「ハァッ、ハァッ・・・・・・・!」
今見つかれば、間違いなく殺される。
目的を果たさない内に、大人しく死んでやる訳にはいかない。
立ち込める黒煙に紛れるようにして、は傷ついた身体を引き摺り裏路地へ逃げ込んだ。
「ハァッ、ハァッ、ちきしょう・・・・・・!」
は残った力を振り絞って歩きながら、ナイフが刺さったままの脇腹からとめどなく流れる血を忌々しげに見つめた。
こんな筈ではなかったのだ。
本当なら、今頃はあの男の頭に風穴を開けていた筈なのに。
「あのジャンク屋・・・・・・ッ、今度会ったら・・・・・、殺す・・・・・!」
それもこれも、あの手榴弾のせいだった。
はその手榴弾を売ってくれた商人の顔を思い浮かべて、悪態をついた。
あの男には、数多くの手下が居る。
その連中を始末しなければ、あの男の命は狙えない。
その為にと高い代価を払って買ったのに、肝心の物が酷い造りだったのだ。
よく確認しなかった自分も悪いが、それにつけてもあの商人が憎らしい。
「女だからって・・・・・ナメやがって・・・・・・ッ!」
本来必要な量の半分にも満たない火薬で、どうやって何十人もの人間を吹き飛ばせるというのだ。
結局、手下はものの何人も殺せず、逆に追い詰められてこの様という訳である。
勿論、あの男のもとには辿り着けず終いだった。
「くっそ・・・・・、うあッ・・・・・・!」
傷の痛みが時々意識を呼び戻してくれるものの、血が流れるにつれて気は段々遠くなっていく。
だが、こんな所で気絶してはいられない。
もっと遠くへ逃げねば。
今はひとまず、何処か遠くへ。
「ちき・・・・・・しょ・・・・・・・・・」
しかし、足の動きは次第に鈍く遅くなっていく。
一歩一歩が鉛のように重くなり、身体が傾いで、目の前がぼんやりと霞んで。
やけに地面が近く感じられた直後、は真っ暗な闇の中に放り出された。
「ジャギ様、本当に助けるつもりですかい!?」
「よしましょうや!女たって、俺達に喧嘩売りやがったアバズレですぜ!?トドメを刺してやるならともかく!」
気絶したを見下ろしながら情けない声を出す手下共を、ジャギはヘルメットの奥から睨みつけた。
「ほう。それは俺への命令か?」
「ひっ・・・・・!ちちちち違います!!すいやせん!!」
「こ、殺さないで・・・・!!」
「フン。だったら四の五の抜かすんじゃねぇ。」
ジャギは苛ついたように鼻を鳴らしこそしたが、取り敢えず拳を向けはしなかった。
その代わり、恐ろしい程の殺気が篭った声で、いつもの台詞を口にした。
「お前ら、俺の名を言ってみろ。」
「ほっ、北斗神拳伝承者ケンシロウ様です!!!」
「そうだ。俺は一子相伝の暗殺拳、北斗神拳の伝承者ケンシロウだ。お前ら、この俺の言う事が聞けねぇのか?」
「と・・・・・、とんでもありません!!!」
手下達は一様に恐怖に顔を引き攣らせ、ジャギの為に道を開けた。
皆、逆らうつもりは毛頭ない。
だがまだ何か気になる事があるのか、自分達の間を通ってに歩み寄るジャギに、手下達はおずおずと声を掛けた。
「し、しかしですね、ジャギ様・・・・・・」
「何だ?」
「助けてどうするんですかい?こんなアバズレじゃ、おちおち愉しむ事も出来ませんぜ?」
「違いねぇ。ナニを噛み千切られちまいそうで、うかうか口にも突っ込めませんや。」
「ジャギ様、どうせならもう少し大人しそうな女でも攫った方が・・・・・」
「言いてえ事はそれだけか?」
ジャギは唸るような低い声で呟くと、の身体を軽々と抱き上げた。
それ以上何か言える者がいたならば、その者は勇者と呼ばれるに相応しい男だったが、生憎とそんな勇気のある男は、この軍団の中には居なかった。
「う・・・・・・・・」
「気付いたか。」
何処からか聞こえてくる男の声に驚いて、は身体を跳ね起こした。
「あっ・・・・・・!くっ・・・・・・・・」
「無理するな。傷が開いて死にたくなければな。」
「あんた、あの時の・・・・・・・・」
その男があのヘルメットの男だと気付いたは、驚いたように目を見開いた。
「なんであんたが・・・・・・ここに居るのさ・・・・・・」
「死にかけてたところを助けてやったんだ。礼ぐらい言えねえのか。」
「・・・・・・・助けてくれなんて頼んだ覚えは・・・・・ないよ・・・・・」
「ケッ、口の減らねえアマだ。」
呆れたように呟いたその男、ジャギは、不意にの脇腹に手を触れた。
「!何すん・・・、いっ・・・・・・!」
「大声出すな。傷に響くぞ。急所が逸れてたお陰で大した事はねえがな。命拾いしたぜお前。あと少し左に逸れてりゃ、間違いなく死んでた。」
「これ・・・・・・・、あんたが・・・・・・・」
ジャギの手が触れている腹部には、厚く包帯が巻かれている。
この下の傷はまだ見ていないが、きっともう何らかの処置が施されているのだろう。
見ず知らずの、それどころか恨まれていてもおかしくない男に助けられた理由が分からず、は一瞬傷の痛みすら忘れて男のヘルメットに包まれた顔を見つめた。
「あんた・・・・・・、一体何の目的で・・・・・・・・」
「目的?決まってるじゃねえか。お前に礼をくれてやる為にだよ。俺をコケにしておいて、あのまま楽に死ねたと思ったら大間違いだぞ?」
ヘルメットの奥で光るジャギの目は、欲望にぎらついている。
つまるところ、男はいつもこれだ。
女と見れば、見境なく飛び掛ってくる。
男を知らない純情な女ならば、ここで恐怖に顔を引き攣らせるのだろうが、生憎とはこういう事態に慣れていた。
「フン、あんたも回りくどいね・・・・・・。こんな死にかけの女なんかより・・・・・、手っ取り早くヤれる女でも・・・・・・・ッ、攫えば・・・・・・・」
「言わんこっちゃねえ。傷が開いたんだろう。」
脇腹を押さえて脂汗を流し始めたを、ジャギは強引にベッドに押し倒した。
そして乱暴な仕草で衣服を捲り上げ、腹に巻かれた包帯を解き始めた。
「触んじゃ・・・・・ないよ・・・・・!」
「黙れ。俺は死体とヤる趣味はねえんだ。今死なれちゃ困るんだよ。」
「・・・・・チッ、盛りやがって・・・・・・」
「口の悪いアマだ。良いから黙りやがれ。」
ジャギは憎々しげにそう言った後、指先での身体を数箇所突いた。
どうした事だろう。
自分でも不思議な程の強烈な眠気が、突然に襲って来た。
傷のせいだろうか、いや、どうだって良い。
もう何も考えられない。
久しぶりに催した深い深い眠気が心地良くて、はそのまま意識を手放した。
それから三週間程が過ぎた。
の傷は日に日に回復し、もう随分本調子に近くなっていた。
あのヘルメットの男とは、あれ以来会っていない。
会う人間といえば、時々世話を焼きに来る奴の手下らしい男達だけだ。
食事は今居るこの部屋で摂らされ、用足し以外は一歩も外に出して貰えない。
その用足しですら、銃を持った男達に包囲されながら行くのだ。
だから当然、ここが何処かも分からない。
どこでも監視の目があるこんな毎日は、療養生活にしては余りにも息苦しかった。
「まるで監禁じゃない。これじゃ治るものも治りゃしない・・・・・・」
憎らしい程鮮やかな満月が浮かぶ窓の外を見つめて、忌々しげに吐き捨てたその時だった。
「おい、出ろ。」
いつもの男達の一人が、面倒臭そうな仕草で部屋のドアを開けた。
「何の用?用足しならまだ行かなくても平気なんだけど。」
「ゴチャゴチャ言うな。さっさと出ろ。風呂に連れてってやる。」
「風呂?へぇ、むさ苦しい男所帯の割には結構気が利いてるじゃない。」
「うるせえ、良いからとっとと出て来い!!」
「うるさいね、怒鳴らなくても聞こえてるよ。」
苛立って怒鳴る男にぞんざいな返事を返している合間に、は後手でそっと食事用のフォークを掴み、服の中に隠し入れた。
浴室のバスタブには、適温の湯が贅沢すぎる程に湛えられていた。
今のこの世の中では、どれだけ多くの水と食料を確保しているかが力のバロメーターになっている。
昔で言うところの金に当たるものが、それらだという訳だ。
そこから判断すると、あのヘルメットの男はなかなか力のある人物だと思われる。
「だからって、どうって訳じゃないけどね。」
何気なく独り言を呟いて、は鏡で自分の姿を見た。
何とも馬鹿馬鹿しい格好だ。
薄い黒絹のローブが、湯上りで桜色に染まった裸体をほんのり透かしている。
風呂に呼ばれた時から分かってはいたが、いよいよ礼を貰う時が来たようだ。
だからといって、大人しく抱かれて囲われてやる気など毛頭ない。
銃もナイフもいつの間にか取り上げてられてしまっていたが、その気になれば何でも武器に出来る。
「おい、支度はまだか!?さっさとしねえか!!」
「うるさい!!今行くよ!!!」
は、男の怒鳴り声に負けない程の大声で怒鳴り返した。
そして、紫色の絹に金糸の刺繍が施された腰帯の隙間に、先程部屋から持ってきたフォークを仕込んで、颯爽と浴室から出た。
「よく来たな。待ってたぜ。」
「フン、来たくて来たんじゃないよ。」
連れて行かれた部屋は、ヘルメットの男の私室だった。
広い部屋に、大きなベッドとカウチ、酒瓶の入ったボードなどが置いてある。
が室内を値踏みしていると、ヘルメットの男はを連れて来た手下をぞんざいに追い払い、部屋のドアに鍵をかけた。
「・・・・・フン、まずは大将が独り占めって訳?」
「その通りだ。俺を白けさせるような真似をしたら、すぐさまアイツらにくれてやるがな。さて、全員で何十人居たか・・・・・。皆女に飢えた連中だ。ズタズタになるまで輪姦されたくなきゃ、精々俺を愉しませる事だな。」
喉の奥で笑ってみせて、ヘルメットの男、ジャギは、を腕に抱き入れた。
「なかなか似合ってるじゃねえか。馬子にも衣装ってやつか?お前みてえなじゃじゃ馬でも、着るもん着りゃ、これでなかなか見れるもんだ。」
本当はなかなかどころか、かなり男好きのする雰囲気になっていた。
口も悪ければしとやかさの欠片もないような女だが、は警戒心の強い野性の雌豹のような、しなやかな魅力を持っている。
「大人しく怯えて震えてるだけの女にも飽きていたところだ。お前みてえな気の強い女を屈服させてみるのもまた一興よ。」
「・・・・・・・勝手な事言ってんじゃないよ!」
は素早く腰帯からフォークを取り出し、ジャギの胸に突き立てようとした。
だが、それはジャギの太い腕であっさりと阻まれ、フォークはコンクリートの床に軽やかな音を立てて落ちた。
「フフン、どうせこんなこったろうと思ったぜ。」
「ちくしょう・・・・・・!」
「それにしても、よりによってフォークとはな。この俺も随分ナメられたもんだぜ。」
「あうっ!」
ジャギはの髪を引っ掴むと、そのままの状態で床に落ちたフォークを拾い上げた。
そしてそれをの前にちらつかせながら、愉快そうな口ぶりで言った。
「これで俺が殺せると思ったのか?ん?」
「うるさい、離せ!」
「クッククク、所詮は女の浅知恵だな。北斗神拳伝承者のこのケンシロウ様を、フォークで殺しに来るとはな。クククッ、可愛いもんじゃねえか。え?おい。」
「気色の悪い事言うんじゃないよ!!」
「馬鹿な女程可愛いってもんだが・・・・・・、まずは覚えて貰わねえとな。どんな手で抵抗しようが無駄って事をな!」
「あっ!!」
突然頬を張り飛ばされ、はベッドに沈んだ。
その上から、ジャギがゆっくりと覆い被さってくる。
今回は逃げられそうにない。
は、早々に観念した。
元より綺麗とは言えない身体だ。
こんな身体など、いくら汚されたところで、惜しくも何ともない。
命さえ取られなければ、目的を果たす為に生き延びられれば、何も問題はないのだ。
「さあ、お楽しみといこうじゃねえか。」
「フン。上等だよ、クソ野郎。」
ジャギの身体に押し潰されながら、は不敵に笑ってみせた。