ウッドデッキ小僧の

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ウッドデッキ関係

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林業、特に伐採に関わる匠たちの伝統に関して掲載されたサイトがこの「web伝統林業民族資料室」です。近代的な道具の一切ない中での木の伐採は大変な労力を伴うものでした。現在は3人の「匠」による当時の伐採手法を掲載しています。現在でも随時bの執しており、日本の林業界の礎を担ってきた「匠」の資料をお持ちの方は、是非一度ご連絡いただきたいと思います。

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南米南部共同市場(アルゼンチン、ブラジル、チリ、ウルグアイ)の植林事情について掲載されたサイトです。FAOの「世界の森林の現状2007」に書かれている内容を中心に、南米の数カ国に地域を絞って各国の植林事情について掲載されたサイトです。ここでは森林認証制度についても触れられています。森林認証制度とは、世界的に樹木の乱伐がすすむ中で、森林を永久的に利用するために生まれたシステムで、生態系に影響しない程度において伐採された樹木には規定のマークをつける事で、消費者の選択的な購買を可能にする事で、持続可能な森林経営を支援するものです。終わりにのページでは、ユーカリの植樹が世界的に広がっている背景について掲載されている。詳細はサイトで見ていただきたいが、世界的な森林事情の改善に大きな役割を担っている事は間違いないだろう。

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和歌山県は西牟婁郡旧日置川町城川流域でのスギ・ヒノキ丸太材の生産と搬出の方法についてまとめられたサイトがこの「和歌山の杉桧丸太の生産と搬出」です。このサイトでは和田保・堀口深次両氏を取り上げ、丸太材の生産管理。出荷工程までがまとめられています。このサイトでは「丸太材を造る」「出材について」「丸太材の管流」「谷川・日置川別の管流作業」「結び」の5項目でまとめられています。それぞれの項目はさらに細分化されており、各詳細な文章は文章量こそ違えど、どれもこれも数字を巧みに利用してわかりやすい内容のページへとまとめられています。

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「今は昔…」と言えば「竹取の翁という者ありけり」と答える人は少なくないだろう。しかし私はこう答える。「今は昔…山林労働者の知識ありけり」と。古代の人々の森林伐採技術について記したサイトがこの「今は昔、山林労働者の知識」です。今ではチェーンソーなどの発明により樹木の伐採は非常に容易なものとなりましたが、昔は樹木一つ切るのにもある程度の知識と体力が必要だったのです。しかし、そんな限られた道具の中で、人々は様々な伐採技術を開発し、立派な建物を建て、豊かな生活を得てきました。「温故知新」という言葉があるように、先人たちの伐採技術から学ぼうというサイトです。各項目は文書の多い少ないはあれど、どれもこれも読んで損はなしという口重くばかりです。私のオススメは「伝統から新技術へ、」この項目は文章量も少なく非常に読みやすい内容となっているので、読もうかどうか迷っている人、どれから読んでいいのか迷っている人には是非オススメしたい項目の一つです。

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中川木材産業が運営するサイトの一つです。世界各国の国旗や国章には、木材や樹木、森林などが暗示されていたり、描かれていたりします。このサイトでは、100近い国の国旗・国章と解説が書かれています。例えば、アメリカ合衆国の国章は中央に白頭の鷲が描かれ、その足は13枚の葉、13の実がついたオリーブの枝と13本の矢をつ かんでいます。マダガスカル共和国では、国章は円形で中央にマダガスカル島の領土が描かれています。その上部には7つの旅人の木の葉と国 名が描かれています。普段、皆さんが運動会などで見かける国旗や国章の一部に木に関する事が書かれているなんて、少し不思議な感じがしますね。そういう眼で楽しめば、見方が変わって面白いかもしれません。

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「この木何の木気になる木~」。皆さん、一度は耳にした事があるのではないでしょうか。画面に映し出されたのは広い平原に堂々と佇む一本の立派な巨樹。幼い頃の私は、そのあまりに美しい姿に心を奪われたものです。ところで、あの木がどこのなんという木かはさておいて、一般的に、巨樹とは「地上から130cmの位置で幹周が300cm以上の樹木」と定義されています。しかし、世界にはその想像をはるかに超えた数多くの「巨樹」が存在する事をご存知でしょうか。このサイトでは、そんな巨樹を写真つきで紹介しています。場所はイギリス。なぜイギリスなのかはこのサイトで確認してください。ギネスブックにも登録されている巨樹を、一度ご覧になってはいかがだろうか。

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大阪造幣局がある大阪市北区天満の旧淀川沿いは、明治の始め頃から桜の名所でした。対岸沿いが「桜ノ宮」と呼ばれるように、そこには美しい桜が咲き乱れていました。これらの桜は明治の初期に藤堂藩の蔵屋敷から、多品種で、他にはない里桜が集めれられ、移植されました。明治16年の事。当時の造幣局長は「自分たちだけがこの桜を楽しむのはもったいない。市民と共にこと桜を楽しもう」と満開時の数日間限定で公開しました。以来100年以上も続いているこの通り抜けは、その人出が100万人近くにもなっています。局内の桜は117種375本、桜の種名とその説明が書かれています。他にもこのサイトには、桜をモチーフにした切手が数多く掲載されています。こうして見てみると、桜という花がいかに優しい植物であるかがわかります。