細く鋭い金属音。
炸裂する閃光と、地獄の風のような熱波。
巨大な傘のような雲が、この世界を覆いつくそうとするように空高く立ち昇り、
その下を、阿鼻叫喚の表情を浮かべた人々が逃げ惑う。
原型を留めない黒焦げの死体の山を掻き分けて、手に手を取った。
足元に落ちていた、砕けて粉々になった糸車の残骸。
ボロボロの紡錘を拾い上げて、灰になった世界に投げつけた。
二人して笑いながら、残骸を蹴散らした。
そしてアイツは、笑って言った。
『見ろ、ここは俺達の天国だ』と。
草一つ生えない不毛の砂漠を、一台の車がスピードを上げて走り抜けていく。
黄色い砂を蹴立てて、凄まじい砂塵をまきあげながら。
信号も、標識も、行く手を阻むものは何もない。
誰にも管理される事のない荒野は、アスファルトでがちがちに固められていた窮屈なあの頃よりも、余程自由で幸せそうに見える。
風に乗って飛んでいく黄色い砂の粒に、一瞬目を奪われた時だった。
後ろから、低く轟く地鳴りが聞こえてきた。
― 野盗か。
行く手を阻むものが、一つだけあった。
同じくこの世界に生き残った人間達だ。
何とも退屈な事に、世界がひっくり返っても、人間達には変化がない。
弱い者と強い者、相変わらずその二種類しかいない。
尤も、弱い者は更に弱く、強い者は箍が外れたように容赦なく暴虐の限りを尽くすようになったが。
後ろの連中も、そんな奴等だ。
村や町を襲っては人を殺し、水や食料、その他あらゆる物資を奪っていく。
だが、それも生きる為だ。
人は水を飲み、食物を食べなければ生きていけない。
それは遥か古の時代から、この死に絶えた新世界に至るまで、不変の理なのだ。
「オラオラオラーーーッ!!!」
「そこの車、待ちやがれーーッ!!!」
こんなオンボロ車を狙ったところで何もありはしないのに、何を思ったか連中はこの車に狙いをつけたようだ。
忌々しそうに舌打ちを一つすると、はアクセルを思い切り踏み込んだ。
待てと言われて待ってやる馬鹿はいない。
相手にしている時間はないのだ。
後ろから執拗に追いかけてくる野盗達をどうにか振り切ろうと、は走り続けた。
だが、相手は少数ながらなかなかに手強い。
徒党を組んで、ショットガンやボウガンを撃ってくる。
その弾丸の雨から逃げる為、は絶え間なくハンドルを切り続けた。
「あっ・・・・・・!」
だが、それが却って悪かったようだ。
猛スピードを出していたところに激しい蛇行運転をし続けた為、車は不意にバランスを崩すと、今にも横転しそうになりながら障害物のない荒野を滑走し、やがてタイヤを砂に取られて止まった。
「ちきしょう・・・・・!」
幸い怪我はしていないようだった。
は悪態をつきながら、乱暴に車のドアを蹴り開け外に出た。
しかし車から降り立ってみれば、そこには隙なく取り囲むようにして、数台のバイクが停まっていた。
あの野盗達が追いついて来ていたのだ。
バイクに跨ってこれみよがしにエンジンを吹かしている野盗達は、獲物を追い詰めた獣のようにギラギラと獰猛な目を笑わせている。
相手にしている暇はなかったが、ここはどうにかしないと突破出来ない状況だ。
は埃避けの為に纏っていた布の隙間から、冷ややかな視線で男達を見据えた。
「おい、持っている食料を全部寄越しな!」
「・・・・・・・・・・」
「ケッ、怯えて声も出ねぇってか。テメェそれでもキンタマついてんのか〜!?あぁん!?」
「ゴツい車乗ってる割には情けねぇ男だぜ、ハハハ!」
「オラオラ腰抜け野郎、死にたくなかったらありったけの食料とその車を置いて逃げな!!」
野盗達は愉快そうな表情で銃口をこちらに向け、口々に好き勝手な事を言っている。
食料は何も持っていないし、車をくれてやるつもりもない。
ついでに言えば、は男ではなく、れっきとした女である。
「・・・・・・よく聞きな、馬鹿共。」
「ん?」
「食料は持ってない。車はやらない。」
「・・・・・・・おい・・・・・・」
「消えるのはあんた達だよ。とっとと失せな。」
「こいつ・・・・・・女だ!!!」
薄汚れた布の隙間から聞こえてきた声が、女らしい細く澄んだものであった事に驚いたのも束の間、野盗達は欲望にぎらついた目をして飛び掛ってきた。
「久しぶりの女だぜーーーッ!!」
「ヒャッホーーッ!!!」
食料よりも車よりも、女の身体を手に入れられるのが余程嬉しいのか、野盗達は奇声を発しながら手を伸ばしてくる。
その薄汚れた手がの身を包んでいた布を掴み剥ぎ取った瞬間、辺りに耳をつんざくような銃声が鳴り響いた。
「な・・・・・・・・・・」
誰もが驚いたように硬直したまま微動だにしない中、ボロ布を手に握り締めた男が一人、ぽかんとした表情で膝から地面に崩れ落ちた。
その額には弾丸大の穴が開いており、そこから噴き出すどす黒い血が乾いた砂に滲み込んでいく。
男が死んでいるのは、誰の目にも明らかだった。
「こ、こんのアマぁ・・・・・・!」
「ふざけた真似しやがって!!」
「ふざけてるのはあんた達だよ。そいつはオモチャじゃない、人を殺す為にあるんだ。こんな風にね。」
は野盗達の手に握られているショットガンを、自分の銃の銃口で指した。
銃を握る手は白く細く、肩に届かない程度の黒い髪は、しなやかな絹糸のように風になびいている。
どこからどう見ても非力な女以外の何者にも見えないこのが、まるで蚊でも殺すかのように人一人をあっさりと殺した事が、野盗達には信じ難かった。
普通、女はもっと恐怖に弱いものだ。
たとえ銃を突きつけてきたとしても、震えて満足に引き金も引けない。
こんな風に躊躇いなく人を撃つ女を、男達は今まで見た事がなかった。
だが、だからと言って彼らが大人しく感心する筈などはなかった。
「女ァ!!俺達を誰だと思っている!?」
「俺達に喧嘩売った事をあの世で後悔しろーーッ!!」
剃り上げた頭に血管を浮かび上がらせた男達は、銃口を一斉にへ向けた。
こうなる事は目に見えていたから、出来ればあのまま逃げたかったのだが、今更言っても始まらない。
貴重なあれをこんな所で使いたくはなかったが、それも仕方がない。
ここで死ぬ訳にはいかないのだ。
がポケットの中に手を入れたその時だった。
「待て!!」
それまでただ一人黙したままだった黒いヘルメットの男が、初めてその口を開いた。
その怒声が響き渡るや否や、野盗達は凍りついたように動きを止める。
男は跨っていた大型のバイクから降り立ち、ゆっくりとした足取りでに近付いてきた。
「お前、俺の名を言ってみろ。」
「知らない。」
「俺のこの胸の傷、こいつを見ても分からねぇのか?」
男はわざとひけらかすように開けられた革のベストの間から、自分の胸を指差した。
だが、そこにあった七つの傷を見ても、の答えは変わらなかった。
「くどいよ。知らないものは知らない。」
「・・・・・・・そうかい。おいお前ら。俺は誰だ?この女に教えてやれ。」
「はっ!おい女、よーく聞け!!このお方はなぁ、あの北斗神拳伝承者、ケンシロウ様だ!!」
「あのサザンクロスを築き上げたKINGですら、敵わなかったお方だぞ!!」
サザンクロスという名は、どこかで聞いた事がある。
確か南に出来た広大な街だった筈だ。
そしてそこの主KINGが、少し前に何者かによって倒された事も。
だが、そんな事はには関わりのない事だった。
KINGを倒した者が誰であれ、北斗神拳が何であれ、何の関係もなければ興味もない。
「だから何なのさ。どうでも良いよそんな事。」
「こんのアマァ!まだケンシロウ様の凄さが分からんのか!?」
「ああ、分かんないね。」
物怖じせずに言い切るに、ヘルメットの男はより凄みを増した声で言った。
「じゃあゆっくりその身体に教えてやる。おいたが過ぎる女には、仕置きが必要だ。来い。」
「・・・・・・冗談。あんたなんかにかかずらわってる暇はないの。」
悪党と呼ばれる男達には、随分と関わってきた。
だが、このヘルメットの男は只者じゃない。
そこらの小悪党にはない、本当に危険な雰囲気を纏っている。
久しぶりに背筋を薄ら寒いものが走るのを感じながら、はゆっくりとポケットの中でピンを抜いた。
そう、手榴弾だ。
手榴弾は多量の火薬を使って作られる為、需要の高い割に供給が低く、銃の弾より手に入れ難い。
それでもどうにか、やっとの思いで三つだけ分けて貰えたのだ。
その貴重な一つをこんな所で使いたくはなかったが、やはり使うしか逃げる術はない。
ピンを抜いて数秒数えた後、はそれをポケットから取り出し、ヘルメットの男の背後に向かって放り投げた。
その直後、凄まじい爆発が起こり、辺りは一面砂煙に包まれた。
「くぅっ・・・・・!」
手榴弾を投げた直後、車の陰に滑り込んで爆風をやり過ごしたは、砂煙が薄れない内に運転席に潜り込み、そのままアクセルを全開にして走り去った。
「ゲホッ、ゴホッ!ちくしょう、えらい目に遭っちまったぜ・・・・!」
「あのアマ・・・・・・、ナメた真似しやがるぜ!」
爆風で被った砂を払い落とし、男達はぞろぞろと立ち上がった。
だが、何人かはそのまま起き上がらない者も居る。
先に撃たれた仲間を含め、数人が命を落としたようだ。
しかしこんな事は日常茶飯事なので、特に悲しんだりする者は誰も居ない。
何しろ彼らのボスは、短気で気まぐれで攻撃的と、三拍子揃った人物なのである。
そんなボスに仕えていれば、ほんの少し機嫌を損ねた程度でも命の危険を覚悟せねばならない。
いちいち悲しんでいては、涙も心ももたないというものである。
「はっ!?そういえばジャギ様は!?」
「ジャギ様!?」
命が無事だった手下達は、己のボス、ジャギの姿を砂塵の中に捜した。
といっても、彼が手榴弾などで死ぬ筈がない事は分かっているのだが。
「あのアマ・・・・・・、良い度胸だ・・・・・・・」
案の定、彼は平気の平左で荒野に立っていた。
どこにも怪我らしい怪我一つ負っていない。
その強さが頼もしくもあり、また怖くもあるが、ひとまず手下達はその無事を喜んだ。
「ジャギ様!ご無事でしたか!」
「この俺が、むざむざあんなアマに殺されてやるとでも思ったか?」
「いっ、いいえとんでもない!!まさか!!!」
「フン。まさか手榴弾まで隠し持っていやがったとはな。呆れたアマだぜ。だが所詮、女は女だな。詰めが甘い。」
「と仰ると?」
「不良品だ。」
「へ?」
手下の間抜け面を一瞥して、ジャギはヘルメットの奥で誰にも見えはしない笑みを浮かべた。
「まあ良い。とにかく後を追うぞ!あの女、たっぷり礼をくれてやる。」
「へ、へいっ!!」
ジャギは待ったなしでバイクに跨ると、そのまま車のタイヤ跡に沿って猛スピードで走って行った。
手下達の怪我を気遣いもしなければ、死体を埋めてやりもしないで。
それがたとえ、彼が蹴り飛ばした手榴弾の直撃を受けて、いわば彼の身代わりに死傷した者達であってもである。
ジャギという男は、こういう男だ。
それを良く承知している手下達は、今更いちいち反感を覚えたりなどしない。
ただとにかく置いていかれないようにと、各自必死で後を追うだけであった。