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長男妊娠中のエピソードや出産までを掲載中
随時、更新していきます。お楽しみに!
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2 第一子妊娠出産記 NO2 | ||||
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どうにか危機を乗り越えた後、待っていたのは「つわり」・・・。
が割と軽めで食欲が無くなって焼き魚の匂いとご飯を炊く匂いが駄目だったくらいで思ったほどではなかった。困ったのは嗜好の変化で、なぜか黄色いものが食べたくなる・・・。卵サンドにフライドポテト、クリーム西瓜(黄色い西瓜)などなど・・・。
臨月に入ってからは「雀の焼き鳥」が食べたくて・・・。一度食べたいと思うとどうしても食べないと気が済まなくて主人に頼んで伏見稲荷の親戚の店まで食べに連れて行ってもらいました。
安定期に入ってからは仕事にも復帰し
マタニティスクールなんかも積極的に参加して沢山お友達を作りました。友達の中にはトールペイントを趣味でやっている人がいて仕事が休みのときにお邪魔して表札を作りました。編み物にもチャレンジしました。「胎教にいいし退院する時に着せるベビードレスでも作ってみたら?」と友達に勧められ編み物は自己流だけど製図も読めるし大丈夫だろうと思い、いざ始めてみると結構難しい・・・。編んでは解いてやり直し・・・。毎日、目を吊り上げて頑張っていると主人が一言「胎教に悪そう・・・。」確かによくは無かったかも・・・。でも努力の甲斐があり とっても可愛いベビードレスが出来上がりました。
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3 第一子妊娠出産記 NO3 | ||||
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いよいよ臨月
難産にならないように体重制限もちゃんと守って普段の体重の5s増で迎えたお産。
絶対安産!!と思いきや子宮口全開まで17時間の超難産!「もしかして、これは看護学校の時に見たお気の毒様のパターンかも・・・。」お気の毒様のパターンとは子宮口全開までにじかんを要しすぎて胎児の体力が落ち結局、帝王切開になるパターン。
案の定そうだった。「胎児の心音が急激に低下し危険な状態なので帝王切開に切り替えます。」と・・・。なんとか2度目の危機を乗り越え2428gの可愛い男の子誕生!!
未熟児だったため保育器に1週間も入っていましたがとても元気な男の子で心配していた生涯も無く五体満足のはずだった・・・。「2度の危機を乗り超えたのだからきっと心臓に毛が生えてるわ」と冗談でよく話しをしていました。生後1ヵ月後の検診で
心臓に毛が生えてはいませんでしたが、穴が開いていました。病名「心房中隔欠損・三尖弁閉鎖不全」私たち夫婦はこれ以上無い悲しみに襲われました。「五体満足で生んであげられなくてごめんね。」と自分自身を責めたりもしました。が、 「すぐに命に別状がある訳ではないし、普通の生活が十分送れるのだから・・・。」と思い直すことができました。どこまでも前向きなのが私の取柄だ!!
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4 長男育児記録 NO1 | ||||
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少し話しが前後しますが、長男が誕生して1週間は保育器の中にいたので私の手元にやってきたのは8日目でした。それから2日後に退院となったので入院中はほとんど授乳をしませんでした。お陰で帰宅したからはパニック状態になりました。育児書には3時間は眠ると書いてあるのに、夜になると長男は1時間ごとに泣くのです。「育児書どうりには行かないもの」と判ってはいても毎晩そうだと結構キツイ・・・。しかも長男が誕生した頃は主人の仕事が忙しくほとんど12時ごろの帰宅・・・。一日中長男と二人きりで夜もろくに眠れない上に育児を手伝ってもらえない・・・。育児ノイローゼ寸前でベットの上に長男を放り投げたこともあった。(怪我をしないように気を付けて・・・。)
夕方になると何故か決まって泣き始める長男をあやしながら離島に親子二人きりになったような気持ちになり、一緒に泣いたこともあった。「育児を手伝ってくれない夫なんて要らない。仕事に復帰したら離婚してやる!!」と思ったこともありました。けれど、そんな時にマタニティスクールで友達になり私より1ヶ月前に出産をした人が電話をくれて色々愚痴を聞いてくれました。するとなんだか気分がすっきり!!自分ひとりじゃないんだ!ひとりで頑張ることは無いんだ!!っ思えるようになりました。マタニティスクールの友達だけじゃなく職場の友達にも色々お世話になりました。友達ってほんとにありがたい存在ですよね!!
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5 長男育児記録 NO2 | ||||
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いよいよ公園デビュー!!マタニティスクールで友達になった仲間と一緒に公園デビューした長男と私。顔見知りの仲間ばかりだったので緊張?!することもなく楽しく過ごしました。でも誰も知っている人がいない中で人見知りをする人だったら結構勇気がいるのかもしれませんね・・・。公園デビューをして数ヶ月経って頃、寒い冬が到来しました。一人二人と風邪を引き公園に姿を見せなくなって行きました。長男は心臓に疾患があるため特に感染症(風邪など)には弱く1ヶ月に3度も4度も風邪を引き
その度に点滴をしてもらわなければなりませんでした。1歳になる頃にはインフルエンザにかかり入院を余儀なくされたことも・・・。冬場は極力家で過ごすように心がけたのですが、そうすると親子共々ストレスが溜まる様になりました。当時はまだ賃貸マンションに住んでいて隣人は大の子供嫌い!!で子供がちょっと泣いても直ぐに苦情を言ってくる人だったのですごく気を使いました。一冬をなんとか乗り越え春になった頃、私の「仕事がしたい!したい!!」病がではじめました。「ねえねえ・・・。仕事に行ってもいい?」と毎日毎日主人に尋ねるようになりました。主人は決まって「子供がもう少し大きくなってからでいいじゃないか!子供と向き合える時間は短いし限られているんだから・・・。」と言いました。主人の言うことは正しくてもっともだとは思いましたが私は仕事に復帰したいと言う気持ちを変えることが出来ませんでした。日進月歩で進む医療界ではブランクは大きな障害になる事を知っていたし、社会から隔離されたような当時の状態に耐えられなかった。
それに何時子供に対して「あなたが生まれたせいでママは仕事に行けなくなったのよ!!」と言ってしまうかも知れない自分自身が怖かったし・・・。復帰することによって色々な障害が予測される事も知っていたがどうしても復帰を思い留まることはできなかった。「家にいて鬱々とした母親の姿を見せ子供に毎日当たるより仕事に復帰して生き生きとした母親の姿を見せる方が子供にとってはいいんじゃないか?」と主人を説き伏せ週に3日午前診だけと言う条件で仕事に復帰することになったのでした。
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