはどうしても書くことができなかった。しかし、道元は延々と「正法眼蔵」を書き続けていたことを思えば、その内容がどんなものかは全く知らないが、それにしても、説くものもなく、示すものもないものを、何をそんなに書くことがあるのかと不信を抱かざるを得なかった。
 
 ただ推察出来ることは、有名な「仏道をならふといふは、自己をならふなり」の一節から道元は、悟りへの道筋というか作法などを書き留めていたのではないかと思われる節がある。
 
 しかし、南嶽懐譲(なんがくえじょう)禅師と馬祖道一(ばそどういつ)との間に有名な逸話がある。馬祖道一が座禅をしていると、南嶽懐譲が「お前はいつも一所懸命に何の為に座禅しているのか」と聞いた。
 「仏になるためです」
 すると師の南嶽懐譲が傍らで瓦を磨き出したのだ。
 「師よ。なぜ、瓦を磨いているのですか」
 「瓦を磨いて鏡にしようと思っているのだ」
 「瓦を磨いても鏡になんぞできる訳がないじゃないですか」
 「それが分かっているなら、お前さんはどうして仏になろうとしているのだね」
 そこで馬祖道一がはっと気づいたという話である。
 
 悟り(一法)にはたった一つだけ定義が有る。その定義に反する言動をする者は決して悟りに到達した人物とは認めがたい。さまざまな宗教にはさまざまな教義があるが、それらは固定観念に嵌まった愚かな人間がそれらしき禁止項目を設けて勝手に作ったもので、真理を知る者から見ればその殆どが何の根拠もない単なるしばりでしかない。
 
 道元が「正法眼蔵」に何を書いているか読んだことがないし読む気もしないが、もし悟りを開くための所作をあれこれ書いているとしたら本末転倒の所業ではないだろうかと私は思う。なぜなら、説くものもなく、示すものもないものの道を示しているからである。
 
 まして「空なりといふは、すでにこれ外道の見なり」というような弁は明らかに悟りの定義に反しており、私は道元の悟りは野狐禅だったのではないかと思わざるを得なかった。「空性」こそが釈迦が到達したものであり、多くの禅僧は知らずして目指したものが「空性」だったとは到達してから初めて知るのである。

 「空性」が究極のものであることを知らなかった道元は決して悟りに到達したとは思えない。「空」が外道でなかったからこそ、辻月旦は剣の最高極意に到達し、針ヶ谷夕雲も「無住心剣流」を編み出し、私も今では手に取る如く相場の高下が分かるようになった。
 
 その他にも道元は、弟子の玄明が無断で幕府から寄進を受けたのを怒って、玄明を破門したばかりか、玄明がいつも坐って修業していた処の板の間をはがしその下の土まで捨てさせたという。あまりにも行き過ぎた執着ではないだろうか。
 
 のちに曹洞宗では道元のこの所業を見て、道元は悟っていないのではないかと一部で云ったが、以前の私は道元の名声からそれをはなから否定していたが、よく考えて見れば道元が見性しているというハッキリとした確証がなかったことを思えば、一部の人たちの疑惑は当たっていたかも知れない

 悟りに到達しても煩悩は決して無くならずゴロゴロ存在しているのは確かである。それを馬耳東風と流すか、そんな煩悩を屁とも思わぬかは個人の裁量である。それにしても道元の執着度は常人を超えていた。
 
 また道元は、「学道の人は最も貧なるべし」と言っているが、この発言を奇異に感じたのは私だけだろうか。「学道の人は最も貧なるべし」は道元の理想かもしれないが、誤った固定観念であると言わざるを得ない。貧も富裕も、実体のない心が判断したものであり、何を根拠に貧、何を根拠に富裕というのか。たとえば、貯金が十万円しかなくても貧乏と思わない人もいれば、一億持っていてもまだまだ自分を貧しいと思っている人もいる。道元は貧という仮相にとらわれてそういった言葉を吐いたのである。
 
 というのが、実際に禅の奥義に到達した者の解釈だが、とは言っても、やはり貧しいという現象、現実は否定できない。そう考えれば禅は屁理屈の教義とも言える。
 
 また道元は、(ほう公は俗人なれども僧におとらず、禅席に名をとどめたるは、かの人参禅のはじめ家の財宝を持ち出して海に沈めんとす。人是れを諌めて云く、人にも与へ仏事にも用ひらるべしと。時に他に対して云く、我すでに冤(あだ)なりと思ひて是れを捨つ。冤としりて何ぞ人に与ふべき。宝は身心を愁へしむる冤なりと云ひて、つゐに海に入れ了りぬ) と言ってほう公を持ちあげているが、それも誤りである。


 財宝には良い悪いの分別はない。財宝を良い悪いと判断しているのは、無相、無住の心が生んだ勝手な想念なのである。財宝を所有していても、財宝に執着せず、財宝を使いこなすほうが悟りの理にかなっているのである。

 ほう公はその後、笊(ざる)をつくって売り、赤貧洗うが如しの貧乏生活をしたらしいが、自ら好んで、ことさら貧におちいる必要なんてなかったのである。貧に執着した野狐禅というしかない。
 
 袴谷氏は「無住」をその中心思想に取り込んだ『維摩経』はもはや仏教経典ではありえないと見做さざるを得ないと言い、その「無住」の思想は、仏教でなかったからこそ土着思想と結託して反仏教的な動きを形成して中国や日本の思想界を風靡したのであると言う。しかし、それはまた別の問題になるのでここでは触れないがと言い、そのあまりの空虚さを秘密めかして覆い隠した止めの一句こそ、「維摩の一黙」であったろうと袴谷氏は考えていると言う。そして、『維摩経』は似非仏教(えせぶっきょう)であるがゆえに、仏教徒たらんとするものにこそ本経を批判する資格があるのでなければならない、とも言う。

 「維摩の一黙」を秘密めかして隠し止めたなどと、悪者染みた言い方はいかがなものかと言わざるを得ない。隠し止めたと言うが、説くものもなく、示すものもないものはいくら答えを求められても「空性」ゆえに答えようがないのである。それに納得いかなかったら、自らがその頂点に行ってみるといいのだ。頂点に到達出来るかどうかは本人の能力次第だが、頂点に至り、説くものもなく、示すものもないものを肌で感じたならば、立ちどころに納得できるのである。頂点に至らずして似非仏教(えせぶっきょう)呼ばわりするのは筋の通らぬ論理である。
 
 袴谷氏は、『維摩経』はもはや仏教経典ではなく土着思想と結託して反仏教的な動きを形成して中国や日本の思想界を風靡したという。誰かが意図的に音頭をとって反仏教的な動きを形成したとでも言わんばかりの説である。まるで荒唐無稽な話しである。土着というのは、その土地に根付いている人を言うのであり、中国、日本、その他の国にも「無住」の思想があるならばそれは自然的に広まったのであり、決して土着民が結託して反仏教的な動きを形成した訳ではない。誰が聞いても袴谷氏の考えかたはおかしいと思うはずである。

 維摩経を似非仏教であると断じるのは味わいもしたことのない果物の味を想像で言っているのと同じことである。「無住」の思想は悟りに到達してこそその真価が分かるのであり、悟らずして似非仏教呼ばわりされては仏教を無知蒙昧の輩が貶しているのと同じ事になる。袴谷氏は真実の維摩経を知らずして似非仏教呼ばわりしているのである。

 多くの宗教学者(袴谷氏も含めて)、禅僧、或いはそれらの意見を参考にした国語辞典などは、不二とは対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであると解釈しているが、これは全くの誤りで、二元的に対立しているものは、どこまで行っても対立のままで同列になることも交わることもない。

 袴谷氏の『維摩経』批判の論文を読んでいると、
資料(22)に至っては(その資料がどんな物かは私は全く知らないが)、我と無我の不二を無我だと言い切っているが我と無我の背後に両方を支える無我を想定したのでは、もはや曖昧というより仏教とさえ言いかねると思う、と批判しているが、誤った解釈をすれば曖昧に感じるのも当然であり、これが仏教といいかねるのも当然である。そもそも「我無我不二」の解釈を掲載しているその資料が間違っているのでそういう結果に至るのである。

 本来の正しい解釈は、我とは即ち我に非ず、これを我と名付く、無我とは、即ち無我に非ず、これを無我と名付くで、我無我不二だけでは言葉足らずだが実際は我と無我のどちらも仮称であることを説いているのである。善悪不二、浄穢不二、大小不二、是非不二、生死不二も同様で言葉足らずだが全て仮称であることを説いているのである。

 およそこの世で対立するすべてのものは、無相、無住の実体も根拠もない心が生み出した虚妄の世界での便宜上の仮称でしかない。それぞれに付けられた名称には、そう名づけねばならない根拠など何一つなく、便宜上名づけられた仮称であり、無我を我と仮称するも、我を無我と仮称するもどちらでもよいが、仮に無我を我と呼称しても、ただ単に我と仮称しただけで実体は無我を指していることに変りない。だから我と無我を同一と判断するのは大いなる誤りなのである。
 
 多くの宗教学者や禅僧、或いはそれらの意見を参考にした国語辞典などは、「善悪不二」を例えていうと「善悪」は二つにあらずとして「善悪」を一なるものと解釈している事である。それがそもそもの誤りなのである。
 
 金剛経は

 法相とは、如来説く、すなわち法相に非ず、これを法相と名づく
 凡夫とは、如来説く、すなわち凡夫に非ず、これを凡夫と名づく
 もろもろの心は、皆心に非ずと為す、これを名づけて心と為す

 と、仮称の論理を説いている。

 善と悪、美と醜、浄と垢、増と減というような、およそこの世で対立するすべてのものは、無相、無住の実体も根拠もない心が生み出した虚妄の世界での便宜上の仮称でしかない。
 善とはすなわち善に非ず、これを善と名づく、悪とはすなわち悪に非ず、これを悪と名づくであり、どちらも仮称でそれが証拠に他国では、当然呼び方も発音も違うわけである。

 例えば、動物の名で言えば、日本では犬、猫、馬、牛という風に呼称するが、外国では、それぞれの呼び方も発音も違うのが当たり前で、これが本当の名称だと言うものはこの世に存在しない。そこから考えを及ぼしてこの世の全ての名称は無相、無住の実体も根拠もない心が生み出した仮称でしかないというのが不二法門の論理なのである。
 
 たまたま良い行いを善と名づけ、悪い行いを悪と名づけているが、正覚からすれば、それぞれに付けられた名称には、そう名づけねばならない根拠など何一つなく、便宜上名づけられただけである。そのため、良い行いを悪と仮称するも、悪い行いを善と仮称するも、どちらでも良いが、仮に良い行いを悪と呼称しても、単に悪と呼称しただけで、実体は良い行いを意味することに変わりない。それゆえ元々は一つの行為に対する二つの仮称であるとして而二不二(二にして二ならず)といったのである。しかし、そうやって二つに別称された限り善悪は決して同列ではなく、善悪は歴然と区別されるべきもので、多くの宗教学者や禅僧が犯す誤りは善と悪は不二だから同列と錯覚することである。

 山岡鉄舟が、弟子の嘔吐したものを「浄穢不二」といって自らの口で以って食べ尽くしたエピソードがあるが、鉄舟も不二を誤って解釈し浄穢を不二(二つでない)として、一つの物つまり同等に扱い汚いものを食べ尽くしたのである。

 しかし、浄とは、すなわち浄に非ず、これを浄と名づく、穢とは、すなわち穢に非ず、これを穢と名づく、であり、それぞれに付けられた名称には、そう名づけねばならない根拠など何一つなく、便宜上名づけられた仮称であり、汚いものを浄いと仮称するも、浄い物を汚いと仮称するもどちらでもよいが、仮に汚いものを浄いと呼称しても、ただ単に浄いと呼称しただけで実体は汚いことに変わりないので、浄穢不二と言って汚いものを食べ尽くすのは大いなる誤りなのである。

 浄土真宗の源信僧都が千菊丸といった幼少の頃、一人の旅の僧が汚い小川で手を洗っていたので、千菊丸はあちらの川の方がきれいですよと教えたところ、その旅の僧は千菊丸に礼を言ったあと、諭すように「浄穢不二」と言った。つまり浄も穢も二つでなく、もともとは一つで有り、二つに分けるのは迷う心があるからで、自分は迷う心がないのだという意味で「浄穢不二」と言ったのかも知れない。
 しかし、千菊丸が「浄穢不二」ならどうして手を洗うのですか、と尋ねると、旅の僧は一言も返すことが出来なかったという。この旅の僧も鉄舟と同じような錯覚をしていたのである。
 不二(二つでない)とは対立するものが、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるという国語辞典などの解釈は全くの誤りで、仏教では一つの事柄に対して二つの相反する仮称を喩えにする場合も多く、それらに対して、元は一つであるとして不二(二つでない)といっているのである。

 もし国語辞典などの解釈が誤りでないなら、善と悪も生と死も同列という理屈になり、たとえ銀行強盗をしても善行をした事と同じになり、自殺しても生存している事と同じだという理屈になる。山岡鉄舟のように汚物を食べつくしても間違いでなくなり、旅の僧のように汚水で手を洗っても何の問題もなく、或いは汚水を飲んでも何の問題もないという理屈になる。

 誤った理論を解釈している宗教学者や禅僧は、「浄穢不二」というものが本当に相反するものが一つになる世界を説いているというのなら、鉄舟のように人が吐いた汚物を食べてみるといいのである。また旅の僧のように汚水で手を洗うなり或いは汚水を飲んでみるといいのである。真の仏法を知らない者の解釈がいかに恐ろしいか身に沁みて分かる筈である。
 
 袴谷氏の『維摩経』批判の末尾に道元の一句「現在大宋国をみるに・・・・・一黙せざるは、維摩よりも劣なりとおもへるともがらのみあり、さらに仏法の活路なし。・・・・・大宋国人にあればとて、仏法ならんとおもふことなかれ」を紹介しているが、この一句こそ道元の野狐禅の証拠に思える。なぜならこの一黙こそが、仏教の神髄、説くものもなく示すものもないものを表わしているにもかかわらず、一黙を否定批判しているからである。
 
 道元の悟りを野狐禅だと言ったらあきれ返って腰を抜かす人が出てもおかしくないくらいの驚天動地の出来事だが、私は禅者の一言半句を聞いただけでその人が本物の覚者かどうかわかるのである。
 
 道元が禅の極意に到達したという確証はなかなか得られなかったが、総持寺を開創した瑩山紹瑾が禅の極意に到達していることはある文言から簡単に知ることができた。それは曹洞宗に「月有両箇」という公案があるが、瑩山が弟子の峨山に問うたものである。峨山が分からない、と答えると、瑩山は、月に二つあることを知らないようでは、曹洞宗の禅法を弘める人間として認めることはできない、と言った。月に二つあることを知らないようでは駄目だと言ったことが、瑩山が禅の極意に到達していることを現わしているのだ。
 
 峨山は刻苦奮励してこの公案に挑んだ。そして、三年掛かってやっとその真意を会得したという。
 
 その真意とは、本山総持寺では次のように伝承されているらしい。一つは文字通り中天にかかっている月であり、もう一つは、その月が放っている光のことで、地上の万物をあまねく照らして、喫茶喫飯から仕事に至るまでを顕現するありさまをいうらしい。いかにも尤もらしい見解だが、こんな見解が罷り通っているとしたら曹洞禅の行末は暗澹たるものである。

 わたしは確信をもって言うことができるが、峨山が会得した真意はけっしてそうではない。それが、どこでどうすり変わったのか、誤った見解が綿々と伝承されていったとしたら、地下の峨山も目を蔽うているに違いない。もちろんこんな答えなら瑩山はきっと峨山を許容しなかったはずである。

 道元の死後二代目に狐雲懐じょうが継ぎ三代目を徹通義介が継いだが、瑩山は徹通義介の弟子であり、本家本元の道元が悟っていないのに何故その系統の弟子が悟れるかと疑問に思う人もいるかも知れないが、たとえ本家本元が悟っていなくてもその末裔が悟ることは、本人の力量次第でまったく問題はない。

 曹洞宗は永平寺の道元を高祖(こうそ)として仰ぎ、総持寺を開創した四代目の瑩山紹瑾を太祖(たいそ)として仰ぎ、永平寺と総持寺を両大本山として発展していったが、それも偏に瑩山の力量が大きかったからではなかっただろうか。だから、道元の悟りが生悟りだったとしても瑩山紹瑾の悟りは紛れも無く本物だったと言える。

 中国でも禅が盛ん成りし頃、悟らない師家が氾濫していて、大慧宗杲は初めて圜悟に参じた時、我れ未だ安心せず、しかるに諸方の宗師皆我を印可す。和尚もし我を印可せば無禅論を書せんと言った。つまり、禅はもはやどこにも存在しないことを書くと言ったのである。圜悟を疑った節も無きにしも非ずで、どんなやり取りがあったかは知らないが結局、大慧宗杲は圜悟の弟子になった。数年後、大慧宗杲は圜悟の悟りが野狐禅にもかかわらず自らは真の悟りに到達した。師が極意に到達せずとも弟子が極意に到達できることを実証したのである。

 大慧宗杲は後に圜悟の「碧巌録」を一炬に付したが、後年人は、大慧が碧巌を焚書したのは禅の弊害を思ってのことだとか、碧巌が禅の総てであるとの錯覚を防ぐためだとかいろいろ言われているが、そうではなく、圜悟が悟っていないことを大慧が見抜いて、圜悟の著語、評唱は禅を修行する者の邪魔になれこそ何の役にも立たないことが分かっての焚書である。誰が言い出したのか仏果圜悟とはあきれ返った讃称で、禅にかかわる人たちの如何に浅識かが分かる。中国も悟りに到達していない偽者の禅匠で溢れていたが日本も同様であった。

 「碧巌録」を編した圜悟克勤が禅の奥義を極めていなかったと言うと、禅林ではとんでもない一大事件だが、私は圜悟の著語(じゃくご)の文言から推察することができた。
 「碧巌録」第五十則に「雲門塵塵三昧」がある。一僧が雲門に尋ねた。
「華厳経でいう塵塵三昧とはどのようなものですか」圜悟克勤の著語(天下の修行僧はこの塵塵三昧というところで穴倉に坐りこんだようにしている。この僧、霜を吹いて突き刺すような鋭い質問をした。雲門にそんな目つぶしを打って、どうしょうというのだ)
 雲門が答えた。
「鉢の中の飯、桶の中の水」圜悟克勤の著語(この答え、布袋の中に錐が入っているようなものだ。雲門の機鋒まことに鋭い。しかし、答えには金と砂とが混じっている。この答え間違っているがそのままでうまくいっている。長安城の宮殿にいて長安はどこだと問う必要もあるまい)

 雲門の答え「鉢の中の飯、桶の中の水」は、わたしは数ある答えの中でも適宜な答えで少しも間違っているとは思わないが、圜悟克勤は何を以って間違っていると判断したのだろうか。それだけで、圜悟克勤の悟っていないことがすぐに私には分かった。

 その他にも、「南泉斬猫」の際の、南泉と趙州のやり取りを、やはり、圜悟克勤は、まちがっているがまちがったままでうまくいっていると述べている。わたしは別段まちがっているとは思わないが、圜悟克勤は何を以って間違っていると判断したのだろうか。

 垂示についても、「百丈野鴨子」で、仏道を体得した人はどのような道にいても滞ることなく、一手一手に事を運んでゆく働きがある。と述べているが、仏道を体得しても滞る場合もある。圜悟克勤は仏道を体得すれば、人生の岐路に立ったとき等に、決して正誤の選択を誤らないとでも思っているのだろうか。そういう諸々のことから判断できるのは、圜悟克勤が禅の奥儀に到達していないのではないかという思いである。

 白隠禅師は「碧巌録」について、自分はこれまでここを六回講じて、これこれだと見ていたが、今考えるとそれは誤りであったと述懐しているが、この誤りが個々の項目を言うのか「碧巌録」全般を言ったものか私には分からない。しかし、軽薄な圜悟克勤の著語は「法」を知る者から見れば苦々しい限りであることは否めない。圜悟克勤も日本の著名な禅僧が悟ってないように、真の悟りに到達していない饒舌な禅僧でしかなかったのである。

 悟りとは、問いと一つになることだとの新説を出した鈴木大拙はそれだけで偽覚者の馬脚を現わし、秋月龍aは師家の苧坂光龍が「帆掛け舟を止めてみよ」という公案に対して自らが立ち上がって帆掛け舟に成り切って止まることを実演したのを見て、見事と言ったところで馬脚を現わし、鎌倉円覚寺の官長だった釈宗演は夏目漱石の公案に対する見解を聞いて、もっとギロリとしたところを持って来い、と言ったところで馬脚を現わし、井上義衍は、全てが法として存在し、それゆえに、法を求めることも近づくことも必要ないと、説くものもなく、示すものもないものを説いたことで馬脚を現わし、彼らの全てが悟りに到達していないことを如実に語っているのである。

 
 煩悩と菩提(悟り)も実体のない無相、無住の心が名付けた虚妄の世界での便宜上の仮称でしかない。虚妄でない正覚の世界では、煩悩を菩提と呼称しても菩提を煩悩と呼称しても一向に差し支えない。仮に煩悩を菩提と呼称しても、単に菩提と呼び方を変えただけで、実体は煩悩に変りないのである。しかし一旦、二つに分けて呼称した限りは、煩悩と菩提は歴然と対比、区別されるべきものであり、決して同等に扱うべき物ではない。

 しかし、多くの仏教学者や僧侶たちが解釈する煩悩即菩提とは、煩悩と菩提は二つにあらず煩悩イコール菩提なのだとか、煩悩と菩提は紙一重であるかのように勘違いしていることである。著名な仏教学者で大学教授でもあった故古田紹欽なども「禅への道」という著作の中で、煩悩即菩提、生死即涅槃を菩提、涅槃は煩悩の外に、生死は迷いの外に、あるわけではなく、迷いがそのまま悟りなのであり、と書いているので、仏教学者でもあり大学教授であった人すらそう感じるのだから、多くの人がそのように錯覚するのも已む無しかなとも思う。しかし、常識で考えて迷いが悟りに変ずる訳がない。なぜそんな愚かな発想になったかと言うと煩悩即菩提の中の即と言う文字のせいとしか思えない。煩悩と菩提は全くの別物にもかかわらず煩悩即菩提、生死即涅槃というような表現が錯覚を生む土壌となっているのである。
 
 多くの仏教学者や僧侶たちが誤りを犯すのは煩悩即菩提の即にあるとしか考えられない。即というのは、ただちに、すぐに、といった意味だが、そこから、煩悩も考えようによっては菩提に変ずるではないかという考え方である。しかし、常識に考えて、煩悩が菩提に変ずるようなことは永遠に有り得ないのである。
 
 煩悩即菩提とは、言葉の文脈から考えてこの場合の即は決して、ただちにとか、すぐにとかいう意味ではなく、すなわちと訳するのが正解なのである。
 
 善とは、即ち善に非ず、これを善と名づく
 悪とは、即ち悪に非ず、これを悪と名づく

 が、善悪不二と称されたように、或いは、

 般若波羅蜜多とは、仏説く、即ち般若波羅蜜多に非ず、是を般若波羅蜜多と名づく
 
 と、称されたように、
 
 煩悩とは、即ち煩悩に非ず、これを煩悩と名づく
 菩提とは 即ち菩提に非ず、これを菩提と名づく

 であり、つまり、仮称に他ならないといった意味なのである。それゆえ、煩悩即菩提なのだから煩悩イコール菩提なのだとか、煩悩と菩提は紙一重であるかのように解釈するのは大いなる誤りなのである。
 
 もし煩悩がそのまま菩提になるなら、山岡鉄舟が「浄穢不二」と云って嘔吐した物を食べ尽くしても誤りではなくなり、旅の僧が汚水で手を洗っても誤りでなくなり、毎日、残飯を食してもどんなに汚れた手であろうと永遠に洗う必要もないことになる。

 しかし、ここで仏教の深遠というか摩訶不思議なロジックに一驚する。それは何かと云うと煩悩即菩提も生死即涅槃も不二法門の範疇から免れるはずはないのに、煩悩菩提不二とか生死涅槃不二といったような言いかたはされず、煩悩即菩提とか生死即涅槃と呼称されることである。

 煩悩即菩提も生死即涅槃も同じ不二法門の範疇ながら、あきらかに善悪、美醜、浄垢、増減、迷悟といった語句とは別格に扱われていることである。多分、仏教の教説の便宜上別格にしたのかも知れないが、仏教論理には、言語のマジック、つまり詭弁というか屁理屈のようなものが存在するように思えるのは私だけだろうか。

 悟りに到達しても煩悩は決してなくならない。釈迦は悟りに到達しても、第一の矢は受けるが第二の矢は受けないと、さまざまな煩悩を矢に例えて、煩悩の存在を認め、煩悩に一時は傷ついてもそれを克服するさまを弟子達に語っている。ここで重要なことは、釈迦は決して煩悩を消滅するとか絶滅するとかは言わずに「法は煩悩を覆い尽くす」と言っていることである。
 
 私の場合「一法」に到達する前と到達後の煩悩は殆ど差異がない。では何が違うのかというと、「一法」に到達後は煩悩にあまり引きずられないようになるぐらいである。煩悩は仕方ないぐらいの軽い考えに変っていくようになる。その軽い考え方が釈迦の言う「法は煩悩を覆い尽くす」に当たるのかも知れない。

 オウム真理教の麻原が、ニュースキャスターの生島ひろし氏に、煩悩はないですか、と尋ねられて、煩悩はないと言い切っていたが、その一言で麻原が本当の悟りを開いていないことが分かる。北宗禅の臥輪禅師と似たようなケースである。

 六祖慧能が悟りに到達していることは、誰一人知らぬ者はいないが、

 北宗禅の臥輪禅師の偈に 、伎倆あり、よく百思想を断ず。境に対して心起こらず、菩提は日々に長ず。(わたしには巧みな技能があって、百種の妄想を断ち切ることができる。対象に向かっても心は動かず、悟りへの道は日に日に成長している)

 と、いうのがあるが、この偈を聞いた慧能は、この偈は心の根底がまだ分かっていず、この通りに実行したならば束縛を増すばかりだとして、次のような偈を示した。

 伎倆なしに、百思想を断ぜず、境に対して心しばしば起こる。菩提なんぞ長ぜん。(わたしには巧みな技能などない。百種の妄想を断ち切りもしない。対象に向かって心はそのつど動く。悟りへの道がどうして成長しようか)

 麻原も臥輪禅師も二人共それぞれの発言が偽覚者であるという馬脚を表している事に気付いていないのである。悟りに到達しても、巧みな技能も生ぜず、煩悩を絶ち切ることも出来ず、対象に向かって心が動かないということもなく、悟りへの道が成長することもないというのが真実である。
 
 真に悟った人間は、禅者の一言一句を聞くなり、公案にどういった見解を示したかで、真の悟りに到達したかどうかが判るのである。なぜ不二法門の論理が生じたかと言うと、維摩経にその答えを見つけることができる。

 
 一切法とは幻のごときものにすぎない。一切のものが没する、滅する、なくなるというのは幻のような虚妄の存在が否定された状態であり、真実の存在は、生ずることも没することもない不生不滅が真の相(すがた)なのである。
 
 つまり、善悪、浄垢、大小、是非、生死、涅槃、煩悩、菩提、その他地球上に氾濫する語句は全て幻の如きものに過ぎず、それらを現実とした場合、虚妄であることを否定する状態になるからである。
 真実の存在は、善悪も、浄垢も、大小も、是非も、生死も、涅槃も、煩悩も、菩提等も一切生ずることも没することもない不生不滅が真の相(すがた)だからである。

 我々はいま生きているが、生きていると判断しているのは無相、無住の実体のない心が判断したものであり、実体のない心が判断したことは、裏返して考えれば、生きていないということでもあり、生きていなければ死ぬこともないのである。般若心経の不生不滅とはこういうことを言っているのである。心を柔軟にして固執することや執着心を少なくすることで、人生の懊悩から脱却することが仏教の究極の教えなのである。
 
 維摩経で、文殊菩薩が維摩を見舞いに訪れると、文殊が部屋に入るや否や、維摩は一言放った。

「よく来て下さいました。文殊師利、あなたは不来の相で来、不見の相で見ますね」と。 

 これなども本来なら「よく来て下さいました。文殊師利、あなたは来意の相で来られ、相見(しょうけん)の相で見ますね」と言うべきところを敢えて不二的な言い方をしているのである。

   来るとは、即ち来るに非ず、これを来ると名づく
   不来とは、即ち不来に非ず、これを不来と名づく
 
 来と不来、見と不見、善と悪、美と醜、増と減、これら一切の言語は無相、無住の実体のない心が名づけた虚妄の世界の仮称でしかなく真実の存在は、生ずることも没することもない不生不滅が真の相(すがた)なのである。

 芭蕉慧清は説法でこう言った。 「お前が杖を持っているなら、わたしは、お前に杖を与えよう。おまえが杖を持っていないのなら、わたしは、お前から杖を奪おう」

 これは無門関四十四則の公案であるが、この意味の、持つ、持たないの語句も、無相、無住の心が名づけた仮称でしかなく、持つという本来の意を、持たないと解釈し、持たないという本来の意を、持つというふうに解釈すればこのいっけん矛盾する言葉の意味が解けるのである。持つ、持たないの仮称に拘わらなければ自在に変換することも可能で、

   持つとは、即ち持つに非ず、これを持つと名づく
   不持とは、即ち不持に非ず、これを不持と名づく(不持という熟語は私が勝手に作った)

 維摩経ではそれを「而二不二」(二にして二ならず)と言っているのである。これは執着心に捕われることを嫌う禅者の智慧なのである。

 のちに、大い慕てつ(だいいもてつ)は云った。「わたしは違う。お前が杖を持つなら、わたしはお前から杖を奪い取ろう。お前が杖を持たないなら、わたしは、お前に杖を与えよう。わたしのやり方はこの通りだ。誰でもいいが、杖をよく用い得るか否か。もし用い得るならば、徳山が先鋒となり、臨済が後衛となろう。だが、もし用い得ないならばまた杖を元の主に返そう」

 道を求める者たちに対して、慕てつと芭蕉はまったく正反対の表現をするが、持つ、持たないが、無相、無住の実体のない心によって、仮に名付けられた語句であると思えば、芭蕉の云ったことと慕てつの云ったことは、まったく矛盾しないのである。華厳経も、世間種々の法、すべてみな幻のごとし、もしよくかくの如く知らば、その心動くことなし、と説いている。

 維摩も、芭蕉慧清も、大い慕てつ(だいいもてつ)も、不二の本質を把握して本来の語句に執着せず自在に使いこなしているのである。何故このような理論が完成したかと言うと、心を柔軟にして、固執することや執着心を少なくすることで、人生の懊悩から脱却することが仏教の究極の目的だからである。
 
 【善慧大士は(ぜんねだいし)傅(ふ)大士とも言われる】は農仕事をして生活しながら人々を仏教に導いていた実在の人物で、言ってみれば架空の人物である維摩とは天地雲泥の差がある。
 
 善慧大士の有名な禅語に「空手把鋤頭 歩行騎水牛、人従橋上過橋流水不流」(空手にして鋤頭をとり、歩行して水牛に騎る。人橋上より過ぎれば、橋は流れて水は流れず)というのがある。
 この禅語に対して、Aのサイトでは次のように説明している。
 
 傅(ふ)大士は農作業で、鍬をとって無心に畑を耕し続けているうちに、吾と鍬が一体になり、無心に徹した心境を「空手把鋤頭」と言い表したものであると。
 「歩行騎水牛」は牛に乗って行くと景色と一体になっていると説明し、「人従橋上過橋流水不流」では、家路の途次には谷川があり、ざわざわと流れる水の音が聞こえ、橋の上に立ち止まってその流れをじっと見つめていると、いつの間にか自分がその自然の中に溶け込んでしまい、自分が川の流れになって流れているようでもあり、我と流れが一体となった境地を言い表していると言う。
 
 伝統のある禅寺でも、「空手把鋤頭」は農具を使ってひたすらに耕しているとき、農具と一体になったかのような感覚を得る。と言う説明をし、「歩行騎水牛」では牛に乗って行くと景色と一体となった感覚になり、「人従橋上過橋流水不流」では、橋の上に立てば、上流から下流へと水が流れる。そんな橋の上から川を眺めるとは、橋となって水を流しているのか、水となって橋が流れているのか、どちらもでよく、無為自然と自分が一体になっていることだと説明する。
 
 どちらも間違った解説である。この禅語を正しく理解できる宗教学者や禅僧は存在するのだろうか。禅の公案も一緒である。正しく答えることが出来ない宗教学者や禅僧が解説している場面をネットなどでもよく見ることがあるが、彼らは自分の行為が何を表しているのか分かっているのだろうかと疑問に思うことがある。
 
 そんな真の仏法を知らない宗教学者や禅僧が数々の経文を間違って解説していることが仏教徒を誤った方向に導いているのである。あってはならないことだと思う。
 
 
一切法とは幻のごときものにすぎない。一切のものが没する、滅する、なくなるというのは幻のような虚妄の存在が否定された状態であり、真実の存在は、生ずることも没することもない不生不滅が真の相(すがた)なのである。つまり、善悪、浄垢、大小、是非、生死、涅槃、煩悩、菩提、その他地球上に氾濫する語句は全て幻の如きものに過ぎず、それらを現実とした場合、虚妄であることを否定する状態になるからである。
 
 だから正解は、善慧大士の禅語も否定せず、私は、両手で鍬を握り畑を耕し、牛を牽いて歩行し、橋を過ぎれば橋の下には水が流れている、とこう応答する。善慧大士の禅語「空手把鋤頭歩行騎水牛、人従橋上過 橋流水不流」も別に間違ってはいないが、私の答えも「法」に沿って間違ってはいないと明確に言う。それが不二法門の正しい見解だからである。
 
 故に袴谷氏の「維摩経」は似非仏教(えせぶっきょう)であるとの認識はまるっきり根拠のない妄言であると断言できる。似非仏教どころか、「維摩経」こそ真如の具現性を表現したものであって真如と不二法門は切るに切れない関係なのである。
 
 本覚思想批判には同意を覚えるが「維摩経批判」は袴谷氏自身の名誉を汚さない為にもすぐにでも撤回すべきか過ちを認めるべきでなかろうか。
                        一法無双

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