それから、あっという間に一月程が過ぎた。
この一月は、ジャギの一味にとっては実に満ち足りた日々だった。
何しろ豊かな村である、飲み食いには事欠かないので、思い付くままに酒宴や博打に興じ、
その辺りをぶらついては村の娘達にちょっかいをかけたりして、好き放題に遊び呆けていた。
だがその極楽の日々は、村人達にとってみれば、只々耐え忍ぶばかりの苦難の日々であった。
大事な水や食料を無遠慮に貪られ、また、3日と空けずに酒だの煙草だのと交換しに行かされ、
女達は酌をさせられたり、通りすがりに身体を触られたりと散々な目に遭い、
今や村人達はまるで奴隷のような暮らしを余儀なくされていた。
そんな中、ただ一人だけ、この村の頂点に君臨するジャギと同等の扱いを受けている者が居た。
そう、である。
「あぁ・・・・・・・、はぁ・・・・・・、は・・・ぁ・・・・・・・・」
村に女は大勢居たが、ジャギの相手を務めているのはだけだった。
見目形の良い女は他にも沢山居たが、そのいずれもジャギが望まなかったのである。
この一月、はジャギの欲望を一身に受け止めてきた。
昼夜を問わず抱かれている内に、悩ましげな吐息が、このところ板についてきた感じがする。
は随分セックスに慣れてきていた。
ぎこちなさや青臭さが抜けてきて、やたらと恥ずかしがったり無駄に固くなる事がなくなり、
しなやかにジャギを受け入れられるようになってきていた。
「あぁ・・・・・・・、ケンシロウ様・・・・・・・」
健気な性格はそのままに、匂い立つような女の色香を纏い始めたは、
初めて出逢った時よりもずっと魅力的な娘になっていた。
ジャギは満足げな溜息を吐いて結合を解くと、ベッドの上に身を起こし、
葉巻を燻らせ始めた。
「・・・・・・ククッ。しかしお前も、もうすっかり一人前の女になったな。」
ジャギは葉巻を吹かしながら、同じく身を起こして服を着始めたに話し掛けた。
「初めての頃より断然イイ声で啼けるようになったし、腰遣いも・・・」
「やだ、ケンシロウ様ったら・・・・・!」
「クククッ。」
恥ずかしがるを一瞥して、ジャギは小さく笑った。
全く、愉快だった。
忌々しい鉄の仮面の重さから解放されるというのは、何とも爽快だった。
「お前と居ると、まるで昔に戻ったような気になるぜ。」
「昔、ですか?」
「ああ。この世界も俺の顔も、木端微塵に砕け散る前にな。」
さほど前ではない、けれど遥か遠い昔、まだ文明が生きていたあの頃。
拳法一筋の他の兄弟達とは違い、ジャギは己の若さを、人生を楽しむ事を心得ていた。
拳法は拳法、遊びは遊びと巧く切り替えて、北斗の道場を抜け出しては馴染みの町に出て、
夜な夜な遊び歩いたものだった。
いつも手下の者共を大勢引き連れて肩で風を切って歩き、町でジャギの顔を知らぬ者は誰一人として居なかった。
ジャギの顔を見れば、男共は負け犬のように目を逸らし、女達は雌のフェロモンを撒き散らしながら
誘惑的な微笑を投げ掛けてきた。
「いやぁ、あの頃は良かったぜ。遊ぶものが幾らでもあった。
ビリヤードにダーツにボウリング・・・・、ヘヘッ、自慢じゃねえが極めてたな。
俺に勝てる奴は誰も居なかったんだぜ。」
遊びのセンスも力の強さも、人と比べて桁違いだった。
北斗の道場の中では、いつまでも未熟な三男扱いだったが、ひとたび場所が変われば、
ジャギは誰をも凌ぐ男だった。
夜の町に、さながら王の如く君臨していた。
「何でもやりたい放題出来る今の時代も良いが、遊びに関しちゃあ、やっぱ戦争前のが良いよな。
そう思わねぇか?」
「そ、そうです、ね・・・・・・・」
「ああ、そうか。あの頃なら、お前はまだほんのガキか。」
「えぇ・・・・・・」
の返事は歯切れが悪かったが、上機嫌なジャギはそれに対して特に何とも思わなかった。
そんな事よりも、次々と蘇って来る過去の記憶を懐かしむ方に気を取られていた。
「そうかそうか、じゃあお前は、ろくに遊びも知らねぇままってこったな。
考えてみりゃあ気の毒な話だよな。遊びたい盛りなのに、今は娯楽らしい娯楽が何一つ無ぇんだからよ。」
「そう・・・・ですね・・・・・。」
「ふぅむ・・・・・、よし。そんじゃあ俺様が、いっちょ教えてやるか。」
思い付くや否や、ジャギはベッドを抜け出して手早く下着とズボンを履いた。
そして、の手を引いて部屋の中央に歩み出た。
「あ、あの、何を・・・・・」
「ダンスだよ。」
「ダン・・・ス・・・・・?」
ポカンとしているに、ジャギはニッと笑いかけた。
「ダンスホールで男と踊った事なんかねぇだろ?」
「ええ・・・・・・・。で、でも私、ダンス自体した事が無いから、ステップも何も知らないですし・・・!」
「大丈夫だ。そんな堅苦しいもんじゃねぇよ。」
ジャギは有無を言わさずを抱き寄せ、ゆったりと身体を揺らし始めた。
BGMの代わりに口ずさむのは、昔、根城にしていたバーのジュークボックスでよく聴いた、古いジャズ。
自らが紡ぐメロディに酔いしれるようにして、ジャギはを優しく抱き、ゆっくりとステップを踏んだ。
「・・・・・な?何も難しい事ぁねぇだろ?」
一旦歌を止めて声を掛けると、は緊張に強張った顔で小さく頷いて見せた。
だが、その表情は満更でも無さそうである。
初めてのダンスに戸惑い、緊張はしているが、決して嫌がってはいなかった。
ジャギは口の端を吊り上げると、また歌い始めた。
その緩やかなリズムと甘いメロディが二人を包み、室内全体に優しく満ちていく。
じんわりと温かいその雰囲気に、の緊張も少しずつ解れてきたようだった。
「・・・・この曲、知っています。昔、両親の部屋に、この曲のレコードがありました。」
ジャギに身体を預けて揺れながら、は懐かしそうにそう言った。
「驚きました。ケンシロウ様、歌がとってもお上手なんですね。」
「ヘッ、まぁな。」
「素敵な歌声・・・・・。」
幸せそうに微笑むを見て、ジャギはまた静かに歌い出した。
らしくもないこのムードを、ジャギ自身も楽しんでいた。
少し大袈裟で、少し馬鹿らしく思える程甘ったるいこのムードを。
いつの間にか日が暮れて、遠くの空に薄らと月が浮かんでいる。
黄昏時によく似合う、甘く気だるいスローテンポの三拍子。
腕の中には、うっとりと幸せそうに微笑む娘。
ステップを踏む度に白いドレスの裾が微かに揺れて、ふわり、ふわり、花が咲く。
らしくはないが、悪くもない。
「失礼します、お食事を・・」
ところが、その甘いムードは突如壊れた。
「き・・・、きゃああああああーーーーっっ!!!!!」
夕食を運んで来た女が、ジャギの素顔を見て、けたたましい悲鳴を上げたのである。
その癇に障る金切り声は、何もかもをぶち壊した。
甘いムードも、の幸せそうな微笑みも、そしてジャギの機嫌も。
「何だテメェ・・・・・、俺様の顔に何かついてるか、あぁん?」
ジャギは殺気を隠そうともせず、女に歩み寄ろうとした。
より少し年上な位の、まだ若く器量の良い女だったが、そんな事でジャギの怒りは和らがなかった。
「ま・・・、待って下さい、ケンシロウ様!!」
殺す気で女に詰め寄ろうとしたジャギを、が必死の形相で阻んだ。
「お願いします、村の人を傷付けないで下さい!
代わりに私がどんな事でもしてお詫びしますから、どうか許して下さい・・・・!」
「どけ、。」
ジャギが睨みつけても、は退かなかった。
怯えながらも、震えながらも、身体全体で阻むようにしてジャギに抱き付き、必死に女の命乞いをした。
「お願いします、お願いします・・・・・!」
「どけっつってんだろ。俺ぁこの女に・・」
「ケンシロウ様は、私を助けて下さったじゃありませんか!それはケンシロウ様がお優しい方だからでしょう!?
ケンシロウ様は、無抵抗の人間を手にかけるような事は決してしない筈です!違いますか!?」
違う女が口にしたなら、単に宥める為の見え透いた嘘にしか聞こえなかっただろう。
もしかしたら、やはり方便なのかも知れない。
だが、少なくともの表情は真剣だった。
真剣に、この幼稚で短絡的な屁理屈を振りかざしてきたのだ。
「うぐ・・・・・・・!」
涙の盛り上がった瞳でまっすぐに見つめられ、ジャギは思わず躊躇った。
娘一人を振り払う位、赤子の手を捻るより容易い事なのに、何故かそう出来ない。
どうにも調子が狂って、どう反応すれば良いか分からない。
にしがみ付かれたまま、ジャギは只々困惑していた。
「へぇ・・・・・、すっかりたらし込んだって訳・・・・・・」
ジャギが戸惑っているその間に、給仕の女は落ち着きを取り戻していた。
いや、そうではない。
女の目付きは、何処か異様だった。
「綺麗なドレスを着て、男と抱き合ってダンス・・・・、ふふ、良いご身分ね・・・・。」
「そ、そんな、違・・」
「あら、謙遜しなくても良いじゃない。色っぽくしな垂れかかっちゃって、お上手よ。
ついこの間まで小汚い小娘だったのに、もうすっかり『愛人』ね。」
「・・・・・・」
「あら、それとも愛人じゃなくて、新婚のカップルかしらね?」
「・・・・・そんな・・・・・」
「あら、結婚式ごっこのつもりじゃなかったの?
だって知ってるでしょう、貴女の着ているそのドレスは、私が着る筈だった婚礼用のドレスだって。」
「・・・・・済みません・・・・・・」
「謝らなくても良いわよ。それは父が、『村の救世主様のお相手係』の衣装として提供したものなんだから。
とっても良く似合ってるわよ、ドレスも、そのお相手も。」
女の、を見る目は、異常なまでの怒りと蔑みに満ちていた。
自分の大事な婚礼衣装を取られたからだろうか。
「良いじゃない。化け物男と死神の娘なんて、最高の組み合わせだわ!ホホホホ!!」
ジャギは黙ったまま、狂ったように笑う女と、顔面蒼白で言われるがままになっているの表情を伺った。
「あんたなんか・・・・、あんたなんか死んだら良いんだわ!!」
やがて女は、顔を歪めて不安定に震える声でそう吐き捨て、部屋を飛び出して行った。
「・・・・ま、待って・・・・、待って下さい・・・・・・!」
もすぐにその後を追って、部屋を出て行った。
「・・・・・死神の娘?」
己が化け物と蔑まれた事も気にはなるが、それよりもの事が気になる。
いつもの通りに素顔をヘルメットで隠すと、ジャギもまた二人の女を追って部屋を出た。