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写真日記 びんちゃんの隠し部屋
Column




11    霊感???
私は子供の頃、霊感に似たような感じのものがあった。はっきり何かが見えると言う訳ではないが気配のようなものを強く感じて居心地が悪く行けない場所のようなところがあった。それは年齢を増すごとになくなり今となってはただの思い過ごしのようにも思われるのだが・・・。どうも私の家系にはそういうものがあるらしく特に妹はいまだにそれがあるようで時々不可解なことを言うし兄の子供も妹の子供も私の子供も時々何か見えるらしい・・・。長男ゆうきは3歳くらいのとき家の中で突然目線をドアの方からキッチンの方へと移したと同時に「今通ったのは誰?」と聞いたことがあった。勿論主人にも私にも何も見えなかったが・・・。次男よしきを身ごもったときもまだ妊娠が判らない時期から「ママのお腹に何か居てる」と言っていました。最近は見えなくなったらしく何も言わなくなりましたが、今度はよしきが時々壁に向かって手を振ったり指を刺して泣いたりしています。今私が読んでいる京極夏彦作「姑穫鳥(うぶめ)の夏」に霊感を持つ探偵の榎木津と言うのが出てくるのですが、その人は目が悪く視力が悪くなるのと引き換えに霊感が強くなったらしいのです。私は生まれつき右目の視力がほとんどないのでそれと関係があるのかな?などと馬鹿げた事を考えてしまいました。(だってその話しは小説の中の話しにすぎないんだから・・・。)どっちにしても私自身は無くなってしまったものだからきにしなくてもいいかな・・・。
更新日時:
H16年8月27日(金)

12    祖母と祖父
今年で終戦59年目・・・。
私の母は自分の父親の顔を知りません。正確には写真でしか知らないのです。母方の祖父は戦時中近衛兵だったそうで、母が生まれるとすぐ徳島から東京へ呼び戻され戦地へ赴き終戦直前に戦死したそうです。祖母は26歳の若さで戦争未亡人となり8歳の伯父と4歳の母を抱えて女手一つで戦後の混乱期を生き抜いた人でした。しかし私の知っている祖母は、そんな苦労をしたとは思えないくらい、とても穏やかな優しい人でした。けれども一度だけものすごい形相で怒った祖母を見た事があります。確か私が小学校3・4年生の頃だったと思います。大阪の地下街を歩いていた時のこと、戦争で足を失くされた元兵士の方が物乞いをしている側を通りかかり私が自分のお小遣いからお金を差し出そうとしたとき祖母は私の手をつかみ「そんな人に何もあげる必要はない!!」と言い放ったのでした。そして小声で「その人は足を失くしても生きて帰ってこれたんだから・・・。」と・・・。当時の私には詳細は理解できませんでしたが、ただ戦死した祖父のことを祖母が悲しんでいると言う事だけは分りました。それから20年以上が経ち2年前の春に祖母は他界しました。死の間際に「やっと(祖父)が迎えに来てくれた・・・。」と言ったそうです。少し笑ったような穏やかな死に顔でした。おばあちゃん天国でおじいちゃんといつまでもお幸せに・・・。
 
更新日時:
H16年8月18日(水)

13    まるたけえびす
まるたけえびすに おしおいけ
姉さん六角 蛸 錦 ちはやぶったか 
まつまん五条 せったちゃらちゃら うおのたな 
六条さんてつ 通り過ぎ 七条超えれば
八 九条 十条 東寺でとどめさす
それ ややこし ややこし ややこしや〜
 
坊さん頭は丸太町 つるっと滑って 竹谷町
水の流れはえびす川 二条でこうた きぐすりを 
ただでやるのは おしこおじ 御池ででおうた
姉さんに 六銭もろおて 蛸こおて 錦で落として 
叱られて 謝ったけど ぶつぶつと 
たかがしれてる まどしたろ
それ ややこし ややこし ややこしや〜
 
京都の通りを歌ったわらべ歌で去年ゆうきが保育所で習ってきて「この歌が歌えるようになったら京都の町で迷わなくなる」と聞いて私も覚えて歌えるようになったのですが、今でも通りの名前は全然判らなくて一人で京都の町は歩けません!!
だいたい、東寺は九条にあるのに なんで歌では十条 東寺でとどめさす のかが判りません!! ほんとに ややこしい〜
 
更新日時:
H16年8月16日(月)

14    主人との出会い
私の実家は「渡る世間は鬼ばかり」並みの複雑ぶり。
高校生の頃、以前から不仲だった両親が離婚ー。もっとも不仲の原因は嫁姑問題・・・。
当時、思春期だった私は結婚という物に絶望し何の希望も抱かなくなってしまった。
看護師を目指したのも幼少期からの憧れの職業だったのに加え「女が一人で自立するには手に職が必要!!」と考えたからだった。父親の猛反対を振り切って半ば勘当同然で病院の寮に入り看護師になった。結婚に興味が無くてもそれなりに彼も居たが私が手術室勤務だった為、休日でも呼び出しに応じなければならずその都度彼に「仕事と俺とどちらが大切なんだ!!」と訊かれ「勿論 仕事!!」と答えてはジ・エンドの繰り返しだった・・・。実家の祖父が寝たきりになったのを機に病院から診療所へ転職した私。そこで主人に出会った。主人はある意味同業者(薬の卸)だったので仕事には理解があった。6歳年上の主人は何より私の我儘と言う我儘を聞いてくれる人だった。一緒に居て安心する人・・・。(何かすごくのろけているような・・・。)この人だったら結婚しても大丈夫かな?ってだんだん思うようになって結婚する事になった私。
時々むかつくこともあるけれど多分私より主人の方がいっぱい我慢してくれてるだろうなって思ってます。もうすぐ結婚して10年になるけれどこれからもよろしくね!パパ!!
更新日時:
H16年8月5日(木)

15    出会い
私の人生の中でかけがえのない出会いが二度ありました。一度目は小学生の時ー。子供の頃は今とは別人のように自分の思っている事の半分も言えない大人しい子供だった私。多分、自分自身に自信がなく学校でも家の中でも自分は居ても居なくてもいいような存在だと考えていたから・・・。6年生の時の担任はそんな私に自信を持つことを教えてくれた。「人には誰にも美点と欠点がある。欠点を補えるだけの美点を伸ばせばいい。」と「努力をすれば必ず報われその分自信につながる」とそれから少しずつ自分自身が変わったような気がします。二度目の出会いは看護学生の頃ー。
働きながら看護学校に通っていた時の勤め先の患者さんに決して諦めないと言う事を教えていただきました。その方は肝硬変の末期で移植以外助かる方法は無かった・・・。
が当時は脳死が認められておらず莫大な金額を投資し海外へ渡航して手術を受けるか国内で移植のGOサインを待つかのどちらかだった。その方は大阪大学の病院へ転院し国内で待つ事になった。が、転院して間もなくお亡くなりになりました。その方は私の事を「チビ。チビ。」と呼んで可愛がってくださいました。転院される前「チビ頑張っていい看護婦になれよ!!負けるなよ!お前は絶対いい看護婦になれるから・・・。俺も絶対病気になんか負けない!!必ず元気になってみせる。」と言い残して行かれました。その後、何度か壁にぶち当たりくじけそうになった事もありましたがその方の言葉を思い出して頑張る事が出来ました。これからの人生でまたどんな出会いがあるのかな・・・。
更新日時:
H16年8月5日(木)


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