明石市総合選抜制度を考えるシンポジウム レポート その4

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3.これからの明石の高校の入学者選抜制度について

 では、最後のお題。「今後、検討委員会で考える上でこういうことは落とさないで欲しいことも含めて意見して欲しい」と横山教授。

始めに中学教師の立場から、池田氏の発言。

「単独選抜制度(以下、単選と略す)では100%近くが希望校に行っているが、中3の12月の懇談会で成績によって希望校を変えさせられる。 明石の総合選抜制度(以下、総選と略す)では8割の生徒が希望の高校に行っている。しかし2割がまわされるのは問題である」

「国公立大学の合格者数は1996年が卒業者数の10.6%で、今年も10.6%である。あまり変わっていない。しかし、超難関大学の合格者は減っている。私学に勝てない状況である。超難関大学に行く生徒は一握りだが」

「超難関大学の合格者は減っている」かあ。池田先生は総選維持派でありながらいつもポロっと本音を言うんですよね。一握りと言いますが、これを当サイトでは、最も憂慮すべき重要事項の一つとして考えています。北口市長や西村議員のような人を育てるのを私学任せにしているんじゃ明石は終わりだ。(やっさん)

 続いて、前置きがあまり長くなると怒られるということで、本題。以下、池田氏の発言が続く。

 他の地域でも総合選抜をやっているところはあるが、どんどん廃止に向かう傾向にある。しかも学力均等配分方式の総合選抜をやっているのは明石だけである。化石みないなものだと言われる。

 しかし、これを生かして(発展させて)、明石の学校を一つの高校にしてしまえばよい。各高校を明石総合高校の明石北校舎、明石南校舎と一つの高校の一校舎にすればよい。

え?何だって?(会場にどっと笑い)

 コンピューターがこれだけ発達しているのだからなんでもできる。週に1回は各校舎間の交流をやる。希望の別校舎の授業を受けることも可能とする。性に合わなくなったら希望の校舎に変われるようにする。

こ、これって…。

オッサン、パクるなあ!(笑)

 これって当サイトで熱い議論がなされた「超ド級マンモス高校案」じゃないかあ。わははは。

  いや、パクったなんて言わないでおこう。ごめんなさい。同じことを考える先生がいて嬉しい。他のシンポジストや横山教授は「そんな非現実的な」と言わんばかりに飽きれている様子。いや、池田先生、私は違いますよ。強く押す案ではないですが、総選を研究し、将来あり得る高校像として一度は考えた案。悪い考え方ではありません。(やっさん)

 池田氏曰く、中途退学者の受け入れが難しいことを解決する構想として地域総合性高校という考えあるそうです。それは知らなかった。明石はそれがやりやすいのではないかというのが池田氏の意見。

 しかしこの案は単選にするより難しい。各校舎を統率できる優れた校長が必要。また、教師の資質向上も求められる。中学は総選と同様ぬるま湯のままなので、甘ちゃんの生徒を厳しく指導しなければ大学合格実績は向上しない。生徒の希望による校舎変えを可能にすると不逞な教師が集まる高校には生徒は寄り付かなくなります。(やっさん)

「希望校に行けないというのはこれで解消されるんじゃないかなあ。1年目はこの高校で2年目から別の高校というふうに…」と池田氏

 この意見に対し、横山教授。まず高校の個性化・多様化と言うことに触れ、

 もう一方の問題として、高校の教育改革の上で高校の個性化・多様化がある。県内で多様化が最も遅れているのは明石である。かろうじて変えようとして理数コースとか英語コースというのが出来てきた。そこを希望する生徒に対しは先に入学試験をやっており、競い合って受験しているという実態があると発言。

「さきほどの説明で公家さんはその点をわざとはずしたんじゃないか?」と横山教授、公家氏を批判。何かと行政に手厳しい横山教授。

 池田氏の考えに対しては、多様化できないのではないかというのが横山教授の意見。

「先生と議論する場じゃないのであとでやりましょか?」(会場に笑い)

続いて保護者の立場から、以下、中塚氏の発言。

 努力した生徒が希望を達成できないのはおかしいと思う。成績が優秀である生徒の希望が叶うように工夫して欲しい。現行制度を一足飛びに変えてしまうでなくて、他の地域の制度を睨みながら、何か一工夫して欲しい。池田先生の意見もおもしろいなあと思って聞かせてもらったとのことです。

 続いて社会人の立場から戎氏の発言。以下要約します。

 総選は役割を終えた。次に進化していく必要がある。高校間学力格差はあるべきと考える。どこの学校でも同じなら選択する必要はない。多様な専門コースも必要。

 適度な競争原理が人を育てる。立ち直れないほどの傷でなければ、努力しなければ高校にいけないということを生徒に体験させてやるべきである。傷をつけない挫折させない制度でなく、傷ついた、挫折したということによって人の痛みがわかるものであるべき。また、挫折から立ち直る逞しさを育てることもできる。

 中学高校は人間の人生を左右する大切な時期である。腫れ物に触るような扱いをするのではなく、社会に出ていくにあたって必要される障害、壁をしっかりとを経験させてあげることが大切である。

以上が戎氏の発言。

 万能感という言葉があります。とりわけ、赤ちゃんが泣き叫び母親を完全支配下におくことを幼児的万能感と言います。 これが物心がついてくると自分より優れているものがたくさんいることがわかって来て、万能感は通用しなくなり、人間は社会性を身につけていくわけです。人と競争し、負けて挫折し、そしてそこから這い上がる、それが人間を育てるのです。(やっさん)

続いて行政の立場から公家氏の発言。

「行政の立場からよりよい制度とは何かなんて答えにくいですよね」と横山教授。

「発言を閉じるわけやないよ」(会場にどっと笑い)

 行政が言うと行政指導にみたいになってしまうので、今後どんなふうに検討していくだけ簡単に発言願いたいと横山教授。以下、公家氏の発言。

「この高校に行ってこれを学びたい」と生徒が言えるものしていかないといけないと公家氏。

 全国的な動きは、生徒の多様化にどう応えて行くかである。多様な高校、あるいは専門コースがあり、生徒が自由に選択できるものにしないといけない。また生徒が選択して自分で決めるという力を育てる必要があるとのことです。

 続いて「学校に求められているものは何だろうか」ということに関して公家氏の体験から。

 昨年、公家氏が文部科学省の教育課程課長の話を聴くことがあり、「原点の回帰」ということを言っていたそうです。「しっかり勉強して力をつけるということ」ということに尽き、なるべくシンプルに考えるべきだということだそうです。

 続いて、20数年前に公家氏が毎日新聞の教育の森を主催されていた方に会った時の話。この頃、公家氏は学校の先生をやっていたようです。

 学校の保護者面談で「うちの子供はどれくらい伸びますか?」とか「しっかり勉強してますか?」とか「たくさん宿題出して下さいね」とか勉強のことばっかり言う親と対面するのはしんどいという話をしていて、その主催者曰く、「うちの子供は明るく元気にやってますか?」と言う親は、先生に何も期待していない証拠なのだそうです。大人全てが願っている当然のことを先生に言うのは、あなたに期待するものは何もないということの裏返しだそうです。

 そんな各教育界の方の考えを聞いて公家氏も「学校に求められているものは何だろうか」ということに対し、なるべくシンプルに考えるべきだという意見を持っているそうです。

 なるほど。グローバルな人間を育てるとか、ディベートをやってどうたらこうたらとかややこしいこと考えるなってことですよね。記憶力向上に偏るのはどうかと思いますが、学力向上の一点それだけで良いと思います。(やっさん)

 その後、公家氏「明石の子供たちの学び意欲はどうなんだろうかという、そこに焦点を絞らないといけない」と発言。おっしゃる通りです。

 そう発言した後、公家氏、「出せるデータかわからないが…」と前置きをしながら、重大発言。高校の5教科の学力検査結果に関して、

残念ながら、明石は単選学区よりうんと低い。兵庫県下でもうんと低い。

 これに対し、横山教授、「出せるデータかどうかわからないとか言ってないで、そういうのを早よ、出してもらわんといかん」会場にどっと笑い

うひゃひゃひゃ。よう言うてくれた。行政という苦しい立場でよくぞ発言してくれた。感無量でやんす。(やっさん)


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