御同朋の社会を目指して!


「tomo」のつぶやき
                                    
 
 このページでは私tomoの怒りや愚痴、疑問などを日記形式で書いていきたいと思っていま
す。「日記」というぐらいだから、目標は毎日だけど、どうなることやら・・・


07年10月29日(月) 「政治圧力」

 教科書検定で沖縄の集団自決の真実を歪曲しようとした問題で、当時の教科用 図書検定調査審議会の委員2人が、「(当時の検定意見について)検定結果は不 適切なものだった」という意見を匿名で毎日新聞に寄せたという(10/29)。
 今回、沖縄の声を無視出来なくなった政府が、再度、教科書の書き換えを容認し たことに対して、自民党の一部保守議員たちが「時の政権によって検定意見が覆 されることはあってはいけない!」ともっともらしいことを言っていた。でも、実は今 回の歴史隠蔽はそもそも前政権からの政治圧力によって始まったことが、これで 明らかになった。

07年10月25日(木) 「全国学力調査」

 全国学力調査の結果が発表された(10/25)。就学援助を受けている子どもが多 い学校ほど、低学力の傾向があるという結果が出ていたことが気になった。その 他にも、失業率や離婚率、親の年収など、親の経済格差が子どもの学力格差とな る傾向が明らかになった。

07年10月24日(水) 「弱者切捨て」

 障害者自立支援法の施行により、より重度の障害を持つ人程、以前と比べてサ ービス利用料の負担が大きくなっているという(10/23)。民営化、小さな政府といっ た美名のもとに行われている現在の構造改革。その陰で福祉や社会保障などの 予算が切り詰められ、その結果より弱い立場の人たちにそのしわ寄せが来ている 現実がある・・・

07年10月22日(月) 「軍隊の日常化」

 同じような記事が三つあった。一つは、佐世保で武器を携帯した自衛官が商店 街を武装行進したという記事。二つ目は、出雲で自衛隊の戦闘車両が市内をパレ ードしたという記事。三つ目は、陸上自衛隊の朝霧訓練場で、本物の大砲を使っ た名曲コンサートが行われたという記事(10/21)。こんなふうにして、戦争や軍隊 が日常生活の中に違和感なく浸透していくのだろう。

07年10月20日(土) 「軍隊と差別」

 また在日米軍兵士による忌まわしい事件が起こった(10/19)。でもこれは起こる べくして起こった事件なんだと思う。軍隊では戦争で敵を殺すために人間を人間で ないものとして見る訓練をしている。そんな中で女性に対する蔑視・差別観が作ら れ助長されていくんだと思う。

07年10月19日(金) 「首相と一議員」

 国会議員67人が秋の大例祭に合わせて靖国神社を団体参拝したという(10/ 18)。ところで、あの小泉元首相も参拝したんだろうか?団体行動はお嫌い?それ とも、一議員として参拝することにあまり意味を見出せない?あこまでたくさんの人 に迷惑をかけてでも自分の信念を通したんだから、総理も辞めた今、おそらく毎日 参拝していることだろう・・

07年10月18日(木) 「在家仏教」

 『親鸞聖人の信心と念仏』(梯實圓著 自照社出版)を読んだ。その中で梯先生 は在家仏教について次のように説明されている。
 在家仏教とは、仏教を世俗化していくのではない。世俗を仏教化していくことだ と。教えに出遇うことを通して、自分の幸せだけを目指して生きてきたこれまでの 己の浅ましさに気づかされ、「苦悩は私が引き受けますから、あなたは幸せになっ てください」と願う生き方(=仏)こそ真実に適った生き方であると知らされてくる。そ んな真実に適った生き方に少しでも近づこうと実践していくことこそが念仏者の生 き方だと仰る。もちろん、実践しようとすればする程、自らの不甲斐なさ、無力さが 知らされてくる。しかし私たち念仏者には、お浄土に生まれ悟りを開いた暁には自 由自在に人々を救うことが出来るという希望がある。だから絶望することも、不貞 腐れることも、諦めることもなく、精一杯自分に出来ることを今やらせて頂けばいい んだろう。 

07年10月17日(水) 「自民と民主」

 政府のテロ特措法に対する民主党の対案の概要が少しずつ明らかになってきた 10/16)。要するに小沢代表が考えていることは、国連のお墨付きがあれば自衛 隊を積極的に海外に派兵する。しかし、現在アフガニスタンに展開するISAFへの 参加は、党内の声を配慮し教育や医療などの分野への活動に限定するということ みたいだ。
 う〜ん、結局、自衛隊の海外派兵に道を開くことであり、チャンスがあれば治安 活動もするということじゃないんだろうか?政府・自民党の「アメリカ一辺倒」か「国 連一辺倒」かの違いだけのような気がする。

07年10月16日(火) 「世論調査」

 テロ特措法に関する朝日新聞の世論調査が出ていた(10/16)。それによると給 油継続に賛成が39%、反対が44%となっていた。でも、よく考えると、少し前の時 事通信の世論調査では賛成が44%、反対が28%と全く異なる結果が出ていた(10 /13)。どっちが本当なんだろうか?
 まあ、世論調査というのは、設問の仕方によっても回答が大きく変わるというし、 それぞれの調査機関が自らの主張も踏まえた上での世論操作的な面もあると聞 く。あまり一喜一憂せずに、参考程度に見ておればいいんだろう。最後はやっぱり 自分で考え決断するしかないだから。

07年10月15日(月) 「踏み台」

 イラク戦争により約400万人以上のイラク人が家を追われ難民となり、苦しい生 活を強いられているという(7/14)。「北朝鮮に攻められた時、アメリカに守ってもら うため」「日本は中東に石油を依存しているから」と言ってイラク戦争を支持し、自 衛隊まで派兵した日本。絶対に今のイラクの状況と無関係の日本人は一人もいな いと思う。
 今週の言葉:「戦争の犠牲者を 踏み台にして ひたすら自らの 幸福(しあわ せ)を 求めてはいないか」

07年10月14日(日) 「観念の世界」

 昨日、仏青の同朋研修会で非戦・平和の問題について話し合い法座をした。以 前、ある人から「確かに仏教の教えは素晴らしい。仏教の世界では非戦でも構わ ない。しかし現実とはそんなに甘くない。敵が攻めてきたらどうすんだ?ミサイルが 飛んできたらどうするんだ?しょせん仏教は観念の世界、頭の中だけの話なん だ!」と言われたことを紹介したら、あるメンバーがこう言った。「おそらくその人に とっては戦争も頭の中だけの話しなんだろう。戦争の本当の現実・悲惨さを知りも せずに、机の上や頭の中だけで戦争をイメージしているに過ぎなんだろう」と。なる ほどと思った。今、私たちがまずすべきこと、それは戦争の現実を知ることなんだ ろう。

07年10月12日(金) 「なんぼのもんじゃ!!」

  昨夜のボクシング、亀田が負けた。亀田家と言えば、世間からどんなに批判を受 けようが「(世間の価値観が)なんぼのもんじゃ!」と我道を歩むところが好きだっ た(内容は別にして・・)。だからちょっと断念。
 敗因は明らかだ。試合前高橋ジョージが独唱する「君が代」を親子そろって恭しく 聞いていた。あちこちに「日の丸」をつけて。あれが敗因に違いない。内藤陣営は その間もボクシングだけに集中していた。間違いない。うん。

07年10月11日(木) 「嘘」

 政府は、インド洋で海上自衛隊から給油うぃ受けた米軍艦船などがアフガニスタ ン本土に対する空爆やミサイル攻撃作戦に参加していたことを明らかにしたという 10/10)。
 戦後60年間、日本の自衛隊(軍隊)は一度も外国の軍隊を武力攻撃したり、外 国人の命を奪ったことはないと言われてきた。でもそれがいかに嘘であっかが今 回の件で明らかになった。
 まあ、沖縄から飛び立った爆撃機がベトナムの人々の上に爆弾の雨を降らせた とか、沖縄で訓練を受けた海兵隊員がイラクでたくさんの人々を殺害したなど、今 さら何を言っているんだ!と言われそうだけど・・・

07年10月10日(水) 「戦争ビジネス」

 アメリカの民間軍事会社がイラク政府から民間人殺傷容疑で多額の補償金を要 求されているという記事があった(10/9)。以前、日本人傭兵が殺害されて話題に なった民間の軍事会社。今、イラクではこのような民間の軍事会社が多数、志願 兵の減少に悩む正規軍からの委託を受け活動しているという。まさに戦争が大き なビジネスチャンスとなっている現状がある・・・

07年10月9日(火) 「講義録I 軍隊とは」

 ダグラスさんは言う。軍隊の仕事の基本はまず国内の治安維持であると。海外 での戦闘は二次的なものでしかないと。今、世界中でたくさんの戦争が行われてい る。しかしその多くは国と国との戦争ではなく、国と国民、国と国民の一部との戦闘 である。つまり軍隊とは自国民を殺すためにあるんだとダグラスさんは言う。
 実際に自国民を殺すこと以外に仕事がないという軍隊がいくらでもあるという。例 えばメキシコ軍がそうである。メキシコの南にはグアテラマがある。しかしメキシコと グアテラマが戦争をすることなど誰も考えていないという。又、北のにはアメリカ合 衆国がある。もしアメリカと戦争してもメキシコの軍隊は全く役に立たないことは誰 しもが知っている。では何のためにメキシコは軍隊を持っているのか?メキシコ軍 は地方に派遣され、そこで秩序維持を行っているのだという。自国民を殺している のだと。
 これは何も外国の話ではないという。先日、沖縄・辺野古に自衛隊が派遣され た。住民が抗議行動をする中、民間の調査会社に代わって自衛隊が測量調査な どを行った。ニュースにはほとんどならなかったけど、これはダグラスさんに言わせ ると画期的なことだという。自衛隊が設立されて初めて自衛隊は何かを守ったんだ と。何を守ったのか?国民を守ったのではない。国民から政府を守ったのだと。武 力を背景に強制的に政府の政策を無理やり通したのだと。威嚇以外の何ものでも ないとダグラスさんは言う。

07年10月8日(月) 「講演録H 日米安保」

 ダグラスさんは日本の護憲運動の欠点をこう指摘される。多くの護憲論者が「9 条改悪反対!」と叫ぶ。しかしその中の多くの人が日米安保条約に関しては何も 言わないと。「9条を世界遺産に!」と叫びながら日米安保をどうするかには口をつ むぐと。9条、9条と言っているが、日本には米軍基地があり、そのほとんどが沖縄 に集中している。かつてベトナム戦争の時、沖縄はベトナムの人々から悪魔の 島≠ニ呼ばれていた。沖縄から飛び立った爆撃機がベトナムに爆弾の雨を降らせ たのだと。おそらくイラクの人々もいずれそう呼ぶようになるかも知れないと。沖縄 を犠牲にし、ベトナムやイラクに爆弾の雨を降らせておきながら、「9条を世界遺産 に!日本さえ平和でよければいい!」という考え方は世界では通用しないとダグラ スさんをおっしゃる。

07年10月7日(日) 「講演録G 地方自治」

 自民党の新憲法草案の中で9条以外に書き換えられている箇所として「地方自 治」があるという。そこでは、地方自治の役割として「(地方自治体は住民にとって) 身近な行政を行う」という文言が新たに追加されている。また中央政府と地方自治 体の役割分担として「適当な役割分担を踏まえてお互いに協力する」という項目が 新設されている。
 これに関してダグラスさんは次のように分析する。日本政治の面白いところは、 例えば神戸市の「神戸方式」のように核燃料を使っている軍艦を入港させないと か、「無防備宣言」とか、非核宣言とか、原発を置かないとか、基地を置かないと か、本来中央政府で決めたいことまで地方自治体が独自に決めてしまうことが多 いのだそうだ。しかしそれでは中央にとって都合が悪い。そこで上記のように地方 の役割を制限するような記述が出てきているのだとおっしゃる。
 そして、中央政府にとって一番煩わしい地方自治体はどこかというと、それは沖 縄だとおっしゃる。沖縄の自治体はこれまでも日本の安保・外交政策に関わる事 柄に対しても独自の政策を提示し、政府と対立してきた。それを制限するために、 「地方自治体は下水道や上水道、道路などの「身近な」行政だけやっていろ!」と 憲法で規定しようとしているのだと。まさに沖縄をターゲットにした改悪だとダグラス さんはおっしゃる。

07年10月6日(土) 「鉄人28号」

 今朝の朝日新聞に、公権力と憲法と国民の関係について非常にわかり易い喩え を持って説明している投稿記事があった。
 昔流行った「鉄人28号」。あの「鉄人28号」は名前は忘れたけど一人の少年がリ モコンを使って操り、悪者を倒していくというストーリーだった。あのアニメに喩なが ら、「鉄人28号」とは公権力のことであり、リモコンは憲法、そして少年が私たち国 民だという。「鉄人28号」は強力な力・破壊力を持っている。もしリモコンが悪の手 に渡れば、鉄人は悪の味方になる。しかしリモコンは地球の平和を願う良心的な 少年の手元にあるからこそ、正義の味方であり続けることが出来るのである。
 もし鉄人(公権力)を操るリモコン(憲法)が一部のタカ派政治家や利益を最優先 する経済人の思うように操作されてしまったらどうなるだろうか?たちまち鉄人は 悪の味方となり暴走し始めるだろう。

07年10月5日(金) 「国際貢献A」

 今朝の朝日新聞に「テロ特措法」に関して静岡県立大大学の宮田律准教授の次 のような意見が掲載されていた。
 海上自衛隊の補給艦がインド洋で給油活動をすることはあたかも戦争と全く関 係ないように語られることが多い。でも実際にアフガン国内では「テロ掃討」の名目 で米軍やNATO軍によって空爆が繰り返され、昨年だけでも4千〜5千人の民間人 が巻き添えになって死亡しているという。また「テロとの戦い」が叫ばれるが、実際 のところパキスタンでは00年には年間14件であったテロ事件が、今年は既に9月の 時点で440件も起きているという。テロは減るどころか増えているのである。また、 中東に石油を依存する日本として、シーレーンの安全を確保するのは当然だとい う声があるが、日本の石油タンカーが狙われるのはテロ組織からよりもむしろ海賊 からであるという。ならば各国と協力しながら海賊対策に力を入れればいいだけの 問題だと宮田氏は主張する。そして、本当にテロを根絶しようと思うなら投資や民 生支援など地域の発展を促す息の長い取り組みが必要だと氏は言う。実際にこれ まで中近東では、病院や学校の建設を中心とした日本の支援を評価する声が高 かったという。ところが今回の戦争によって日本の評価は確実に落ちているとい う。今こそ、米国に感謝されるだけが「国際貢献」ではないということを改めて知る 必要があると主張されていた。

07年10月4日(木) 「「ミャンマー」政府に対する抗議」

 「tomoのお薦め情報」でも案内していますが、「ビルマの僧侶と連帯する仏教徒 の会」が「ミャンマー」政府に対して今回の弾圧事件に対する抗議文を送ろうと全 国の僧侶・仏教徒に呼びかけています。HPを開き書式をダウンロードし70円切手 を貼って郵便ポストに投函するだけで、誰でも簡単に参加できます。どうか一人で も多くの方々のご協力をお願いします。

07年10月3日(水) 「棄兵・棄民政策」

 元シベリア抑留者の人たちがシベリア抑留者に対する政府の棄兵・棄民政策の 違法性を争点に訴訟を起こしたという(10/3)。
 この国は戦死した兵士に対しては至れり尽くせりだけど(?)、生きて返ってきた 兵士には冷たいな・・・。まるで戦地に赴く兵士には生きて帰ってくるな!と戦時中 のみならず現在でも言っているようだ。

07年10月2日(火) 「国際貢献@」

 今朝の朝日新聞に大阪大学の松田武教授が日本が果たすべき国際貢献につ いて語っていた。非常に興味のある提言だと思う。
 松田教授は言う。日本国民は先の大戦の体験・反省を踏まえ二度と戦争はしな い、武器は持たないという決意のもとこれまで平和国家を築いてきた(日米安保や 沖縄の犠牲の下でのという条件は付くだろうけど・・・)。したがって日本の貢献はこ の歩みのもとになされなければならいと。具体的なビジョンとして、「最善の慈善活 動とは、諸悪をその根源から絶つことである」というロックフェラーの言葉を引用 し、「テロ」を生み出す社会的文化的根源の根絶を目指すために、日本独自の世 界規模の人道支援プログラムを構築し、医療や工学、教育などの非軍事的日本 平和部隊の創設と派遣を提起している。そして、日本国民一人ひとりが国際問題 の傍観者となるのではなく、戦争や飢餓の犠牲者と同等の位置に立つ覚悟で、直 接、間接にその人道支援に関わるべきだと主張される。具体的には、軍事費に税 金を使う代わりに、年間一人100円でもいいから寄付をして、それは部隊の費用に してはどうかと提案しておられる。そして最後に、今の国際社会は、秩序維持のた めには軍事力が必要だという前提に立っている。しかし日本はこの大前提を超え て、これからの人類が進むべき方向性を示していくべきであると主張されている。
 読んでいて本当にその通りだと思った。9条の精神を世界に伝え、人類が進むべ き方向性を提示していく。これこそ日本の国際貢献であり、日本人の誇りになるん だと思う。
 「とりあえず自衛隊を派遣しておけ!それが国際貢献だ!」と言う人に限って、ど こかで自分自身を傍観者の立場に置いているんじゃないだろうか・・・ 

07年10月1日(月) 「歌わない自由」

 最近やたらと芸能人や有名歌手がスポーツの開会式などで君が代を独唱する場 面が増えてきたような気がする(10/1)。明らかに何らかの意図が働いているんだ ろう。おそらくこうやって知らず知らずのうちに君が代が若者や国民の間に浸透し ていくんだと思う。
 確かに誰が君が代を歌おうが、それは個人の自由なのかも知れない。しかし歌う 自由があるなら、歌わない自由もちゃんと認めるべきだと思う。それが憲法に示さ れた基本的人権を守ることであり、成熟した市民社会、民主主義社会なんだと思 う。

07年9月30日(日) 「沖縄県民大会」

 昨日、沖縄では県民約11万人が参加して、「軍命による集団自決」の記述を削除 した教科書検定の撤回を求める県民集会が行われた(9/29)。沖縄の人々に対し て申し訳ない気持ちで一杯であると同時に、都合の悪い歴史を隠蔽しようとする最 近の動きを日本人として恥ずかしく思う。
 なぜそこまでして軍命による集団自決の事実を隠そうとするのだろうか?理由は 一つである。軍隊に対する国民のマイナスイメージを払拭したいのだろう。そして 軍隊というものを美化することで、戦争そのものも美化したいのだろう。将来の戦 争に備え、進んで兵士になる若者を育て、戦争を支持する国民を作りたいのだろ う。再び沖縄を捨石≠ノすることによって・・・
 今回の問題は沖縄だけの問題なんかじゃないんだと思う。私たち平和を愛する 全ての日本人が考えなければならない問題なんだと思う。

07年9月29日(土) 「「日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い」」

 「日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い」と題して全ビルマ青年僧侶連盟 (ABYMU)議長・アシン・ケマサラ氏より声明が出されている(「お知らせ」ページ参 照)。
 先の大戦中、日本軍の中国侵略を受けて、中国の仏教界から日本の仏教界に 向けて、同じ仏教徒として侵略戦争に反対するよう声明が出されたという。しかし、 本願寺教団をはじめ日本の仏教界はその要望を無視し、むしろ積極的に侵略戦 争を美化・支持していったという。
 同じ過ちを繰り返さないためにも、仏教徒として、御同朋として今私たちに何が出 来るのか一人ひとりが考えてなければいけないんだと思う。ちなみに、全日本仏教 界並びに真宗連合会、本願寺派などが非難声明を出している(本願寺派HP)。

07年9月28日(金) 「身分社会」

 所得格差が益々拡大しているとの調査結果が出ていた(9/28)。年収200万円以 下が1000万人を超える一方で、年収1000万円以上の人も少しずつ増え続けてい る。つまり中間層が減少し、持つ者(上層)と持たざる者(下層)との格差が一層拡 大しているということだろう。そしていずれは親の経済格差が子どもの学力格差、 しいては経済格差となり、階層の世代間継承・固定化につながっていくのだろ。ま さに身分社会の復活である。
 先の自民党総裁選で小泉元首相の再登板を望んだ人たちは、いわゆる「勝ち 組」なんだろうか?そうは単純でないところが、問題の深刻さを物語っているのか も知れない・・・

07年9月26日(水) 「講演録F 公共の福祉と公の秩序」

 自民党の新憲法案の「人権条項」には、「公益及び公の秩序に反しない限り ○○の権利を認める!」というような条件が付けられている。確かに今の憲法にも 「公共の福祉のためにこの権利を使わなければならない」などの条件はある。しか し「公共の福祉のために・・」と「公の秩序に反しない限り」とは同じように聞こえて も、全くその性質は異なるとダグラスさんは指摘する。
 例えば、60年安保闘争の時に国会前に何十万もの人が集まっている有名な写 真がある。あの人たちは何をやっているのかというと、国を好くしようという思いか ら「公の福祉のため」に頑張っているのだと。ところがあの人たちの行動は一方で 秩序には反しているという。道の真ん中に立って交通違反だし、実際に当時の東 京の秩序はかなり乱れていたはず。でも今の憲法ではあれは許される。むしろ今 の憲法はあのような行動を積極的に応援する。ところが新憲法になればあのよう な行動は禁止されるという。それぐらいの大きな違いがあると考えればいいとダグ ラスさんは言う。

07年9月25日(火) 「生きた仏教」

 ミャンマーで仏教僧侶が中心となって始まったデモが、民主化を求める民衆の支 持を得ながら10万人規模の大きなムーブメントとなり、軍事政権との間で緊張関係 が続いているという。本当にすごいと思う。ミャンマーには、生きた仏教があるんだ と思う。仏教に生きる僧侶がいて、仏教に生きる人々がいるのだろう。今、同じこと を私たち日本の僧侶がしたとして、はたして人々は支持してくれるだろうか・・・
 何とか一人の犠牲者も出すことなく事態がよい方向に向かってくれればと願わず にはおれない。

07年9月24日(月) 「講演録E 交戦権」

 自民党の新憲法草案からは9条の2項の「国の交戦権これを認めない」という箇 所が削除されているという。「交戦権」とは何かというと、露骨に言えば「人を殺す 権利」なんだそうだ。
 もし普段の生活の中で他人を10人殺せば大変なことになる。連続殺人犯だ!と か、死刑だ!とか、犯人は人間でない!とか大騒ぎになる。ところが戦争で同じよ うに殺してもそうはならない。それどころかむしろ立派な人だ!とか、勇ましい人 だ!とか勲章をもらい褒められる。
 なぜ戦争では他人を殺しても罪にならないのか?それは「交戦権」があるからだ とダグラスさんは言う。逆に言えば、「交戦権」がないと、侵略戦争とか自衛戦争と か関係なく、人を殺すと殺人犯になる。だから絶対に戦争は出来ないという。
 そういう意味を理解した上で、今の憲法には「交戦権」を認めないと書かれてい る。だから自民党案でその部分が削除されているということは、彼らが再び戦争を すると言っているようなものなんだろう。

07年9月23日(日) 「対立軸」

 やっぱりと言うか、海上自衛隊が給油した米艦船がイラク作戦に参加していたこ とが明らかになった(9/22)。まあ、たとえイラク作戦に参加していなくても自衛隊が あそこで外国の軍艦に給油しているだけでも憲法違反だと私は思う。
 民主党もそんなことで特措法延長に傾く世論の支持を挽回しようとするよりも、軍 事力に頼らない民生分野での日本独自の国際貢献の道筋を国民の前にちゃんと 提示すべきだと思う(8/30)。軍事力による国際貢献とやらを目指す自民党と民生 分野での国際貢献を目指す民主党という明確な対立軸を示してくれたほうが、次 回の政権選択選挙でも国民は判断しやすいんだと思う。

07年9月22日(土) 「国家による正義の殺人(戦争と死刑)」

 『ヒットラーでも死刑にしないの?』(中山千夏著 築地書館)を読んだ。アニメ「じ ゃりんこチエ」のチエちゃんの声優として有名な中山さんは死刑反対論者だという。 本の中で死刑制度と戦争について次のように語っておられる。
 「人間の正しい道を踏み外した人、間違った人、悪い人を徹底的に懲らしめ、二 度と社会に迷惑をかけさせないために、殺す。悪人を懲らしめること、社会から罪 悪の元を取り除くこと、それは正しいことである。正義である。そんなふうに多くの 人が考える。だから世の中の認識によれば、死刑は正しい殺人、正義の殺人なの だ」と死刑を容認する社会心理をまず分析される。そして次に中山さんはそれに対 してこう反論される。「(国家による正義の殺人=死刑を容認することは)「どんな理 由があろうと、殺人はいけない。やめよう」という私たちの大切なルールを弱める恐 れがある。」とおっしゃる。「正義は、誰もが掲げることができる。他人から見れば 横暴に過ぎないことでも、当人にとっては正義、というのは、日常もよくあることだ。 実際、極端な政治集団や暴力団は、自分たち独自の正義を掲げ、その名によって 人を傷つけたり殺したりする。個人が、義憤にかられて殺人に及ぶ、ということもあ る。そうした殺人が起こるのは、私たちの社会の底に、「正義の殺人は、してもい い」という考えが流れているからではないだろうか。・・「正義あっての殺人なら、時 には認めてもいい」といった感情があるからではないだろうか。あらゆる殺人を根 底から否定する考えが、弱いからではないだろうか」と死刑と一般の殺人との関係 性を分析される。
 一方、戦争については、「(戦争は正義と正義のぶつかり合い≠ニ言われるよ うに)「正義があれば戦争をしてもいい」という考えをみんなが支持している限り、戦 争はやめられない。「戦争はできるだけしたくない。けれども。向こうがあんまり悪 い時には、懲らしめるために、正義を示すために、戦争をすることがあっても仕方 ないんじゃないか」とみんなが考えている限り、戦争はあり続ける。「正義があって も、戦争をしてはならない」と多くが考えた時、世界は初めて、現実的な平和への 道を歩み始めるのだ。・・・その道を開くのが(正義の戦争も含めてあらゆる戦争を 禁じた)日本の憲法9条なんだ」とおっしゃる。
 そして、「というわけで、国家による正義の大量殺人、戦争を私は認めない。たと え正義があっても、国家は殺人をしてはならない。同じことを、国家によるもう一つ の正義の殺人、死刑についても、私は主張する」とおっしゃる。

07年9月21日(金) 「教団の戦争責任・戦後責任」

 真宗教団の戦争責任・戦後責任に関する記事が二つあった(9/21)。一つは本 願寺派が、戦時中前門主が僧侶や門徒に戦争への協力を求めた消息を「聖教(し ょうぎょう)」から削除するというもの。もう一つは大谷派が戦争に反対した僧侶を 処罰したことに対する謝罪とその方の名誉回復をはかったというもの。どちらも戦 後60年経ってやっとという感も否めないけど、これまで教団の、僧侶の戦争責任・ 戦後責任に真摯に向き合ってこられた方々の取り組みが両教団の重い腰を上げ させたんだと思う。
 でもこれで終わりではないんだと思う。私たちの本願寺派にも戦時中戦争に反対 し僧籍を剥奪された僧侶がいたと聞いたことがある。しかし未だその方に対する教 団の謝罪や名誉回復はないという。教団が、そして私たち僧侶が二度と同じ過ち を繰り返さないためにも、これからもこの問題に向き合っていかなければならない んだと思う。

07年9月19日(水) 「指紋採取」

 11月20日から日本に入国する外国人から指紋及び顔写真を採取、撮影するとい う(9/18)。「テロ」対策の一環なんだそうだ。ちなみに同様の制度を導入しているの はアメリカだけだそうだ。
 う〜ん、確かにアメリカは常に世界で一番「テロ」の標的になる国である。ところで 日本はアメリカに次いで「テロ」の標的になりやすい国なんだろうか?あのイスラエ ルですら、入国する時にはそんな制度はなかったような気がする。
 指紋採取に関してはプライバシーの問題や差別を助長するなど慎重に事を進め るべきなのに、緊急性があるとも思えない対策をそんなに急いでやる必要がある のだろうか?まあ、確かに自衛隊を外国に派兵した時点で日本が「テロ」の標的に なる確率ははるかに上がっただろうけど・・・
 「テロ」のためとか、治安のためと言えば何でも許されてしまう、そんな雰囲気に 息苦しさや不気味さを感じるのは私だけではないはず。

07年9月18日(火) 「講演録D 平和を愛する諸国民」

  現憲法と自民党の新憲法草案を比較すると、前文に平和に関して次のような違 いがあるという。現憲法では、日本(人)は「平和を愛する諸国民」と協力して平和 を実現すると書かれている。ところが自民党案では「他国ととも」に実現を目指すと 書いてある。「人」から「国」に変わっている。
 ダグラスさんはこの「国」とはアメリカのことだと言う。アメリカと協力して世界平和 をもたらすと書かれているんだと。これが何を意味するかは誰にだって分かる。 「米軍と一緒になってイラクで平和をつくる。人を殺しながら・・・」という意味だとおっ しゃる。

07年9月17日(月) 「第21回 平和の集い」

 昨日奈良教区基推・各教化団体主催の「第21回 平和の集い」が開催された。 僧侶・門徒約500名が参加し、映画『Little Birds−イラク戦火の家族たち−』を観 賞したあと、監督の綿井健陽さんの講演を聞いた。
 綿井さんのこんな言葉が印象に残った。「製作者として映画を観て涙を流してくれ るのは有難い。しかしキツイ言い方かもしれないけど、もう映画を観ながら涙を流し ている場合ではない。それ程までに今のイラクの現状は酷くなってしまっている。滅 茶苦茶である。アメリカのイラク戦争を支持し、自衛隊まで派兵した国の国民として 是非そのことを知り、考えて欲しい」と。
 綿井さんのお話には、笑いもなければ、気の利いた言葉も、根拠のない楽観論 もなかった。淡々と今のイラクの現状、それに加担している日本の現状を話されて いた。物足りなかったと感想を述べる参加者もいた。でも、これが常に現場の最前 線に立ち続け、誤魔化しのない現実(人々の悲しき、苦しみ)を直視し続けている 人の話なんだと私は思った。

07年9月15日(土) 「講演録C 沖縄と憲法」

 ダグラスさんは、「日本国籍を持っている人のうち、今の憲法を積極的に自分の 憲法にして欲しいと思って長い間闘争し、運動して自分のものとしたのは沖縄だけ です。」とおっしゃる。
 敗戦後、沖縄はアメリカの戦利品∴オいとなり、人々は苦しい生活を強いられ る。やがて沖縄では本土への復帰運動が始まる。その大きな動機の一つは、沖縄 の人々が本土の平和憲法・人権憲法を欲しいと願ったからだという。つまり日本民 族が好きというよりも平和憲法があるからこそ沖縄の人々は日本への復帰を願っ たのだと。だから今の憲法がなくなったら、平和憲法から戦争憲法に変わったら、 沖縄がこれ以上日本と付き合い続ける理由があるのか?という声が少しずつだけ ど沖縄の中で上がり始めているんだそうだ。

07年9月14日(金) 「講演録B 押付け憲法」

 改憲派の人たちは言う。「今の憲法は押付け憲法である。だから自分達の手で 作り直すのだ!」と。それに対して護憲派は「押付け憲法ではない!」と反論する。 ところがダグラスさんの主張は少し違う。ダグラスさんは「押付け憲法で何が悪 い!」とおっしゃる。
 本来憲法というのは押付けるものだという。いい憲法はみんな押付けられたもの なんだそうだ。問題は誰が誰に押付けるかである。改憲派は「アメリカが日本に押 付けた!」という。一方ダグラスさんは「日本国民が押付けているんだ!」とおっし ゃる。近代憲法というのは政府の権力を制限するものであり、主権者である国民 が政府の暴走を許さないために押付けているのだと。
 もちろん最初はその「押付け勢力」の側にアメリカもいた。しかし憲法発布後1年 も経たないうちにアメリカはその「押付け勢力」から抜ける。冷戦など世界情勢の 変化によりアメリカは今の憲法を押付けたことを後悔し始める。しかし戦後60年以 上憲法は守られてきた。なぜか?それは日本国民が「護憲運動」というかたちで政 府に今の憲法をずっと押付け続けてきたからであるという。
 だから「押付け憲法だ!」という主張に対しては、胸を張って「ハイ、押付け憲法 です」と言えばいいとダグラスさんはおっしゃる。

07年9月13日(木) 「安倍首相辞任」

 安倍首相が辞任した。「憲法改悪」「戦後レジーム(平和主義・民主主義)からの 脱却」を掲げ、「教育基本法」や「国民投票法」の強行採決し、防衛庁を「省」へ昇 格させ、教育再生会議や集団的自衛権の行使容認を求める懇談会の開催など、 これまで日本人が築き上げてきた平和・人権・民主義を悉く踏みにじってきた人物 が、全てを放り投げ逃げ出してしまった。平和と平等を望む多くの国民の勝利と受 け止めていいんだと思う。
 これで少しはまともな社会になるだろうか?否、彼がいなくなったことで却って改 憲議論などが進展するかも知れない・・・

07年9月12日(水) 「講演録A 「臣民」から「市民」へ」

 大日本帝国憲法では、日本人は「臣民」であった。「臣民」とは、政府の言うことを 無条件に信じる人々であり、従うだけではなく積極的に政府のやろうとしていること に尽くす人々であり、極端な場合には玉砕する人々である。疑ってみたり、自分で 考えて政府のやっていることが正しいかどうか判断する人ではないとダグラスさん 言う。
 一方、今の憲法からは「臣民」という言葉はなくなり、「国民」・「市民」になった。 「国民」・「市民」とは、自分で考え話し合い、自分の考え方を自分で作っていく。そ して自分の考え方からして政府のやっていることが正しいと思えばそれを支持する し、正しくないと思えば支持しない、反対する。それが「市民」であると。
 果たして私たちは戦後60年本当の「市民」になりえただろうか?それこそ今、再 び「臣民」に逆戻りさせられようとしているのではないだろうか・・・

07年9月11日(火) 「『夜回り先生のねがい』を読む」

 『夜回り先生のねがい』(水谷修著 サンクチュアリ出版)を読んだ。
 夜回り先生≠アと水谷先生はこれまでに一度も子どもを殴ったことがないとい う。しかし実は一度だけ子どもを殴ったことがある。夜間高校で入学当初からずっ と目をかけてきた生徒が卒業間近に担任の先生に暴力を振るう。もちろんその生 徒には殴るだけの理由があった。ところが担任の先生は校長に報告し、この生徒 を退学にさせると言う。そこで水谷先生は生徒に理由はなんであれ担任に謝るよう に諭す。でも生徒は拒否する。すると水谷先生はその生徒の頬をぶん殴った。そ して彼に「人に殴られる痛さがわかったか。どんなことがあっても、人を傷つけては いけない」と諭し、「さあ、これから校長先生のところへ行こう。お前は担任を殴った ことで退学。水谷もお前を殴ったことで、クビ。それでいいな。」と言ったんだそう だ。それを聞いた担任の先生は「もういいです。」と生徒を許してくれ、翌日水谷先 生にこう声をかけてきた。「思い知らされました。子どもの問題は、力じゃ解決しな い」と。
 あるアンケート調査によると、大人たちの多くは「子供は失敗するもの」「しかると きは言葉で納得させる」と回答する一方で、大半が「犯罪少年への厳罰化には賛 成」という矛盾した意見を持っているんだそうだ(9/11)。
 「思いやり」、「優しさ」、「愛情」、「共感」、「共苦」、「共悲」・・・私たち大人が水谷 先生から学ぶべきことは多いんだと思う。

07年9月9日(日) 「講演録@ 主権在民」

 先日開催された「念仏者九条の会」全国集会で記念講演をしたダグラス・スミスさ んの講演テープを聞いた。非常に分かり易く、勉強になったので少し紹介します (全文については「念仏者九条の会」のHPなどでいずれ公開されると思います)。
 政治思想史の専門家であるダグラスさんから見て今の日本国憲法の中で一番 大事なものは何か?と問われれば、真っ先に前文の「われら」という言葉をあげる とおっしゃる。この「われら」という言葉こそが現憲法が主権在民憲法であることを 証明しているのだそうだ。
 例えば大日本帝国憲法では、「われら」ではなく「朕」であった。「朕」とは天皇であ る。つまり天皇が大日本帝国憲法を国民に授けたという形式になっていた。帝国 憲法は天皇から国民に対する命令書であった。それが現憲法では「朕」に代わり 「われら(=国民)」になる。つまり現憲法は、「われら」から政府に対する命令書で ある。だから命令書(憲法)に命令者の「権利」ばかりが書かれていて「義務」が書 かれていないのは当然なんだとダグラスさんはおっしゃる。
 ところが今回の自民党の新憲法草案からはこの「われら」という言葉が消えると いう・・・

07年9月8日(土) 「『人間選別工場』を読む」

 『人間選別工場』(斎藤貴男著 同時代社)を読んだ。全国、特に東京で進められ ている教育改革の実態について詳しく報告されていた。「学校の個性化」「特色あ る学校作り」などの美名の下に進められている教育改革。その実態は若者たちの 選別、切り捨てであり、新たな教育格差が生み出されようとしていると著者の斎藤 さんは言う。また、その「改革」の中で切り捨てられた若者たちは未来を奪われ、希 望を奪われ、行き場のない怒りや鬱憤を溜め込んでいる。いつ爆発しても不思議 でない。しかし「改革者」たちは、その若者たちの怒りや不満を、消費やナショナリ ズム、好戦的な気分を煽ることでガス抜きしようとしているのだと斎藤さんは警鐘を 鳴らす。
 そして最後に斎藤さんは「若い人たちへ」と題して次のよなメッセージを送ってい る。「−戦争が公≠フためのものだなんて、本気で考えているの?−実は自分 自身の苛立ち、欲求不満を解消してくれる道具として、戦争を捉えていませんか? 閉塞感に押しつぶされそうな世の中で、むしろ極限状態に追い込んでもらうことで 自分を変えたい、ストイックに生きてみたい、そのためにことさら単純で乱暴で無責 任な政治家を支持したり、英雄視しているのでは?・・・こんな時代の自分探し はものすごく大変だと思う。それでも、もし自分を変えたいと思うなら、自分自身で 道を切り開いていくしかない。若い間には縛られてストイックな体験を一度は体験し てみる必要もあるのではないかとぼくは考えてもいるけど、それはあくまでも個人 的な生活信条であり、自分の責任の範囲内でのみ実行してよい性格のものであっ て、他人に同じやり方を押付けたり、そうしなければならない社会にしてしまおうな んてのは最低だ」と。

07年9月7日(金) 「大乗仏教と小乗仏教」

 ミャンマーの仏教僧侶が、ガソリンの値上げに抗議して全国各地で反対デモを行 い、治安当局と激しく衝突しているという。ミャンマーではこれまでにも民主化運動 などに僧侶が積極的に参加しており、人々の絶大な尊敬と支持を集めているんだ そうだ。
 ミャンマーの仏教といえば確か小乗仏教と呼ばれてきた。仏教では、大きなカテ ゴリーとして、東南アジアなどを中心に広まった「小乗仏教」と、中国や日本などに 広まった「大乗仏教」とに分けられる。この「小乗(=小さな乗り物)」という呼び方 は、「自分さえ悟ればいい。自分さえ救われればいい。」という自利の教え≠セと して、「全ての人が平等に共に救われる」という利他の教え≠標榜する「大乗 (=大きな乗り物)」の側から軽蔑の意味を込めて使われたきた呼び方である(ち なみに現在では、差別用語であるという理由から「上座部仏教」などと呼ばれてい る)。
 でもどうなんだろうか?ミャンマーの仏教・僧侶と今の日本の仏教・僧侶とを比べ てみたら。どちらが「自利(「=小乗」)」で、どちらが「利他(=大乗)」なのかとツッコ まれそうである。 

07年9月6日(木) 「日朝協議」

 ウランバートルで開かれている日朝協議で、日本政府はこれまでの「圧力」一辺 倒の政策を改め、拉致問題の解決と共に「過去の清算」問題も一括して話し合うと いう方針に転換したという(9/6)。今後どうなるかはまだ不明だけど・・
 「拉致問題さえ解決すればいい」とか「まず拉致問題の解決が先だ」といった自国 中心の主張は、米国下院の「慰安婦決議」でも明らかなように国際社会では通用 しない(7/31)。「過去の問題」に真摯に向き合っていくことこそが、同時に拉致問題 の早期解決にもつながるんだと思う。
 本当に「拉致問題の解決を!」と言うならもっと早く「過去の問題」に向き合うべき だった。でもなぜか拉致問題に一生懸命な議員ほど「過去の問題」には消極的な イメージがある。なぜだろうか・・・?

07年9月5日(水) 「仏様が見ているよ!D」

 最初に紹介したイチロー君。ある時お仏壇にお供えしていたお菓子を食べていた という。それを見つけたお婆ちゃんが「それどうしたの!?勝手に食べたらいけな いでしょ!」と怒ろうとした。するとイチロー君はこう答えたいう。「だってお祖父ちゃ んに貰ったもん」と。それを聞いたお婆ちゃんはもうそれ以上イチロー君を怒る気 持ちになれなかったそうだ。
 仏様は私たちをいつも優しく温かい眼差しで見守ってくださっているのだろう。(お わり)

07年9月2日(日) 「防御効果」

  今朝の朝日新聞に興味深い記事があった。紛争地域で「武装解除」などの仕事 に従事している伊勢崎賢治さんからの投稿である。伊勢崎さんは言う。紛争地域 の人々は相手の本質的な攻撃性を嗅ぎつける嗅覚に非常に優れいるという。その ような地域で仕事をする場合、何が一番自身の身の安全を守ってくれるかという と、それは「戦争を放棄した国≠ゥら来た人」というイメージだという。改憲論者 は9条のデメリットばかり主張するが、9条を放棄した場合に生じるデメリットはほと んど論じられていない。費用対効果から考えても、日本が9条を放棄した場合に生 じる損失は計り知れないという。争いが絶えない世界では非暴力こそ最大の安全 保障だということだろう。

07年9月1日(土) 「仏様が見ているよ!C」

 昔の人は阿弥陀様(仏様)のことを「親様」と呼んだ。なぜか?「親」という漢字は 「木の上に立って見る」と書く。わが子のことが心配で、「木の上」=全てが見渡せ る所から子どもをいつも見守ってくれている。それが親だという。そんな親のような 存在に重ねて阿弥陀様(仏様)のことを「親様」と親しみを込めて呼んだんだろう。
 仏様は、自分勝手なことばかりしている私たち(凡夫)のことをいつも心配しなが ら見守って下さっている。ときには非情に厳しい眼差しを向けれているかも知れな い。私たちの愚かな姿に怒っておられるかも知れない。しかしそれは私たちが憎い から怒っているのではない。私たちが可愛いからこそ怒っているんだと思う。仏様 の厳しさには慈悲の裏づけが必ずある。だから怒ると同時に悲しみの涙も流して おられるんだと思う。仏様の目を「半眼」という。目を大きく開くでもなく、閉じるでも ない。半分開き半分閉じた細長い目をされている。なぜか?目を大きく開くと涙が こぼれ落ちる。逆に閉じても涙がこぼれ落ちる。だから溜まった涙がこぼれ落ちな いように「半眼」になっているんだと聞いたことがある。
 そん仏様のお慈悲の心(=涙)に出遇ったとき、私たちははじめて自分の愚かさ に気づかされるんだろう。自らの姿を恥ずかしいと思うようになるんだろう。決して 暴力や脅し、ましてや機械などでは私たちの頑なに閉じた心は開かない。(つづく)

07年8月31日(金) 「マナー低下の原因」

 面白い世論調査の結果が出ていた(8/30)。「日本人のマナーが低下しているか ら学校で道徳教育を強化して欲しい」という人が92%にも上るという。一方、マナ ー低下の原因は何かという質問に対しては、「家庭のしつけ」「大人のマナー低下」 を挙げる人が大半を占めた。また、マナー向上のためには何が必要かとの質問に は、「家庭でのしつけの充実」と答えた人が過半数を占めた。
 何が原因で、どうすればいいか対策まで明らかなのに、やっぱり他人任せか・・・

07年8月30日(木) 「9条の国としての国際貢献」

 いつも思う。なぜ「国際貢献」といえば直ぐに自衛隊派遣になるんだろうか?別に 「国際貢献」をすることに異論はない。でも自衛隊を派遣することだけが「国際貢 献」ではないはず。実際にこれまでにも日本は民生分野で様々な支援・協力をして きた。例えば、ODAの全てを肯定する訳じゃないけど、「草の根資金協力」などによ って世界中に学校を建てたり、医療支援したりと地道な貢献をしている。その点で は今回民主党が「テロ特措法」の対案として出したアフガニスタンの民生支援を中 心としたプランは評価してもいいんだと思う(8/30)。
 何も相手の反発を買いながらわざわざ米軍と一緒になって軍事力で貢献(?)す る必要などない。日本には戦争放棄を誓った9条がある。その9条の国として何が 出来るかを考え、日本しか出来ない独自の貢献を胸を張ってしていけばいいんだ と思う。

07年8月29日(水) 「『生きさせろ! 難民化する若者たち』を読む」

 定住する場所がなく漫画喫茶やネットカフェなどを仮の住居とし、アルバイトや派 遣業などでその日暮をする人々を「ネットカフェ難民」と呼ぶ。今回厚労省の調査で はじめてその数が全国で5400人いるということが明らかになったという(8/28)。お そらく実数はこの数字の何倍にもあるんだろう。
 『生きさせろ! 難民化する若者たち』(雨宮処凛著 太田出版)を読んだ。定職 を持たずに派遣やアルバイトで暮らすフリーターと呼ばれる若者達の実態につい て詳しく書かれていた。フリーターやニート、引きこもりなど現在の若者を取り巻く 諸問題。大人たちはその原因を全て若者達個人に押付ける。「最近の若者は努力 が足りない。辛抱が足りない」と。しかしこれらの原因は、決して若者に意欲がな い、努力が足りないとか、ましてや怠け者だからではないという。社会の構造的な 問題だという。
 1995年、日経連から『新時代の「日本的経営」』という指針が発表れる。グローバ ル化する世界経済の中で日本企業が今後いかにして競争に勝ち続けることが出 来るかをまとめた提言である。その中に、今後の日本の労働環境として、労働者 を三つのカテゴリーに分けている。一つは正社員(「長期蓄積能力活用型グルー プ」)。ボーナスや社会福祉制度、終身雇用などが保障された将来会社を背負って 立つ幹部候補である。所謂超エリートである。二つ目はスペシャリスト(「高度専門 能力活用型グループ」)。上記のような保障はないが、自からの専門知識・能力を 活かしながら契約社員・年俸制などによって働く専門職員のこと。そして最後がフリ ーターや派遣社員(「雇用柔軟型グループ」)である。「雇用柔軟型」と言えば聞こえ はいいが、要するに使い捨ての低賃金労働者のことである。彼らは、会社から何 の保証もなく、いつ首を切られるか知れないという恐怖の中で、時間給(低賃金)に よって一生涯単純労働を強いられるのである。一時、日本の製造業などが安い労 働力を求めて途上国に出かけていき、現地の人々を低賃金で働かせることで膨大 な利益を得たという構図の日本国内版である。
 以上からも明らかなように、既に95年の時点で、フリーターや派遣社員を増やす という構想が財界の中にあったということである。その後、その指針に基づいて企 業に有利な労働条件・環境の規制緩和などが国の政策として行われていく。その 一方で「自己責任」・「勝ち組・負組み」といった言葉がしきりに叫ばれることによっ て、これらの諸問題が、予め財界・政府によって計画・実行された結果生じた問題 としてではなく、若者個人の意欲・能力の問題へとすり替えられていったんだそう だ。本当に若者からすれば「馬鹿にするな!」「生きさせろ!」である。
 しかし、暗い話ばかりでもない。先の参議院選挙では多くの国民が格差の拡大を 是認する昨今の風潮・政策(新自由主義・小泉改革)に対してNO!を突きつけた。 また不安定な労働を強いられている若者達の中からも、フリーターの労働組合を 結成するなど、自らの生きる権利を求める運動・抵抗が始められているという。



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