驚いた。
このの口から、『惚れた男』などと聞く事になろうとは。
およそ男に誠意を尽くすタイプの女には見えないからだ。
「・・・・・・ほう。面白そうじゃねえか。詳しく聞かせろ。」
多少なりとも気に入った女の背後にちらつく男の話など、別に面白い訳ではない。
面白いのは自身、険が取れていつになく儚げなが新鮮だったのだ。
ジャギはベッドに上体を起こすと、彼にしては珍しく真面目に他人の話を聞く姿勢を取った。
「・・・・・長い話だよ?」
「構わねえ。寝物語にゃ丁度良いぜ。」
醜悪な顔を歪めて笑うジャギに小さく苦笑すると、はぽつぽつと語り始めた。
「あたしは孤児だった。拾われて預けられた所はただっ広いだけのクソ田舎でね。その辺り一帯の大地主の家に、使用人として貰われたんだ。」
「お前がか?似合わねえな。」
「あたしもそう思うよ。とにかくそこであたしはまだ小さい内から働かされた。その辺りは一面広がる綿花畑でね、指の皮がカサカサになってひび割れる程、毎日毎日綿花を摘まされ糸を紡がされた。」
こうして言葉に出すと、まるで昨日の事のように鮮やかに蘇る。
老若男女問わず大勢の人間が、毎日馬車馬のようにこき使われていた。
「トビーは・・・・・、あたしの男は・・・・・、あたしと同じ、貰われの孤児だった。他にも同じような奴らは沢山居たんだけど、あたしは何故かアイツと一番ウマが合ったんだ。」
「ガキの頃からの付き合いか。それはそれは。」
「茶化すんじゃないよ。その頃のあたしらには、楽しい思い出なんて何も無いんだ。毎日毎日朝から晩まで働き通し、何かミスすりゃ鞭で打たれて、残飯同然の飯すら抜かれて。それが嫌になって脱走を企てりゃ、すぐにとっ捕まってまた鞭打たれて・・・・・。そんな事を何度も何度も繰り返す毎日だった。」
「学習能力がねぇのはガキの頃から変わらねぇようだな、ククッ。」
「余計なお世話だよ。」
はジャギを一睨みすると、また話を続けた。
「あたしとアイツがそういう関係になったのは・・・・、16の時からだったっけね。夜中に皆寝静まった頃、人目を忍んで納屋なんかで逢引きして・・・・・、ふふっ、可愛いもんだろう?」
「ケッ、テメェで言ってりゃ世話ねぇな。」
「うるさい。・・・・・今でも思い出すんだ、ランプの灯りで浮かび上がったアイツの身体に残る鞭の痕・・・・・・。同じものはあたしの身体にも沢山あったけどさ。地主の成金ジジィを何度殺してやろうと思った事か。」
「殺さなかったのか?お前が?」
「殺せなかったんだよ。ジジィの周りはいつも大勢の用心棒が囲んでいて、とてもじゃないけど手は出せなかった。実際それをしようとして、何人も返り討ちに遭ってたんだから。」
逃げ出す事も出来ず、ただ生殺しの日々を耐える毎日。
そんな毎日を生き抜けたのは、トビーが居たからだった。
「毎日がとてつもなく長くて、永遠にこの地獄が続くんだと思ってたけど・・・・・、でも、意外とそうでもなかったんだ。」
「あ?」
「核戦争だよ。あたしが19の時に起こったあれが、あたしらを地獄から解放してくれた。」
戦争の匂いが濃くなり出した頃に地主が作ったシェルターは、彼とその家族のものだった。
使用人達は軒並み地上に取り残され、あの時確かに死を受け入れる覚悟をした。
だが、皮肉なものだ。
いち早く自前のシェルターに避難した地主一家は全員死に、
死への秒読み段階に入り、死に場所を求めて彷徨っていた自分達が助かるとは。
「そんな非常時になって初めて脱走が成功してね、どうせ死ぬんだってフラフラ町を彷徨ってたら、二人して軍のトラックに拾われたのさ。」
「そいつはラッキーだったな。悪運の強えこった。」
「だね。死ぬもんだと信じて疑ってなかったけど、国で一番強固なシェルターに避難させられて、あたしらは命を拾った。その後ほとぼりが冷めて外に出て、農場へ帰ってみたら、皆死んでたよ。」
共に働いていた連中の黒焦げの死体。
もう物言わぬ彼らは、只の抜け殻に過ぎなかった。
足元をうず高く塞ぐそれらを弔いも追悼もせず、歩くのに必要な幅の道を作る為に邪魔な分は蹴散らして進んだ。
死者を冒涜するつもりはない。ただ生きている者の都合が最優先なだけだった。
「シェルターは崩れ落ちて土砂で塞がってた。地主一家はそこで生き埋めさ。ケチが裏目に出たんだね、造りがずさんで脆いシェルターだったよ。ククッ、ざまあ見ろってんだ。」
殆ど崩れ落ちた作業場の中には、農工具が大破して散在していた。
あの忌々しい糸車の残骸も。
じっと見ていたら積年の恨みと嬉しさが混じった妙な気分になって、手近にあったボロボロの紡錘を外へ向かって力の限り放り投げた。
トビーも楽しそうにそこら中の瓦礫を蹴散らして回っていた。
そしてトビーは、笑って言った。
『見ろ、ここは俺達の天国だ!』と。
「・・・・・天国だったんだよ。草一本残ってない荒れた世界でも。何も縛るもののないこの世界は、あたしらにとって天国だった。」
「・・・・・違いねぇ。俺も確かに生き易くはなったな。虫けらには辛いだろうがよ。」
「ふふっ、あたしらはその虫けらだったんだよ。あたしらにはアンタみたいな力は無かった。だから生き抜く為に、あらゆる事をしたさ。武器の扱い方を覚えて、盗み、たかり、お零れ頂戴のつもりで二人して小悪党に付き従う事もね。」
「ほう、とんだ野良猫共だな。」
「まぁね。そんなこんなで、あたしらもそれなりに食っていけるようにはなった。」
あの夜、出来る事ならあの夜に戻りたい。
あの日、町の寂れたバーでトビーと二人で飲んでいた時に知り合ったあの男。
あの時相棒になったと思ったあの男が悪魔だと分かっていれば、決して近付きはしなかったのに。
「ある日、あたしらは一人の男と知り合ったんだ。奴は多少腕に覚えのある男でね、棒術が使えたんだ。ろう・・・・・、何とかっていう流派の。」
「・・・・・楼山流、か?」
「それだ。何でアンタが知ってんのさ?」
「馬鹿言え。俺はこれでも拳法使いだぞ。大抵の流派なら知ってる。」
ジャギの自慢げな言葉を聞いたは、瞳を少し曇らせた。
「・・・・・・あの男も同じ事を言ってた。俺は拳法家だから、フェアじゃない闘いはしないって。」
「同じ拳法家でも、そいつは何も分かっちゃいない軟弱な青二才のようだな。闘いにフェアもアンフェアもねえ。要は勝ちゃ良いんだ。」
「違うんだ。そんなのは綺麗事、あの男は本当は悪魔のような男だったのさ・・・・・。」
悔しげに歯を食い縛るを、ジャギはじっと見つめた。
「確かにあの男は悪党以外相手にしなかった。あたしらはよくあの男と組んで悪党を襲っていた。食べていく為にね。あの時もそうだった・・・・・・。」
「あの時?」
「丁度一年前の今頃だったよ。ある夜、トビーはあの男にデカい話を持ちかけられたんだ。ある悪党が支配している町を奪う計画をね。アンタは難なくやってしまうんだろうけど、あの時のあたしらにはデカい仕事だった。」
はこう言うが、集落の大きさとそこを治める君主によっては困難を極める。
口に出すのはプライドが許さなかったが、その紛う事なき事実をジャギは認めていた。
たとえばシンが支配していたサザンクロス、あれを奪うのは悔しいがほぼ不可能だった。
尤も、己の目的はケンシロウの抹殺だ。
代わってそれをやってくれそうな、たとえ失敗してもケンシロウをおびき出すのに役立ってくれそうなシンの町を奪うつもりは元々無かったのだが。
「その町は水が良く出て、豊かな所だった。そこを奪えば安住出来る。風来坊の生活ともおさらばだ。そんな言葉に乗せられて、トビーはあの男の誘いを受けちまったのさ。」
「二人で町を略奪か、そいつ等はそれ程の使い手だったのか?」
「まさか。トビーは器用で銃の扱いもあたしより遥かに巧かったし、あの男も確かに腕は立ったけど、たった二人で大きな組織を壊滅出来る筈ないじゃないか。あの男とトビーが頭を張って、周りを雇い入れた用心棒で固めて乗り込んだんだよ・・・・、あたしを置いてね。」
『今度はちっとばかしヤバそうだから、お前はここで待ってろ。』
あの夜トビーはそう言って出て行った。
ヤバいのはいつもの事だ、あたしも行く。そう言ったのに聞き入れてはくれなかった。
これはいつものケチなかっぱらいとは訳が違う、女の出る幕じゃねえ、と笑って。
「そりゃそうだろう。町を奪うってのは、女でも出来るケチなかっぱらいとは訳が違う。」
「・・・・・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・・フッ、まさかあんたにも同じ事言われるとはね。驚いたよ。アンタのその言葉、アイツも言ったんだ。」
ジャギの言葉に不思議なデジャヴュを感じた。
似ても似つかないこの男の声を借りて、トビーが言ったのではと思う程に。
「トビーは出て行く間際、あたしに約束してくれたんだ。着たきりのボロい服を着てたあたしにね、『もうすぐ俺達は一国の主だ。粗末な木綿の服の代わりに、いつか白いドレスを着せてやる』って。ククッ、気障な男だろ?本物の馬鹿だよアイツは。あたしは白いドレスなんて柄じゃないのにさ。」
シーツで裸体を覆って可笑しそうに笑っているをちらりと一瞥して、ジャギは呟いた。
「・・・・・・約束なんざ、当てにならねぇな。」
いつもの見下すような笑みもなく、同情するでもなく、淡々と。
気障でも馬鹿でも柄じゃなくても嬉しかった。
トビーがその約束を守ってくれる日を、あの時は確かに心待ちにしたのだ。
「・・・・・・・その通りさ。約束なんか当てにならなかった。馬鹿だよアイツは・・・・・。」
白いドレスを着せてやると言ったあの時のトビーの笑顔を不意に思い出して、はジャギに分からないように唇を噛み締めた。
「・・・・・馬鹿だったよアイツは。本気でうまくいくと思ってやがったんだ。何の疑いもなく、意気揚々と飛び出して行っちまいやがった。」
「その男は?どうなったんだ?」
「・・・・・・死んだよ。」
― 死んだよ。
己の発した言葉の重みを噛み締めるように、は暫しひっそりと瞼を閉じた。