9日目(2002.12.31 Tue.)
本日のスケジュール
ウィーン市内観光
行き先マップ
今日は12月31日。大晦日である。ウィーンで年末年始を迎えるのは、実に贅沢だ。しかも、最高級ホテルで朝を迎えると、映画で見るような世界に自分もいるようで、なんとも気分のよいひと時である。
いつものようにレストランへ行くと、なんと、この旅初めての『ご飯&味噌汁』に遭遇!やはり日本人がたくさん泊まっているようで、ツアーの客らしい老夫婦、家族連れ、カップルなど、たくさんの日本人を見かけた。ここは確かにウィーンなのであるが、あちこちから「おはようございま〜す」と聞こえてくると、不思議な気分がする。この旅では、今までホテル内で日本人と遭遇することがほとんどなかったので、余計にそう思ったのかもしれない。しかし、その場でしか食べられないものを食べたかったので、パンにウィンナーにコーヒーと、今までどおりのスタイルで食事をとることにした。こちらのパンは、日本のパンとは違い、握りこぶし大の丸いパンが多い。そして、うまい!ジャムも迷うほどの種類があり、何をつけてもおいしいのはうらやましいかぎりだ。
今日はシェーンブルン宮殿へ行く日。前回のヨーロッパ一人旅でも教訓を得たのだが、『日本人がよく行く観光地へは、早朝に行くべし』である。できるだけ早くホテルを出るよう、急いで支度をして出かけた。
私たちの宿泊していたインターコンチネンタルは、地下鉄U4線のシュタットパークの隣にあり、ここからシェーンブルン宮殿へは、乗り換えなしで行けるのである。『地球の歩き方』によると、宮殿前の『シェーンブルン駅』で降りるより、一駅乗り過ごして『ヒーツィング』駅で降りる方が風情が感じられていいとのことだったので、それに従い、ヒーツィング駅で降り、庭園の方から宮殿に入ることにした。
『シェーンブルン宮殿』入口、ヒーツィング門。オーストリアの国家的な重要文化財には、ちゃんとオーストリア国旗が掛かっている。
周りには、ほとんど人気がなく、休日の朝を散歩しているような空気だ。宮殿内なので、当然車などは走っているわけもなく、冷たい空気を吸いながら、広大な公園をのんびりと歩くのも最高な時間である。
シェーンブルン庭園。奥に見えるのがシェーンブルン宮殿。生け垣が壁のように並んでいる。
庭園を歩いていくと、シェーンブルン宮殿にたどり着く。
ここは、その昔、ハプスブルク家の栄華を極めた宮殿で、女帝マリア・テレジア、フランスへ嫁いだマリー・アントワネットなどが暮らしていた宮殿である。
『シェーンブルン宮殿』。ウィーンの人は、旅人に「シェーンブルン宮殿とシュテファン寺院を見なければウィーンへ来たとは言わない」と言うらしい。ウィーンっ子の誇りなのだ。 |
正面に回ると、人でごった返していた。日本人のツアーはあまりいなかったが、英語のツアーが辺り一帯を占めており、もう少し早く行動するべきだったと後悔するのであった。
正面から見たシェーンブルン宮殿。ドイツでもそうであったが、前にはもみの木らしき大きな木を中心とした広場があり、その周りにはクリスマス市があったであろう小屋が並んでいた。 |
チケットを買おうと思うと、カードはダメだと言われた。今までヨーロッパを旅してきて、トラベラーズチェックを嫌がるところは、こちらもイヤというほど出会ったが、カードもダメと言われたところは初めてだ。しぶしぶ、あまり持っていなかった手持ちの現金を出して中へ入ることができた。ちなみに、宮殿内は、写真撮影禁止である。
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本当はいけないことだが、パンフレットの写真を借用して、大ギャラリーの様子をお見せしよう。ということは、縦の線は、当然ページの間なのである。 天井画も1760年に製作されたもので、とても美しい。ハプスブルク家の栄華の象徴ともいえる空間だろう。 |
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パンフレットの写真その2。『鏡の間』。鏡の間といえば、パリのベルサイユ宮殿が有名だが、こちらの鏡の間も見事である。 ここは、1762年、モーツァルトが御前演奏を行った部屋だという。数百年前、歴史上の人物がここにいたかと思うと、ロマンを掻き立てられる思いだ。 |
人の動く隙間もないような空間で、英語のガイドツアーの後ろにくっついて聞き耳を立てながら説明を聞き、せわしない宮殿の見学を終えると、庭園に向かった。庭園は、無料で入ることができ、散歩やジョギングに来ているウィーンっ子も多いようだ。
庭園の芝生には、リスも住んでいる。写真に収めようとして、たくさん撮ってみたが、結局ピントが合わなかった・・・ |
シェーンブルン庭園。手前には『ネプチューンの噴水』、奥に見えるのが『グロリエッテ』である。私は、よく「写真撮ってくださ〜い」と声をかけられるのだが、ここでも、外国人4人組(国籍はわかんないが)に「写真撮ってくださ〜い」と声をかけられた。 そんなにいい人そうに見えるのだろうか?(笑) |
庭園から見たシェーンブルン宮殿。緑の芝生に黄色い宮殿がとてもよく美しく映えていた。 青い空があれば最高なんだろう。 |
さて、まだまだすることはたくさんあるので、庭園の奥の方(グロリエッテ)までは行かず、シェーンブルン駅から地下鉄に乗ってウィーン中心部へ帰ることにした。
正面から見たシェーンブルン宮殿。写真に収まっているのは、ごく一部で、実際はとてつもなく横に長いのである。実際に行ってみないと、その魅力はわからないだろう。 |
シェーンブルン駅から、U4線の地下鉄に乗り、途中、カールスプラッツ駅でU1線に乗り換え、シュテファンスプラッツ駅で降りると、そこには、ウィーンのシンボル『シュテファン寺院』がある。
天を突くような尖塔には圧倒される。この塔は、高さが137mあり、寺院の塔では、世界3番目の高さを誇るらしい。また、この寺院の地下には、ハプスブルク家の人々の心臓以外の内臓が保存されているらしい。中には入ったが、例によって、純真なるキリスト教徒が祈りをささげているため、観光客丸出しの行動はとらず、あまり長居はせずに尖塔に上がることにした。
『シュテファン寺院』。「ウィーンの象徴」とか「ウィーンの魂」とか言われるらしい。
エレベーターで尖塔の上に上ることもできるため、高いところからウィーンの街を眺めることにした。ちなみに、この寺院には、北の塔と南の塔があり、エレベーターで上れるのは、北の塔。南の塔へは、343段のらせん階段を上らなければならない。
尖塔(北の塔)の上からのウィーン市街の眺め。ドイツやイタリアのように、同じような屋根が並んでいるわけではないが、街としてはきれいだと感じた。 しかし、高いところで、しかも風が吹き抜けるので、とてつもなく寒かった。 |
北の塔の鐘。『プリムメン(大きな鐘)』と呼ばれるこの鐘は、1683年、トルコ軍が敗退した時に置き去りにされた大砲などを溶かして作られたそうである。 第2次世界大戦では、この鐘が落ちたそうだ。 |
シュテファン寺院を後にし、1分ほど歩くと、すぐ『フィガロハウス』に着く。
『フィガロハウス』。モーツァルトが1784年から87年までを過ごした家で、生涯で最も幸福な期間を過ごした家といわれている。 ここで、オペラ『フィガロの結婚』が作曲された。 中は記念館のようになっていて、多くの直筆の楽譜が展示されている。 クラシック好きの方は、ぜひ行く価値のあるところだ。 |
フィガロハウスを出て、3時近くになってきたので、国立オペラ座へ向かうことにした。なぜかと言うと、昨日オペラ座に立ち寄った時に、ガイドツアーがあるのをチェックしていて、それは大晦日でもあることを聞いていたからだ。
毎年必ず大晦日には、ヨハンシュトラウスのオペラ『こうもり』が講演されるのだが、それは予約が取れなかったので、せっかくウィーンにいるのだから雰囲気だけでもと思い、国立オペラ座に入ってみることにしたのである。
シュテファン寺院から国立オペラ座までの『ケルントナー通り』。オーストリアは、年末に豚の人形を買って贈ると、幸せがやってくるという言い伝えがあると、ザルツカンマーグートで聞いた。この通りの露店でも、いたるところで豚の置き物が売られていた。 寒いこともあり、ホットワインも売っている店が多かった。 |
ちょうど3時に国立オペラ座へ到着。ガイドツアーに乗って、中へ入ってみた。ここは、今では知らない人のいない小澤征爾が総監督を勤める、世界最高峰のオペラ座である。
ここは、リンク(環状道路)の中で最初に完成した建物で、このオペラ座を基点にぐるりとリンクが回っている。『ヨーロッパ三大オペラ劇場』の一つで、すばらしく華麗な空間だ。1869年、モーツァルトの『ドン・ジョバンニ』でこけら落しがなされた。
『国立オペラ座』客席。上流階級のドレスアップした貴人達が、そこにいるような気がする空間だ。 |
舞台。この日は、上にも書いたように、ヨハンシュトラウスの『こうもり』が講演されるので、その舞台セット作りの最中だった。いつか、この場でオペラ鑑賞をしたいものである。 |
ロビー近くの天井。どこかの宮殿を思わせるようなたたずまいは、貴賓を招くにふさわしいロビーである。日本には考えられないような文化が、そこには存在するのである。 |
待合室にある、モーツァルトの胸像。ベートーベン、シューベルトなど、小さい頃音楽室の壁に掛かっている肖像画でお目にかかったことのある、名だたる巨匠の胸像が来る人を出迎える。 |
入り口の階段。オペラを見にきたら、ここから入っていくのだろう。いつか、またここに来たいと思うのであった。 |
国立オペラ座を堪能し、ホテルへ帰る途中、買い物をしたかったので、ちょっと気になっていたショッピングモール『リンクシュトラーセン・ガレリエン』へ寄った。ここには、木のおもちゃの専門店があり、木のおもちゃ好きの私たちは、前の日にくぎ付けになっていたのである。そこで、かばんに入る限界だろうと思われるほどの木のおもちゃを購入した。かなり満足であった。
『リンクシュトラーセン・ガレリエン』。ホテルANAグランドの隣にあるわりには、日本人の姿は見なかった。この旅では、買い物をするようなところでも、ほとんど日本人に会うことがなかった。不思議なもんである。 |
この旅最後のイベント、『大晦日にウィーンでベートーベンの第九を聴く』の目的を達成するため、ホテルへ帰り、ケーキとコーヒーでお茶しながらロビーでくつろいだ。ホテルのロビーでは、ホテルマンが鼻歌を歌いながら、ニューイヤーの飾り付けをしていた。オーストリアでは、パンチで打ち抜いたような小さな丸い色のついた紙をそこらへんにばら撒き、クラッカーから出てくるような細い紙テープの超長いものをいたるところに引っ掛けるようだ。(かなりわかりにくい表現になってる?)
ちょっと腹ごしらえが済んだところで、ドレスアップをしに部屋へ戻った。私は結婚式の披露宴のために作ったロングタキシードに蝶ネクタイ、妻は同じく結婚披露宴の色直しのためにオリジナルで製作したカラードレス(ちなみに、デザインは私。)に着替え、ホテルの隣にある『コンツェルトハウス』に向かった。
本日のチケット。コンツェルトハウスのグロッサーザール(大ホール)での、ウィーン交響楽団のジルベスターコンサート、『ベートーベン 交響曲 第九』。7列目10番の席。1等席なのだ。 |
外は凍える寒さで、肩がおもいっきり出ているドレスの妻には、かなり堪える寒さだったようだ。会場に入ると、女性でそこまで派手にドレスアップしている人は少なく、周りからかなり注目の的になった。中には、おばちゃんが寄って来て、なにやら「すてきね〜」というようなことを言ってくることもあった。
しかし、結婚式の次の日に新婚旅行に出発し、ウィーンで年末を過ごし、ウィーン交響楽団の大晦日コンサートのしかも7列目の席で、結婚披露宴のドレスでベートーベンの第九を聴くことは、絶対に一生に一度と断言できるため、そのくらいの注目を浴びることぐらい、なんの抵抗もなかった。
本当は、会場内は写真撮影は禁止されているが、公演前にて、ノンフラッシュで失礼した。 『コンツェルトハウス舞台』。すぐ近くの位置にオーケストラが陣取り、その後ろの一段高い場所に、コーラスの場所がある。 このホールは、1800人収容らしい。 |
上を見ると、どでかいシャンデリアが2つある。気になったので、ついでに写真に撮ってみた。 |
そして、ぐるっと後ろを見ると、3階席まであった。男性はタキシードだらけであった。私もタキシードを着ていたため、その場に溶け込んだ気分に浸ることができた。 |
パンフレットの表紙。
ホールでは、きらびやかな衣装を着た係員が、その日の公演のパンフレットを売っている。
かなり無愛想で、声をかけにくかったが、一部買ってみた。
表紙を飾っている写真は、大ホールである。
中は全てドイツ語で書かれており、英語は1文字たりとも書かれていないため、それぞれのプロフィールなどは、文脈を想像しながら読むしか術がなかった・・・
プログラムの内容は、
日時:2002/12/31 19:00〜
演目:ジルベスターコンサート
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン
「交響曲第九 第1〜第4楽章」
於:グロッサーザール
ウィーン交響楽団
指揮:ミハエル・ボーダー
ソプラノ:ヒレヴィ・マルティンペルト
アルト:メッテ・エイスィング
テノール:ロベルト・ガンビル
バス:ペーター・ローズ
公演は、なんと表現してよいかわからない。オーケストラが、これほどの迫力で、心に響くものだということを感じた。本当に、すごいの一言。特に、第4楽章は、鳥肌が立ちっぱなしだった。演奏が終わっても、30分近く拍手が止むことはなかったことからも、すばらしい公演だったことがわかるだろう。
生涯に経験したことのある中で、最高のひと時を過ごした。
ホテルへ帰り、ヨーロッパ最後のデイナーを楽しんだ。22時近くになっていたので、外を歩くよりは、ホテルの中で食事を取ろうと思い、ホテルのレストランへ行ったのだが、年越し特別ディナーしかないがいいかとのことだったので、ちょっと奮発して特別メニューで豪華ディナーにした。ちなみに、日本円で1人約2万5千円なり。ちょっと奮発しすぎ?でも、最高においしかった。
部屋に戻ると、もう年が明けそうになっていた。窓のカーテンを開けると、花火が上がっていた。右手手前にひときわ窓の明るい建物があるが、それは、さっきコンサートを楽しんだ「コンツェルトハウス」である。
行く年来る年を見て、みかんを食べながら初詣に出かけるのも、私の中では『いい正月の迎え方』なのだが、こういう新年の迎え方も、一生の思い出になったことは言うまでもない。
明日は、朝早くヨーロッパを離れる。帰国するのが惜しい気がするが、最後に素敵な思い出ができ、最高の旅になった。
さよなら、2002年最後のウィーンの夜。そして、新年あけましておめでとうございます。
10日目へつづく・・・