「もしもし、了?私。」
「おう。」
「ちゃんと今日で辞めるって言って来たよ。」
「大丈夫だったか?」
「うん、ちょっと色々言われたけど、しぶしぶ納得してくれた。」
「そうか。」
「うん。ごめんね、心配掛けて。」
「んなこたどうでもいい。ちゃんと辞められたんならそれでいい。」
「うん。ありがと。じゃあまた月曜日ね。」
「ああ。」
「おやすみ。」
「じゃあな。」
電話を切って、は安堵の溜息をついた。
口調はぶっきらぼうだったが、間柴が安心していたのが電話越しにもはっきりと分かった。
そこまで心配させて申し訳なかったと思う反面、不謹慎にも少し嬉しい。
やはり辞めて良かった。
彼の言う通り、金策なら他に手立てがきっとある。
は、やっと以前の生活が取り戻せる幸せに浸った。
それから数日、何事もなく平和に過ぎた。
間柴とも以前と同じ、いやそれ以上に親密になっていた。
問題自体はまだ解決されたわけではなく、その事について常に不安はあったが、は今まで通りの生活を満喫するのに夢中だった。
しかしそんな幸せも長くは続かなかった。
トントン。
ドアをノックされ、は玄関に出た。
「はい、どな・・・・」
「どうもこんばんわ、お久しぶりですな。」
「あなた・・・!」
「ちょっとお邪魔しますよ、話があるんでね。」
「ちょ、勝手に上がらないで!」
訪ねて来たのは、いつもの借金取りだった。
の制止に耳を貸すことなく、勝手にずかずかと室内に上がり込む。
「何の用ですか!」
「返済が滞っているんでね、その取立てに来たに決まってんだろ。」
「お金なら先日振り込んだはずです!」
「それが足りねえからこうして来てんだろが。」
「そんなはずないでしょ!ちゃんと今月分はお支払いしました!!」
は財布から振込の領収書を取り出して男に突きつける。
しかし男は薄い笑いを浮かべて、その紙切れを払いのけた。
「あんた、あのラウンジ辞めたらしいな。」
「・・・、確かに辞めました。でもそれとこれと何の関係が・・・」
「あるんだよ。あんたが急に辞めたせいで、あの店のマスターがえらい困っててね。」
「そんな、そんな事私に何の関係が!」
「あんた目当てに来てた客が多いんだよ、あの店。だから売上がガタ落ちらしくてな。紹介した俺に責任取れってしつこくてよ。」
「確かに引き止められはしましたけど、でもマスターはそんな事一言も・・・・・」
「しゃーねーから俺が出すもん出したよ。今日はその取立てに来たってわけだ。」
「そんな・・・・!!」
男は愕然とするの肩を抱いて、耳元で囁く。
「払えよ、今すぐ。」
「今って、そんな事急に言われても持ち合わせが・・・・」
「あるだろうが。」
そう言い捨てるなり、男はに襲い掛かった。
「いやぁ!何するの!?離して!!」
「大人しくしろ!!」
「止めて!!止めてよ!!」
「うるせぇ!!」
男は激しく抵抗するの頬を思いっきり張り、乱暴に圧し掛かる。
殴られた衝撃で目の前がチカチカし、頭がふらつく。
手首を戒められ、抵抗も空しく身体を弄られる。
助けて、了・・・!!
しかし、助けは来なかった。
「なかなかいい身体してるじゃねえか。彼氏は幸せ者だなオイ。」
男は厭らしい笑いを浮かべて、ぐったりと横たわるに話しかける。
「警察に駆け込もうなんざ考えるなよ。妙な真似しやがったらお前の家族や周りの人間がどうなるか、分かってんな?」
は残りの力を振り絞って、男を睨みつける。
「へっ、気の強い女だ。また来るぜ。」
さっさと服を着て、男は部屋を出て行った。
ドアの閉まる音と同時に、携帯の着信音が鳴る。
ふらつく体を起こして携帯を手に取り、着信を見た。
『間柴了』
の瞳から、涙が溢れる。
こんな状態で、電話に出られるはずなどない。
は携帯を握り締めたまま、声もなくすすり泣く。
電話はしばらく着信音が鳴っていたが、留守電に切り替わると同時に切れた。
「了・・・・、了・・・・・」
溢れる涙を拭おうともせず、は掠れた声で間柴の名を呼び続けた。
それ以来、男はほぼ毎日のようにの家にやって来た。
最初のうちこそ抵抗していたが、その度に殴られ、散々な目に遭わされる。
はいつしか抵抗することを止めていた。
今日も男はの身体を散々弄び、満足げに煙草をふかしていた。
「大分物分りが良くなってきたじゃねえか。女はそうやって素直なのが一番だ。」
男は、力なく横たわったまま何の反応も返さないに、一人楽しそうに喋りかける。
その時、ふいに部屋のドアを叩く音がした。
「あぁん!?誰だよこんな時間にうるせぇな・・・」
男はぶつぶつと文句を言う。
は驚いて身体を起こそうとするが、男に抱きすくめられていて身動きが取れない。
数回ノックが続いたが、鍵が開いていたらしく、しばらくしてドアが開いた。
「了・・・・!!」
部屋に入って来たのは、が今一番会いたくない人物、間柴であった。
「、居るのか・・・・、!!」
有り得ない光景を目にした間柴の顔色が変わる。
すぐさまベッドへ駆け寄り、男の前に立ちはだかる。
「テメェ、何してやがる!?」
「あぁ!?なんだてめぇ?」
男はだるそうに身体を起こし、挑発的な口調で間柴を睨みつける。
男の影に隠れたの泣き出しそうな顔を見て、間柴が完全に切れた。
「こいつに何しやがった!!」
言うか言わないかのうちに、間柴の左腕がうなる。
その瞬間、男の身体が吹き飛んだ。
間柴は男の身体に馬乗りになり、殺しかねない勢いで激しく殴りつける。
「止めて、止めて了!!」
が間柴にしがみついて必死に止める。
「離せ!!この野郎の息の根止めてやる!!」
「止めて!そんなことしたら了ボクサー出来なくなっちゃう!!お願いだから止めて!!」
「うるせぇ!!」
「止めて!!お願いだから!!!止めて!!!」
泣き叫びながら、全体重を掛けて間柴の腕を押さえる。
の必死の制止に、間柴はようやく拳を収める。
「うぁ・・・あ・・・」
男は血だらけになった顔で、間柴を見上げる。
「失せろ、次に来やがったら今度こそマジで殺してやる!」
「た、只で済むと、ゴホッ!思うなよ・・・!訴えて、やる・・!」
「やっぱり今殺してやるよ・・・!」
間柴はまた拳を固める。
「や、止めてくれ!」
男は怯えきった表情で後ずさりする。
間柴は男に顔を近付けて、これ以上ないほどの殺気を込めて睨みつける。
「やれるもんならやってみろ。どこまでも追いかけてテメェぶっ殺してやる・・・!」
「わ、分かった、分かった!だからもう・・・・!」
「とっとと失せやがれ!!」
間柴の怒声に震え上がり、男は乱雑に服を掴んで転がるように部屋から出て行った。
間柴は男が出て行くのを見届けて、に向き直った。
顔は涙に濡れ、身体には無数にあの男の痕が残っている。
は間柴の視線に気付き、その身体を脱ぎ散らかされた服で隠す。
「お願い、見ないで・・・・」
俯いて掠れた声で呟くが痛々しくて、間柴は拳を握り締めた。
「・・・・ちくしょう・・・!!」
血を吐くような苦しげな呻きを漏らしてその場に崩れ落ち、間柴は己の太腿に拳を叩き付けた。
「了・・・・」
「・・・・くっ・・・!!」
歯を食いしばり、何度も何度も己に拳を叩き付ける間柴。
止めようとしたの肩を強く掴んで引き寄せ、きつく抱き締めた。
「了・・・・、ごめ・・・、ごめんね・・・・」
「くそったれが・・・・!!」
泣きながらうわ言のように謝罪を繰り返すを力の限り強く抱いて、間柴は胸中で激しく自分を責めた。