「久しぶりだね、オルガ。あたしを覚えているかい?」
コツ、コツ、と床を踏み鳴らしながら、はゆっくりと室内に入って行った。
「さあな。立場上、こうして命を狙われる事は日常茶飯事なのでな。」
「偉くなったもんだね。すっかり支配者気取りかい。」
クックッと喉の奥で笑ったは、不意に笑いを止めてオルガを射抜くような視線で睨み付けた。
「トビーを踏み台にしておいて、一人で王様気取ろうったってそうはいかないよ。この腐れ外道が。」
「・・・・・・ああ、あの男の女か。道理で何処かで見覚えのある顔だと思った。」
「ようやく思い出したかい。そうさ、だよ。昔はトビーとあたしとアンタで、色んな仕事をやった。」
「昔は、な。奴とは別れて、そっちのヘルメットの男が今の男という訳か?」
「良く言うよ。あたしとトビーを引き裂いたのはお前だ、オルガ。お前がトビーを裏切ったから・・・・・」
トビーを死に至らしめた張本人の平然とした軽口を聞いて、は声を震わせた。
怒りか、悲しみか、それは本人にすら分からなかった。
「お前に裏切られたトビーは、あたしに『悔しい』って言い遺して死んだよ。」
「それはあの男が愚かだったからだ。その癖、欲深い。およそ支配者の器など持ち合わせていない癖に、多くを望みすぎた。」
「・・・・・何だって?」
「大人しく俺の右腕で満足していれば良かったものを、あの男は身の程知らずにも俺と対等の立場に着きたがったのだ。あの青二才が、笑わせてくれるわ。お前を幸せにしてやる為だか何だかと言っていたが・・・・・、ククッ、そんな事、俺の知った事か。」
「てめぇ・・・・・・・」
「この時代、裏切りも一つの策略だ。騙される方が愚かなのだ。人間、誰しも欲望がある。そして、独占欲もな。」
「お前を仲間だと信じていたトビーに対して、何とも思わなかったのかい?」
「なんだ、トビーに手を合わせて謝れとでも言う気か?派手な真似をした割に、望みは小さいな。」
「馬鹿言うんじゃないよ。詫びて貰おうなんざ、これっぽっちも思ってやしないさ。そんな事して貰ったって、トビーはもうあたしの所には帰って来ない。」
は手にしていたマシンガンを固く握り締めると、おもむろに銃口をオルガに向けた。
「あたしの目的は二つ、お前を殺し、この町を奪う。」
「面白い、やれるものならやってみろ。但し、こいつ等を全員倒せたらの話だがな。」
だが、オルガの代わりにに進み出たのは、側に居たオルガの側近達であった。
敵は全部で五人。
多少は腕に覚えのある者達ばかりのようだ。
手に手に銃や刃などを持ち、じりじりとを取り囲むように近付いて来る。
だがその時、を庇うように前に出たのはジャギであった。
「何だ、貴様!?」
「お前らの相手はこの俺だ。」
「良かろう、まずは貴様から血祭りに上げてやる!!」
過剰な自信というのは、時に命取りとなる。
その側近達は正にその状態だった。
でなければ、ジャギを相手にしようなどとは考えなかったであろう。
「死ねえ!!」
ジャギの四方八方を塞いだだけで早くも勝ったと思い込んだ連中は、余裕の笑みさえ浮かべてジャギに襲い掛かった。
だが、その力の差は歴然。男達の獲物が届く前に、ジャギは宙に飛び上がっていた。
「北斗千手殺!!」
「ひべべぶっ!!」
まずは手近に居た一人に襲い掛かり、ジャギは瞬く間にその身体の至る所を鋭く突いた。
「クハハ、何だその拳は!!素手でこの俺達に敵うと思ったか!!」
「そいつは俺の台詞だ。そんなちゃちな武器でこの俺に敵うと思っているのか?この俺の拳、北斗神拳に。」
「北斗神拳・・・・?」
どうやら連中は、北斗神拳を知らないようだった。
今、この瞬間までは。
「ひ、で・・・・ぶ〜〜ッ!!!」
ジャギに秘孔を突かれた仲間が無惨に破裂するのを見て、連中からそれまでの余裕が消えた。
「な、何っ・・・・・!?」
「ククク、死にてぇ奴から前に出ろ。」
拳を鳴らしたジャギを、連中は暫し怯えた目付きで凝視していたが、やがて誰からともなく震える足で後退りを始め、我先にと逃げてしまった。
「フン、もう終わりか。つまらん。おい、お前の読み通りになったぜ。報酬で釣られているだけの傭兵部隊なんざ、やはり脆いもんだな。」
「だろう?」
構えを解いたジャギと不敵に笑うを見て、オルガはわなわなと口元を震わせた。
「おのれ・・・・・・・・!」
「どうだいオルガ、てめぇが裏切られた気分は。ざまあないね。」
「黙れ女!!おのれ・・・・、役立たず共めが!!良いだろう、この俺が直々に、二人纏めて葬ってくれるわ!!」
オルガは傍らの棒を振りかざすと、二人に向けて構えてみせた。
「やめておけ。お前は俺には勝てねえ。」
「何だと!?」
「只の棒術如きが、北斗神拳に敵うと本気で思っているのか?それに、お前の相手は俺じゃねぇ、このだ。獲物の横取りはしねぇ『約束』なんでな。高みの見物としゃれ込ませて貰うぜ。」
「クッ、馬鹿にしおって・・・・・!見ていろ、女を片付け次第、貴様も嬲り殺してくれる!!」
「あんまりあたしをなめんじゃないよ、オルガ。ごたくは良いからさっさとかかってきな!」
二丁の銃を構え直すと、は先制攻撃を仕掛けて、オルガの足元を一掃した。
しかし、相手は腐っても拳法家。そう簡単に最初の一撃で死んではくれないようだ。
尤も、そんな事はとうに予想済みであったのだが。
マシンガンの掃射を跳び避けて、の前にトン、と着地したオルガは、頭上で棒を一振りすると、早くも勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ククッ、その男に助っ人を頼むならまだしも、お前が俺に一対一の勝負を挑んで勝てると思っているのか?」
「生憎と、負けるつもりで来たんじゃないんだ。」
「ククク、つもりは無くとも、結果としてはそうなるさ。すぐにな!」
構えるに、棒の一突きが唸りをあげて襲い掛かった。
「はいやーーーっ!!」
目にも止まらぬ速さで繰り出される突きを、は紙一重で避け続けた。
その合間に銃で応戦するも、旋転させた鋼棍で弾丸は全て弾き飛ばされ、オルガにたったの一矢を報いる事も出来ない。
「はぁッ、はぁッ、ちきしょう・・・・!」
「ククク、どうした?避けてばかりで一発も当てんのでは、いつまで経っても俺を殺す事は出来んぞ。」
「・・・・・・フン、なめんじゃないよ!!」
「うっ!」
奥歯を噛み締めたは、オルガの顔面に向かって唾を吐きかけた。
その瞬間、オルガは嫌悪感に満ちた顰め面をして、一瞬だけ身を怯ませた。
そう、これを待っていた。
オルガの構えが解かれ、銃弾を撃ち込む隙が出来る事を。
これを逃せば、次のチャンスは恐らく無い。
「うあああああ!!!」
は間髪入れずに、オルガに向かってトリガーを引いた。
― しめた!
巧くタイミングが合ったようだ。放った弾丸の一発が、オルガの腹にヒットした。
「ぐあっ・・・うぅっ!!」
「あの世でトビーに詫びてきな、死ねえええ!!!」
一発当たれば、次を当てるのはいとも容易い。
全弾を浴びせかけてオルガを蜂の巣にしてやるつもりで、はトリガーを引き続けた。
「あああああ!!!」
この日の為に腕を磨いた。
その甲斐あってか、銃弾は全てオルガの急所を的確に貫いていく。
胸を、腹を、穴だらけにして、血の海に沈めてやる。
そして、その中で地獄の苦痛を感じながら、断末魔の叫びを上げれば良い。
血塗れだったトビーよりも、もっともっと酷い姿で地獄に堕ちれば良い。
銃の弾が尽きるまで、はトリガーを離さなかった。
「ふぅッ、ふぅッ、はぁッ・・・・・!」
ガチッ、ガチガチッと音が鳴るだけで、とうとう弾を撃ち出さなくなった銃をだらりと提げ、は肩で息をしていた。
「はぁッ、ざまあ・・・・みろってんだ・・・・・」
後は苦痛に歪むオルガの顔を拝んで、事切れる様を嘲笑ってやるだけだ。
膝を着いて崩れ落ちそうになっているオルガに向かって、はゆっくりと歩を進めた。
「・・・・・・・」
「・・・・・?」
「ククク・・・・・・、射撃の腕は上がったようだな、。」
「なっ・・・・!?ぐはっ!!」
一瞬何が起こったのか、全く分からなかった。
たとえまだ息があったとしても、オルガはほぼ死人も同然の筈。
そのオルガの明瞭な声が聞こえたと思った瞬間、腹に強い衝撃を感じたのだ。
「ぐふっ・・・・・がっ・・・・・!」
そして気が付けば、床に仰向けで倒れていたのは自身だった。
そして、そんなを愉しげな表情で覗き込んでいるのはオルガ。
腹を押さえているのは、オルガの鋼棍の先端、それで一撃を喰らったらしかった。
頭は次第に冷静さを取り戻して、こうして己の置かれている状況を把握する事は出来るのだが、身体が動かない。
まともに呼吸する事すら出来ず、は陸に揚げられた魚のように口を開閉させ、身体を小刻みに震わせた。
「な・・・・・んで・・・・・・・・」
「精々俺への復讐に燃えて腕を磨いていたのだろうが、それが仇になったな。」
「な・・・・・・・・」
「この俺が丸腰のまま、敵を迎え撃つと思うか?お前の狙った急所は、全て防御している。」
「はぁッ・・・・・!」
ボロボロの服を破り捨てたオルガの身を真の意味で包んでいたのは、目の細かい鎖帷子だった。
よほど強固な材質で作られているのだろうか、弾丸が集中した箇所などはへこんでしまっているが、それでも破損するには至っていない。
当然、その身体には針の穴一つ開いてはいない。
それを見せ付けられたは、瞳に絶望の光を浮かべてオルガの顔を凝視した。
「てっめえ・・・・・・!」
「これも卑怯だと言うのか?心外だな。身を守る為に防具を身につけるのは当然だろう?」
その言い分自体は納得の出来るものだ。だから、卑怯だなどと責める気はない。
ただ、悔しかった。
「ちきしょう・・・・・・・!」
「弾は尽き、お前は今、俺の一撃を喰らってこの様だ。勝負あったな。ククク。」
「まだ・・・・・、まだだ・・・・!折角ここまで来て・・・」
「もう無駄だ。お前が逆転出来る機会はもう無い。諦めて大人しくしていろ。今からトビーの所へ送ってやる。」
無念そうに唇を噛み締めるを笑って、オルガは鋼棍を振り上げた。
ヒュッと風を切る音がした直後、は腕に焼け付くような痛みを覚えて悲鳴を上げた。
「うあああッ!!!」
鋼棍の一撃を受けた左上腕が、その瞬間、乾いた材木を叩き割るような音を鳴らしていた。
どうやら腕の骨が折れてしまったらしい。
発火してしまうのではと思う程の熱を帯びた腕を押さえて、は床をごろごろとのたうち回った。
「ククク、俺の鋼棍は何をも打ち砕く事が出来る。お前のような女一人を叩き潰す事ぐらい、造作もないわ。そら、そら!」
「あぐっ、ううっ!!」
その気になれば一撃で頭を潰す事が出来ながら、オルガはそれをしなかった。
を叩きのめす事を愉しんでいるかのように、わざと無用な苦痛を与え続けている。
身体中を庇いながら、オルガの良いように打ち据えられているを、ジャギは何も言わずにじっと見つめていた。
「ハハハハハ!!どうだ、返り討ちに遭う気分は!お前も奴と同じように、息の根を止めてやるわ!」
「ちくしょ・・・・、あううっ!!」
「裏切りだの何だのと熱くなりおって!ハハハ、復讐を企てる程俺に裏切られた事が悔しいか、目出度いな!お前達のようなゴロツキと、この俺が最初から本気で組むとでも思ったか!」
「が・・はっ!!」
「どうせ組むなら、もう少し利口な奴にするさ!恨むなら、能無し男とそんな奴に惚れた愚かな己自身を恨むんだな、ハハハハ!!」
「ぐ・・・・・ふッ・・・・・・・・」
厭らしい高笑いを上げながらをめった打ちにしていたオルガは、ふとが抵抗をしなくなった事に気付き、ようやく手を止めた。
「ん?もう死んだか。ククッ、女の分際で復讐などと小賢しい真似をするからこうなるのだ。」
屈強な男ならいざ知らず、は華奢な女だ。
わざわざ念を入れずとも、今までの打撃で十分だとでも思ったのだろうか、オルガは鋼棍を収め、嘲るようにの頭を爪先で軽く蹴っただけで、くるりと踵を返した。