昼の光が目に眩しい。
焼けるような暑さに不快を感じて目を覚ましてみれば、ジャギが出掛けるところだった。
「やっと起きたか。昨日は少しやり過ぎたようだな。」
「フン、馬鹿言ってんじゃないよ。」
「出掛けてくる。良い子にしてろよ。」
「あっそう。」
ショットガンを肩に担いで出て行くジャギをぞんざいに見送って、は気だるげに髪を掻き上げた。
「ったくあの絶倫野郎、何が『少し』だ。」
昨日あの後、ジャギは何処にも出掛ける事なく、一日中己の欲を発散させていた。
それに付き合わされたお陰でこちらは散々、流石に足腰がふらついている。
だが、このままダラダラとベッドでまどろんでいる場合ではない。
ここが実行のし時だ。
はまだ力の入らない脚を奮い立たせると、階下に下りていった。
一階に下りたところで、は昨夜助けてやった男に捕まった。
「おう、何処へ行く?」
「風呂だよ。」
「風呂?支度出来てねえぜ。入りたきゃテメェで水汲んで・・・」
「アンタがやるんだよ。来な。」
は男の言葉を遮ると、当然のように命じた。
「ちきしょう・・・・・、何で俺が・・・・・・」
「ブツブツ言うな。今日その首が繋がってるのは誰のお陰だと思ってんの?」
「・・・・・・ちくしょう・・・・・・・」
風呂場の外から、男の不満げな憎まれ口が聞こえてくる。
だが、浴槽の中の水の温度は順調に上がっていっているから、真面目に薪を焚き付けてはいるようである。
一応昨日受けた恩は、忘れていなかったらしい。
は浴室の中でほくそ笑みながら、男が湯を沸かし終えるのを待った。
「おらよ、もう沸いただろ!」
「ん、こんなもんだね。ご苦労さん。」
風呂場の中から適当に労うと、はわざと甘い声を出した。
「ねえ、背中流して欲しいんだけど。」
「なっ、何言ってやがんだ!?テメェ図々しいにも程ってもんが・・・」
「昨日のゲーム、させてやっても良いんだけど。」
「本当か!?・・・・・いやっ、いやいやいや、マズいぜ!今度見つかったら俺本当に殺されちま・・・・」
「アイツなら今出て行ったところじゃないか。フフッ、そんなデカい図体して、肝っ玉は小さいんだね。」
「何だと!?」
「良いからさっさと来な。十秒以内に来なきゃ、この話は無しだよ。」
それから十秒経たない内に、男は浴室に現れた。
「ほ、本当だろうな!?」
「ああ。」
「んじゃ、早速!」
「待ちな!!」
男は早々と手を伸ばし、の身体に巻き付けられていたタオル代わりの布を剥ぎ取ろうとしたが、はそれを鋭い声で制した。
「フフッ、鼻息荒げて焦るんじゃないよ。みっともない。」
「だ、だけどよ・・・・・・!」
「まずは背中を流せって言っただろう?」
は思わせぶりに微笑んで自ら布を外すと、白い背中を男に向けた。
後ろで男が生唾を呑む音が聞こえる。
備え付けの固いスポンジを投げて寄越してやると、男は大人しくそれで背中を擦り始めた。
「あぁ、良い気持ち・・・・・・。もっと右だよ、右。」
「こ、この辺か・・・・・?」
「そう、その辺・・・・・・。」
「も、もう良いだろ!?さっさとやらせろよ!」
「五月蝿いねえ全く。何もこんな所じゃなくても良いだろう?上せちまうよ。」
「んじゃ、何処なら良いってんだ!」
「そうだね・・・・・、涼しくて、暗くて、人の声が聞こえなさそうな所・・・・・、たとえば・・・・」
「たとえば?」
「地下の倉庫、とか。あるって言ってただろ?」
は顔だけを後ろに振り向かせると、にんまりと微笑んだ。
「どう?それなら万が一アイツが帰って来ても、すぐに見つかりゃしないだろう?」
「そ、そりゃそうだが・・・・・・」
「その地下倉庫は何処にあるんだい?」
「裏口の近くに階段がある。そこから下りるんだ。」
「じゃ、話は決まり。ご苦労さん。後は自分でやるから良いよ。先に行って待ってな。」
男は下衆な期待に満ちた笑顔を浮かべると、スポンジを放り出した。
「いいかい、これは誰にも内緒だよ?」
「ああ分かってる!さっさと来いよ!!」
すっかりその気になって駆け出して行った男を見送って、はのんびりと身を清め始めた。
何しろここは荒くれ共の巣窟だ。
人を傷つけるのに使えそうな物など、その辺に幾らでも転がっている。
支度を済ませたは、そこらに無造作に投げ出されてあった棍棒をこっそりと拝借すると、人の目を忍んで裏口へと向かった。
「ああ、ここ。」
男が言っていた地下への階段を見つけたは、足音を立てないように注意を払いながら階段を下りた。
蝋燭の炎が所々切れて、薄暗い階段である。
うっかり転んで音でも立てたら、もうチャンスは無い。
「フンフ〜ン、フフフン・・・・・」
階下から、何やら能天気な鼻歌が聞こえてきた。
階段を下りきってそっと覗いてみると、あの男がこちらに背を向けて何やらゴソゴソしている。
暇潰しに、陳列してある武器の整頓でもしているようだ。
しかも用意の良い事に、既に下着一枚の姿になっている。
― いい気なもんだね。
男の間抜けな姿を笑って、は棍棒を握り締めた。
「おい。」
「ん?ぐわっ!!!」
男が振り向きざま、は棍棒をその頭に向かって渾身の力で打ちつけた。
これで駄目なら、気絶するまで打ち下ろすまで。
油断なく次の攻撃に備えて棍棒を振りかざしたは、目の前に男がドサリと倒れるのを見てほっと胸を撫で下ろした。
「ふう、早くおねんねしてくれて助かったよ。そうだ、こうしちゃいらんない!」
は男の身体を邪魔そうに跨ぐと、棚に陳列されてある銃器類を漁り始めた。
「本当、何でもあるんだね。うわ、バズーカまである・・・・・。」
使えば相当な威力を発揮するだろう。
出来れば貰っていきたいところだが、こんな重そうな物、実際持ってはいけない。
「とすると・・・・・、この辺りが無難かな?」
少し古い型だが、44口径のマグナムとサブマシンガンを一丁ずつ、それぞれの弾とアーミーナイフにダイナマイトを持てるだけ持ち、はふっと溜息をついた。
「全く・・・・・、これでも年頃の女だってのに、何て格好だろうね。」
全身に武器を鎧のように纏わせている己の姿を見て、は何処か寂しげな微笑を浮かべた。
武器を手に取る事に、躊躇いはない。
己の命を守る為に必要なのだ。美しく着飾っているより遥かに実用的というもの。
けれど、アイツは言った。
粗末な木綿の服の代わりに、いつか白いドレスを着せてやる、と。
『そんな格好なんて御免だよ、恥ずかしい』
そう言い返しつつも、そんな言葉が嬉しかった・・・・・・・。
「・・・・・・行かなきゃ。」
感傷に浸った自分を戒めるように拳を握り、は階段を駆け上がっていった。
準備が整った以上、最早この館に長居する理由は何一つないのだから。
裏口から裏門を抜けると、細い路地が伸びていた。
バイクや車の類は一台もない。
だが、この道を進めば、大通りに出るようだ。
そこまで出れば、道行く人に紛れて逃げおおせる事が出来る。
大量の銃器で重くなった身を励ますようにして、は可能な限りの速度で路地を走り出した。
「よう、何処へ行くんだ?」
「はぁ!?・・・・・・っ!!!あんた・・・・・・!」
背後から突然聞こえた声に振り返って、は顔を強張らせた。
そこに居たのは他の誰でもない、あの男だった。
「おいおい、随分めかし込んで何処へ行く気だ?この俺に何の断りもなく。」
「・・・・・うるさいよ。あたしはあんたの女になるなんざ、一言も言ってないんだからね。とやかく言われる筋合いは・・・・」
「人の物を盗んでおいて、随分な言い草だな。」
ジャギはの腰に下がっているマシンガンを指差すと、篭った笑い声を上げた。
道徳上から言えば、確かに人の物を無断で持ち出すのは悪い事だ。
だが、それをこの男に説教される謂れはない。
は冷ややかに笑った。
「あんたも同じ悪党じゃないか。どうせこれだって、何処かから奪ってきた物なんだろ?一味を束ねる親玉なら、銃の一丁や二丁ぐらい、気前良くくれてやったらどうなのさ?」
「ああ、くれてやるのは構わんがな。俺の元から逃げ出す事は許さねえ。」
「何度も言わせるんじゃないよ!あたしにはそんな気無いんだ!女を囲いたきゃ、他を当たんな!」
「そんなにここに居るのが嫌か?」
「ああ嫌だね。」
「そうか・・・・。分かった。」
ジャギは承知したようにこっくりと頷くと、館の裏門に向かって合図をした。
その途端、門からジャギの手下達がぞろぞろと出て来て、の周囲をぐるりと取り囲む。
「あんた達・・・・・・!!」
「よお・・・・・、なあ。俺だってこう見えても物分りの良い男なんだ。お前の言う事はよぉく分かった。」
「・・・・・そんな風には見えないけどね。」
「だから、こうしようじゃねえか。俺から逃げたきゃ、俺を倒してみろ。出来たらお前は自由だ。」
「・・・・・本当かい?」
「ああ。お前の持ってる武器、好きな物を使えよ。俺はこの通り丸腰だ。」
そう言って、ジャギは両腕を広げてみせた。
相当舐められているようだ。
いくら女とはいえ、銃も爆薬も所持している相手に丸腰で余裕を見せるなど。
プライドは幾らか傷つくが、まあ良い。
勝負してみれば分かる事だ。
「こいつらにも一切手は出させねぇ。良いかお前ら!絶対手を出すんじゃねえぞ!分かったな!!」
『へっ、へいッ!!!』
「という事だ。安心してかかってこい。」
「・・・・・・その言葉、後で後悔するんじゃないよ。」
「ああ。ほら、何処からでも来いよ。」
「・・・・・・・・・・お望み通りに!!」
ジャギが余裕で手招きしている間に、はすかさずマシンガンを撃ち放った。
細い路地に、凄まじい銃声と砂埃が立ち込める。
「うあああぁぁ!!!」
マガジンの中の弾をありったけ使うつもりで、はジャギに向かって撃ち続けた。
弾切れなど、今のこの状況では取るに足らない些細な問題。
ここから生きて逃げ出す事が出来ねば、折角頂いてきたこの武器も無用の長物になるのだから。
「ああああぁぁ!!!!」
ガチッ、ガチガチッ。
トリガーを引く音が軽々と空しい響きを立てているのに気付いて、はようやく銃を下ろした。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・・・!」
いつの間にか、額を滴り落ちる程の汗をかいている。
それを乱雑に拭って、は次第に薄れていく砂煙の向こうを見つめた。
隙を見せている間に、間髪入れずあれだけ撃ち込んだのだ。
きっとそこには、蜂の巣になった死体が転がっているに違いない・・・・・。
だが。
「・・・・・・・・え・・・・・・?」
ようやく晴れた砂煙の向こうには、蟻の死骸一匹落ちてはいなかった。
あるのは只、散らばった弾丸と薬莢だけ。
不測の事態に見舞われたは、思わず呆然とその砂利道を見つめていた。
「勝負あったな。」
「はっ・・・・!?あぅっ・・・・!!」
振り返る暇もなく、は背後から首を絞められた。
「うぐっ・・・・・・、あ・・・んた・・・・、一体・・・・・」
「お前如きの攻撃をよける位、俺には朝飯前だ。」
そう。
比類なき剛力を誇る長兄ラオウ、技の切れと素早さにおいては右に出る者の居ない次兄トキには敵わなくても、この位は簡単だ。
北斗四兄弟の三男として、死ぬ思いでしてきた修行は紛い物などではないのだから。
ジャギはの首を掴んだまま己の胸の中に引き込み、そこでようやく片手だけを離した。
「俺を甘く見るなよ。お前が今まで関わってきた小悪党とは、根本が違うんだ。」
「うぅっ・・・・・、苦・・・・し・・・・・・!」
「苦しいか?そうだろうなあ。このままお前を縊り殺す事ぐらい、簡単に出来るんだぜ?」
「っ・・・・・・!」
「分かったか?お前如きがいくら抵抗しようが、所詮俺にとっては仔猫がじゃれてる位のもんなんだ。」
ヘルメットの奥で愉快そうにほくそ笑むと、ジャギはの首から手を離し、片腕で身体を抱き支えた。
「ゲホッ、ゴホッ、ゴホッ・・・・!」
「分かったら返事をしろ。俺の女になるな?」
「ハァッ、ハァッ・・・・・・、誰が・・・・・・!」
「まだ言うか?全く・・・・、強情なアマだぜ。」
「あんたみたいな・・・・・・臆病者は・・・・・、好みじゃないんだよ。」
「・・・・・・何だと?」
ジャギの声音が幾分凄みを増したが、は構わずに続けた。
「四六時中ヘルメット被って顔を隠してるような臆病な男は好みじゃないって言ってるんだよ。聞こえなかったのかい?」
「・・・・・・・お前、俺が前に言った事、もう忘れたか?」
「覚えてるさ。けど仕方ないだろ?あたしはね、コソコソするような男は大っ嫌いなんだよ。」
「・・・・・・てめぇ・・・・・・」
「名前だってそうさ。あんた、あたしに『ケンシロウ』って名乗ったけど、本当は違う。本当は『ジャギ』って名前なんだろ?何の為か知らないけど、偽名なんか使っちゃってさ。女を口説くのに本名も名乗れないような男、臆病者以外の何だってんだよ。」
の挑発は、正に導火線の短い爆弾についた火の如くだった。
三秒後には、の身体は髪の毛一本も残らず弾け飛んでいる。
ジャギの気性を良く知る手下達は、揃って蒼白な顔面を強張らせた。
「・・・・・言ってくれるじゃねえか。本当に口の悪いアマだな。」
「フン、口の悪いのは生まれつきだよ。」
「最初に言っておくがな、一度吐いた唾は飲み込めねえんだぜ?今のは無かった事にしてくれなんて・・・・・・、まさか今更言わねえよな?」
「フン、そんな事言うかよ。」
そう、もうこうなっては打つ手がない。
あれだけやっても、この男には掠り傷一つ負わせる事が出来なかったのだ。
もう逃げられはしない。
こんな化け物じみた男を倒せる奴など、この世には居ない。
この男が飽きるか、さもなくば己が死ぬまでは、もうきっと逃げ出せず、目的も果たせない。
だったら、死んだも同然ではないか。
「・・・・・好きにしなよ。殺したきゃ殺しな。」
は全てを諦めて、ジャギの腕の中でひっそりと瞳を閉じた。
「フン。随分潔いな。じゃ、遠慮なく好きにさせて貰おうか。」
悪魔が笑えば、きっとこんな声だろう。
そんな声で、ジャギが笑っている。
大きな手が喉元から下に向かってゆっくりと下りていくのを、は黙ったまま感じていた。
胸を抉られるのだろうか。
それとも、腹を突き破られるのだろうか。
怖くないと言えば嘘になる。
「ククッ、覚悟は良いな?」
「早くしろよ・・・・・!」
最後の気力を振り絞って憎まれ口を叩いた直後、ジャギの指がの身体に深々と突き刺さった。