翌日、部屋のドアがノックされる音で、ジャギは目を覚ました。
ふと見れば、隣で眠っていた筈のは居なくなっていた。
昨夜は空が白み始める頃まで抱いていたのによく起きられたものだと、
ジャギは感心半分皮肉半分に思った。
昨夜はあんなに可愛がってやったのに。
愛しい男に抱かれて、あんなに恍惚としていたのに。
自分だけとっととベッドを抜け出すなんて、些かあっさりしすぎではないか?
― まあ良い・・・・・・
ジャギはともかく下着とズボンを履き、ヘルメットを被ると、外に向かって『入れ』と声を掛けた。
「し、失礼致します、お食事をお持ちしました・・・・・」
食事のトレイを持って入って来たのは、中年の女給だった。
それがではなかった事に少々ガッカリしながらも、
ジャギは運ばれて来た食事を食べるべく、テーブルに着いた。
椅子に腰掛けて待っていると、女給はトレイを恐る恐るテーブルに置き、
そそくさと部屋のカーテンを開けて回った。
さっさと仕事を済ませて退散したいと考えているのが、目に見えるような態度である。
しかしジャギは、女給には目もくれず、窓の外を眺めた。
外は良く晴れていて、太陽は既に高く昇っていた。
「・・・・・もう昼を回ってんのか。」
「も、申し訳ありません・・・・・!皆様、昨夜は随分遅かったようですので、
朝早くに起こすのも申し訳ないと思いまして・・・・」
女給は朝食が昼食になってしまった言い訳をおどおどと口籠っていたが、
そんな事はジャギにとってはどうでも良かった。
「おい、とかいう娘は何処行った?」
「ですか?でしたら確か今頃は・・・・・」
聞きたい事、知りたい事は只一つ、の居場所だった。
村外れの寂しい一画に、それはあった。
民家も畑も花壇もない殺風景な場所に、こんもりと小山のように盛り上げられたそれは、
人の視覚にではなく、嗅覚に対してその存在を激しく主張していた。
そのあまりの臭さに、ジャギは思いきり顔を顰めながらも、一人で四苦八苦しながら
更なる小山を作っているの背中を目指して歩み寄って行った。
「酷ぇ臭いだ。一体何作ってやがる?」
背中にそう話し掛けると、は驚いたように振り返った。
「ケンシロウ様!どうなさったんですか、こんな所に・・・・・!?」
「お前がここに居ると聞いたんでな。」
「私、ですか・・・・・?」
「ああ。お前を捜してた。」
ジャギはそう言うと、が作りかけている小山を覗き込んだ。
「こりゃ一体何だ?」
「これは堆肥です。落ち葉や生ゴミ、鶏のフンなどをこうして盛って、発酵させるんです。
そうして出来た肥料で野菜を育てると、実のつき方も栄養価も良くなるんです。」
「ほ〜う。」
ジャギは気のない生返事をした。
野菜だろうが肉だろうが、食材は専ら食べるばかりで、栽培や飼育の方にはまるで興味がないのである。
「昨夜はあれだけ可愛がってやったのに、随分冷てぇんだな。
黙ってさっさとベッドを抜け出した挙句に、こんな所でクソいじりか。」
「そ、そんなつもりは・・・・・!」
ジャギが責めるような口調でそう言うと、は目に見えてうろたえ始めた。
「失礼かとは思ったんですが、朝早くから起こすのも悪いと思いまして・・・・!
決してそんなつもりはなかったんです、信じて下さい!!」
その必死な弁解に、ジャギは笑いを噛み殺した。
何も本気で責めるつもりなどないのに、それが通じていないのだろうか。
ちょっとからかっただけでここまで必死になる程、自分に惚れているのだろうか。
「・・・・冗談だ。」
「あ・・・・・・」
ジャギが笑いを噛み殺しながらそう言うと、はまた目に見えてホッとした。
感情が一々手に取るように分かる、面白い娘だ。益々興味が募るというものである。
それに、身体もまだ飽きてはいない。
の身体はまだまだ開発の余地がある。
真昼間だというのに早くも燻り始めた欲望を隠そうともせず、ジャギはの腰を抱き寄せた。
するとは、困惑したように身を固くした。
「あ、あの・・・・・・」
「ん〜?何だ?」
「お召し物が汚れてしまいます・・・・・。汚いですから・・・・・・」
は恐る恐るながら、ジャギの束縛から逃れようとした。
その理由の何といじらしい事か。
ジャギは気を良くしながら、の手から汚物に塗れたシャベルを奪い取り、そこらに放り出した。
「んな事ぁ、こうしてやめちまやぁ済む話だ。こんなモン放っといて、ベッドで昨夜の続きとしゃれこもうぜ?」
ジャギは熱を帯びた低い声で、の耳元にそう囁きかけた。
はそれに微かに身震いをしたが、しかし、意外にも首を縦には振らなかった。
「・・・・申し訳ありませんが、今日はちょっと・・・・・・」
昨夜はあんなにあっさりとついて来たのに、何だというのだろう。
予想外につれなくされて、ジャギは思わず憮然とした。
「何だお前?俺様の誘いを断ろうってのか?」
「いえ、そんなつもりは・・・・・!ただ、今日は夜番もありますし、
それに、堆肥作りをすると、その、多少臭いが染みつくので・・・・・、その・・・・・、
ケンシロウ様を不快にさせてしまいますから・・・・・・・」
一瞬感じた不愉快な気持ちは、の言い分を聞いている内に静かに引いていった。
「明日には消えていると思いますので、その・・・・・、明日ではいけませんか・・・・・?」
そして、恥じらうの真っ赤な顔を見た時には、もうすっかり消えてしまっていた。
我ながら単純だと恥ずかしく思わないではないが、仕方がない。
のような娘は初めてなのだ。
「・・・・夜番ってなぁ何だ?まさか夜通しこの臭ぇのの番か?これがお前の仕事なのか?」
気がつけばジャギは、に興味を抱いていた。
身体だけではなく、の生活ぶりや人間関係、そのものに対して、
らしくもなく本気で興味を持っていた。
「いえ、夜番というのは、野盗達が襲撃して来ないか、夜通し見張りを務める事です。
堆肥作りは確かに私の仕事なんですけど、別にこればかりという訳では・・・・。
ただ、今日はこの作業をしないといけない日なので・・・・。」
誰もが嫌がりそうな汚くてきつい仕事に、寝ずの見張り、それ以外にも何かと色々。
つまりはそういう事だ。
若い娘にしては随分なこき使われようだと、ジャギは思った。
「徹夜の見張りに汚れ仕事、か。いずれも若い娘がやる仕事だとは思えねぇがな。嫌じゃねぇのか?」
「村にとって大事な仕事ですから。見張りは皆でローテーションを組んで順番に務めていますから、
毎晩毎晩という訳ではありませんし、堆肥作りは、これで美味しい野菜や綺麗な花が育つんです。
その楽しみがありますから平気です。」
堆肥作りが、村の生命線である食料を作る為の大事な作業である事は分かる。
だが、それなら何故、一人しか作業をする者がいないのか。
何故、大事な筈の作業を見張りのように当番制にせず、のような非力な小娘一人に
任せているのか、ジャギにはどうにも解せなかった。
「見張りはともかく、肥料作りに関しちゃあ、村の大事な仕事の割に人手は割いてねぇようだな。
他に手伝う奴は居ねぇのか?」
「え、えぇ・・・・。」
「何故だ?他の連中は何してる?」
「畑を耕したり作物の世話をしたり・・・・。今日からは特に、昨日の野盗達に壊された
バリケードや建物の修理もありますから、こんな事に人手を割く訳には・・・・・」
納得出来ない話ではなかったが、それでもジャギはどうにも釈然としなかった。
たとえ村人全員が何らかの作業に駆り出されているとしても、こんな重労働を、
何故よりにもよってに任せるのだろうか。
こんな明らかに腕力のないなどより、もっと力のある男に任せた方が効率も良いだろうに。
「さあ、どうぞもうお部屋へお戻り下さい。いつまでもこんな汚い所にお引き止めしては申し訳ありませんので。」
「・・・・・フン」
ジャギは小さく鼻を鳴らすと、踵を返した。
言われるままに一人でスゴスゴと帰る形になるのは不愉快だが、
いつまでもこんな所に居るのもまた不愉快だったのだ。
は慣れているような感じだが、あまりの臭さに胸が悪くなりそうだ。
ひとまず退く事にしたジャギは、に背を向けて館へと戻って行った。
それから以降、何をしていても、ジャギは何処か上の空だった。
手下達が村人に命じて真昼間から酒盛りを始めたが、一応その場に居ながらも、
昨夜のような満足感は得られなかった。
精一杯贅を尽くさせた料理にも、好きな酒にも、綺麗な女達にも、
昨夜程の魅力を感じられなかったのだ。
ジャギはこの半日、の事ばかりを考えていた。
惚れたからではない。
魚が食べたい時に肉を出されても満たされない、喩えて言うならそんな感じだった。
手下達が陽気に馬鹿騒ぎしている声も、退屈凌ぎに弄っている村一番の美女の豊かな乳房も、
ジャギを満たしてはくれなかった。
今欲しいものはだった。
だが今頃、は夜番を務めているのだろう。
今夜はここに来る事はあるまい。
「・・・・・チッ・・・・・・」
ジャギは暫く考えてから、席を立った。
弄ばれていた女が、解放された途端あからさまにホッとした顔をしたのだが、何とも思わなかった。
今、ジャギの頭の中には、の事しかなかったのである。
「ったく、何で俺様が・・・・・・」
ぼやきながらも、ジャギはに会いに見張り台に向かっていた。
そこらに居た村人を捕まえて訊いたところ、はそこに居るとの事だった。
村の入口にあるやぐらがそれで、夜番はそこで一晩中村の外を見張るのだそうだ。
そこへわざわざ自ら出向いてやるのだから、しかも酒とツマミまで差し入れてやろうというのだから、
自分でも驚きだ。
しかし、実のところ、そう嫌な気はしていなかった。
嫌なら最初からしていない。したいからするのだ。
優しくしてやれば、はまたあのいじらしい微笑みを見せるだろう。
恋しい男だけに向けるうっとりとした瞳を見せるだろう。
ジャギはニヤつきながら、見張り台の梯子を上っていった。
「おう。」
「ケンシロウ様!」
はそこで遥か遠くの闇を双眼鏡で覗いていたが、ジャギが後ろから声を掛けると驚いて振り返った。
「こんな所にわざわざ・・・・・!どうなさったんですか、一体?」
「差し入れだ。」
ジャギが酒瓶とハムの塊をちらつかせると、は申し訳なさそうな、しかし嬉しそうな顔で笑った。
「わざわざそんな・・・・・、恐縮です・・・・・・。」
「ヘッ、若ぇ娘の癖に何だぁその堅っ苦しさは。もっと可愛げのある喜び方してみせろよ。」
「そんな・・・・・・」
ジャギは恥ずかしそうに俯くの肩を抱き寄せてその場に一緒に座り込むと、持参した酒を勧めた。
「ほら、飲めよ。」
「済みません、折角ですが・・・・・。夜番の時は、お酒を飲んではいけない決まりなので・・・・。」
「ケッ、固ぇ事言いやがって。別に構やしねぇだろ。オラ、グッといけよ。」
「いえ、本当に・・・・!」
多少強引に勧めれば諦めて飲むだろうと思い、ジャギが口元に酒瓶を押し当てても、
は頑なに拒むばかりだった。
ここでと二人で酒盛りする気になっていたジャギは、あからさまに憮然としながらも、
一応は酒を引っ込めた。
「んじゃあ、食う位なら良いだろ?折角持って来てやったんだ、食えよ。」
ジャギは次にハムを勧めた。
酔っ払っては夜番が務まらないという理由で飲酒が禁じられるのは百歩譲って分からなくもないが、
食べる事までは禁じられていないだろう。
そう思っていたのだが、しかしは、それすらも首を振って断った。
「いえ、折角ですがそれも・・・・。本当に済みません・・・・・・」
「何でだ?酒は駄目でも、食う位は構わねぇだろ?」
ジャギが問い質すと、は『えぇ・・・・』とか『いえ・・・・』などと、
否定とも肯定ともつかない言葉で答えを濁した。
その歯切れの悪さに苛立ちながらふと見ると、の傍らに小さな水筒と粗末な包みがあった。
「何だそれは?」
「夕食です。この通り、私の分はちゃんと用意してありますから、どうぞお気遣いなく。
それはどうぞ、ケンシロウ様がお召し上がり下さい。」
はそう答えて微笑んだが、ジャギはの食事の包みを取り上げ、開いて中を見てみた。
中身は、小さなパン1つだった。
それも、固くなって所々カビまで生えている。
水筒にしても見るからに小さく、たとえ満タンに入っていたとしても精々コップ1杯分あるかどうか
というところだった。
「・・・・・なるほど、これがお前の晩飯か。」
は依然として微笑んだままで、返事をしなかった。
今は確かに、文字通り食うに困る時代だ。
カビの生えたパン1つでも争いの種になり、コップ1杯の水の為に死ぬ者も少なくない。
だが、この村は豊富な食料と水を蓄えている。
この寒空の下、明朝まで徹夜の張り番を勤めなければならない者に、これっぽっちしか宛がわないというのは、どうにも解せない話だった。
「食え。」
ジャギは改めて、の目の前にハムを突き出した。
「いえ、ですから私は・・」
「いいから食え。俺様に逆らえば殺すと言った筈だ。」
殊更に低い声で脅すように勧めると、は戸惑いながらもようやくそれを受け取った。
「す・・・すみません、では、お言葉に甘えて頂きます・・・・・」
「ん。」
遠慮がちを通り越して、恐る恐る怯えるようにハムを一口齧るを見守りながら、
ジャギは一人で満足していた。
少々怯えさせてしまったかも知れないが、何も悪い事はしていない、むしろ優しくしてやったのだ。
優しくしてやって、そしてもその好意を素直に受け取った、その事実だけでジャギは十分満足だった。
「美味ぇか?」
「は、はい・・・・。」
「そうか。遠慮しねぇで、全部食っちまったって良いんだぜ。」
自分の隣で、自分の差し入れた物を食べているを見ているのは、良い気分だった。
を見ていると、優しくしてやりたい、甘やかしてやりたい、そんならしくもない気持ちになるのだ。
だが、らしくない自分を恥ずかしいとは思わなかった。
いじらしい娘に恋い慕われて、良い気にならない男は居ないのだから。
「しっかし寒ぃなオイ。」
強めに吹いた夜風に、ジャギは身を竦めた。
するとは、傍らに置いてあったボロボロのブランケットを差し出してきた。
「どうぞ。こんな物ですけど、良かったらお使いになって下さい。」
「おう。」
あちこち繕ってあるペラペラの薄いブランケットだが、ないよりはマシだった。
と二人で寄り添って包まれば、それなりに温かくもなるだろうし、また良い気分も味わえそうだ。
ジャギはブランケットを広げると、を呼び寄せた。
「オラ、お前もこっち来い。」
「あ、いえ、私は・・・・・」
ところがは、ジャギの誘いをまたもや断った。
ジャギは少し苛立ちながら、の手首を強引に掴んで引き寄せた。
「来いっつったら来い。俺様に逆らうなと言っただろうが。何度も同じ事を言わせんじゃねぇ。」
「す、すみません、そんなつもりじゃ・・・・!でもあの・・・・!」
「何だ?」
「あの、匂いますから、その・・・・!」
昼間と同じ事を言って、はジャギの拘束から逃れ出た。
「何だ、まだ気にしてんのか?」
「まだちゃんと取れていないと思うので、その・・・・」
何やら言い訳をしながら、はジャギから少し離れたところで冷たい夜風に当たり始めた。
ジャギが呆れながら見ていると、は恥ずかしそうにはにかんだ。
「一晩こうしていると、風で匂いが取れるんです。」
「んなクソ寒ぃ吹きっ晒しの所で一晩中突っ立ってるより、風呂に入りゃあ良いじゃねぇか。」
「お風呂はお水を沢山使うので、そうしょっちゅうは・・・・・。
一応、身体は毎日拭いているんですけど・・・・・」
「・・・・・・」
ジャギは何となく、のこの村での立場を理解した。
爪弾きとまではいかないにしても、は恐らく、あまり良くは思われていない。
何が原因でそうなっているのかは分からないが、与えられている仕事や待遇を見ている限り、
少なくとも他の村人達とは一線を引かれて冷遇されている事だけは分かる。
そしては、それを甘んじて受け入れている。
そこがジャギには理解出来なかった。
たとえどれだけ豊かな村であろうと、その恩恵を満足に受ける事が出来ないのなら
居る意味はないのに、は何故大人しくここでこき使われているのだろうか。
たとえ冷遇されていても、ねぐらがあるだけマシだと思っているのだろうか。
「・・・・、来い。」
「で、でも・・・・」
「匂わねぇから来い。んな細けぇ事いちいち気にすんな。」
出来るだけ優しい声音で呼びよせると、は躊躇いながらもジャギの元に戻って来た。
「ほ、本当ですか・・・・・?」
「ああ。全然気にならねぇから心配すんな。ほら、来い。」
ジャギは脚の間にを座らせると、二人で包まるようにブランケットを被った。