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長男妊娠中のエピソードや出産までを掲載中
 
随時、更新していきます。お楽しみに!



6    長男育児記録  NO3
長男ゆうきが1歳6ヶ月で仕事に復帰した私・・・。保育所には直ぐに入所出来なかったので仕事の時は主人の実家へ預けていました。仕事に復帰して良かった事は自分自身が以前より活き活きして元気になった事。そしてい元気になった分子供のことが以前よりも、もっと大切に思うようになった事!!私にとって仕事に出ると言うことは一種のリフレッシュ効果があったようです。でもいいことばかりじゃなかった・・・。復帰した仕事先の診療所はスタッフが少なく子供が熱を出しても代わりがいないので休めない・・・。薬を飲ませて主人の実家へ泣く泣く預けて仕事に行かなければならなかった。「病気のわが子を預けて他人の子供の看病・・・。なんてひどい母親なんだろう・・・。」復帰する前から判っていたことだし覚悟もしていたがやっぱり辛かった・・・。子供よりも仕事を選んだつもりはなったが実際はそうだった・・・。「ゆうちゃんごめんね・・・。」
仕事に復帰して半年が経った頃ようやく保育所に入所することが出来た。保育所に入って直ぐに私は保護者会の本部役員になった。別になりたかった訳ではなかったが全員何かをしなければならいあいという決まりだったので・・・。新旧の役員会議の日、行事ごとの責任者を決めることになっていたが夏祭りの責任者だけが中々決まらない・・・。前回の責任者の方は他の保護者とモメ事を起こしたらしく保育所を変わっていて引継ぎが困難なことに加えてまとめるのが大変らしかった。以前からの在園者たちは何だかんだ理由を付けて敬遠していたし半ば擦り付け状態・・・。擦り付け合いが大嫌いな私だれかがやらなきゃいけらいならわたしがやる!!「じぁ私がやります!!」と思わず言ってしまった・・・。
内心しまった!!と思ったがあとの祭り・・・。「じぁお願いします。」と決まってしまった。こうなったらやるしかない!!まあなんとかなるさ!!
更新日時:
H16年7月25日(日)

7    長男育児記録 NO4
かくして夏祭りの責任者となった私は想像以上の困難と、共に協力してくれる仲間とを同時に手に入れることになりました。「保育所に入所したばかりの新参者に夏祭りの責任者が務まるの?」と言う冷ややかな声もありましたが「頑張れ!!」と言う励ましの声や「以前はああしてたよ!こうしてたよ!今年はこうすれば?」とアドバイスをくれる方も沢山現れて
初めは協力を惜しんでいた人たちも色々手伝ってくれて自分一人ではとてもやり遂げることが出来なかった夏祭りを無事に終えることが出来ました。評価は賛否両論でしたが自分自身も成長できたし友達の和も広がりほんとにやってよかった!!と思いました。
子供が保育所に入って良かった事がもう一つ!!保育所にはダウン症や自閉症などの障害を持ったお子さんたちも健常児と一緒に保育されています。それが何故良い事なのかと言うと心に垣根を持つ前にそういう子供たちと接することで障害者に対する差別感がなくなるというか・・・。うまくは表現できないけれど、障害を一つの個性と受け止めることが出来ると思うのです。
少なくともうちの子はそうです。現にダウン症のお子さんが歩けないのを見ても「何故歩けないの?」とか自閉症のお子さんが話せないのを見ても「何故話せないの?」とは訊ねたことはありません。顔や声が違うのと同じように個性の一つとして受け止めているからす。それはすごい事だと思うしとても良い事だと私は考えています。いつか世の中の皆がそういう考え方になって心の中もバリアフリーの世の中になればいいなあと思っています。
更新日時:
H16年7月26日(月)

8    長男育児記録 NO5
長男ゆうきの病気のことー。
生後1ヶ月検診で心臓に雑音があると言われた。近所の小児科で3ヶ月まで経過観察をしていたが状態が変わらないので一度大きな病院で精密監査をしてもらった方が良いと言うことになり三菱京都病院に紹介されました。
超音波検査の結果「心房中隔欠損」である事が判った。(心臓の下の部屋の壁に約7mmの穴が開いていた。)妊娠中色々あったので多少の障害がある事は覚悟していたが正直ショックでした・・・。が、幸い日常生活での運動制限も無く風邪を引きやすい事と少し体が小さいと言う事を除いては普通の子供と変わりはありませんた。元気な時は心臓に病気を抱えていることなど忘れてしまっている事もあったし、もしかしたらこのまま完治するのではないかと思ったこともありました。が、昨年担当の先生から手術は絶対に必要と言われました。従来ならば小学校に入学する前に体重が15kg〜20kgになったら手術をするのですがカテーテルによる手術方が新しく開発され、その方法だと手術の翌日には歩くことが出来て1週間で退院出来ると言うことでしたし傷跡も小さくて済むと言う事でした。(従来方では手術後1週間は集中治療室で絶対安静で退院まで3週間はかかるそうです。)ただしカテーテルによる術式は厚生省の認可待ちで大阪の吹田市にある国立循環器病センターでしか出来ないとの事でした。私たち夫婦は相談して循環器病センターでのカテーテルによる手術を受けることを選択しました。わが子にはなるべく辛い思いをさせたくなかったから・・・。今は定期的に検査と診察に通っています。早く厚生省の認可が下りればいいなあと思いながら・・・。 
更新日時:
H16年7月28日(水)

9    長男育児記録 NO6
子供は親に見せる顔と別の顔がある・・・。
別に親の居ないところで悪い事をしている訳ではないのですが・・・。ゆうきはどちらかと言うと甘えん坊で私と居るときはベタベタくっついてくる子供でした。保育所にも中々慣れず朝のお別れの時も私にしがみついて泣いて毎日、後ろ髪を惹かれる思いで仕事に行っていました。初めての懇談の時に「毎朝泣くし究極の早生まれだし甘えん坊だし保育所での生活がすごく心配です。」と言うと「お母さんが居ないときはしっかりしていますよ!お友達とのトラブルがあってもきちんと説明できるしやられたらしっかり仕返ししてから泣いてます。」と意外な答えが返ってきました。先生がおっしゃるには家で甘えるのはごく自然な事・・・。家でしっかり甘えられるから外で頑張れるということでした。最近では家でお利口にしていなければならなくて外で羽目をはずす子供が増えているそうです。家の場合は親子関係が上手くいっているからそういったことがないと言われました。親に見せる顔だけがすべてではないんですね・・・。かつて自分自身もそうだったのに忘れていました・・・。
更新日時:
H16年8月14日(土)

10    ゆうき誕生秘話?!
コラムの冒頭で出てきた通り長男誕生までは結婚してから多少のじかんを要したのですが、実は不思議な出来事があったのです。ゆうきを妊娠する前に父方の祖父が他界しました。その祖父は私に子供が中々出来ない事を最後まで心配して亡くなりました。祖父の忌明け前に私の夢枕に立って私のお腹を祖父がそっと撫でたのでした。そして不思議な事に忌明けの翌日妊娠が判明したのでした。ただの偶然かもしれませんが出産予定日も亡くなった祖父の誕生日の3月30日でした。(実際には3月24日に生まれたのですが・・・。)そして生まれたゆうきは亡くなった祖父にとてもよく似ています。もしかして生まれ変わり?なんて考えた事もありますが・・・。真相は定かではありません。
更新日時:
H16年8月25日(水)


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