8日目(2002.12.30 Mon.)


 本日のスケジュール
ザルツブルク               ウィーン西駅
    9:10 (IC547 TRAFIKNET)
12:30


行き先マップ


 今日は12月30日。8日目である。ザルツブルクに3泊もしていたので、『ホテルルネッサンス』が居心地よくなっていて、最終目的地へ出発するという感じがしなかった。しかし、今日はウィーンまで行かなければならないのである。

 いつものように、8時前に朝食をとりにレストランへ行き、バイキングの朝食をいつものようにモリモリ食べた。「昼頃にウィーンへ到着したらいいかな」と思っていたので、昨日ザルツカンマーグート方面に向かったウィーン行きの列車に乗ることにした。

 ホテルをチェックアウトし、歩いてザルツブルク中央駅へ。

ザルツブルク中央駅。オーストリアらしい石造りのシンプルなデザインの駅である。
今日もザルツブルクは小雨・・・朝なので人気はまばらだった。

 ホームまで行くと、ウィーンへ向かう人がたくさんいた。
  
IC547トラフィックネット。昨日乗ったのと同じ列車だ。昨日は2等の切符を買って乗ったが、今日のは日本で1等の予約を入れていたので、ちょっとリッチな旅なのである。
 
1等の車内もコンパートメントになっている。シートは昨日の日記を見てもらえばわかるが、明らかに上質だ。すわり心地も抜群であった。
コンパートは結構人で埋まっていたが、運良く数ヶ所開いていたので、2人で1室使うことができた。
 9:10、ウィーンへ向け出発!最後の列車での移動だ。『世界の車窓から』の風景を楽しもう。

オーストリア中部の町並み。鉄道の両側は牧草地らしき草原がず〜〜っと続いており、ちょっと離れたところに点々と町がある。ドイツのように統制の取れたかわいい町並みではなく、北海道の小さな町のような雰囲気だと思う。
 車内には車内販売のお兄さんがいて、やたらといろんなものを勧めてくる。でも、何もかもうまそうなのだ。多分、そのお兄さんには「カモ」と思われただろう。いっぱい買ってしまった。
誘惑に負けたもの「その1」。オーストリアワイン。
ザルツブルクにいたときから、オーストリアワインのおいしさには十分ハマッていた。サラリとしたのどごしのいいワインなのである。朝だというのに、2人とも1本ずつ空けてしまった。
 
誘惑に負けたもの「その2」。サンドイッチ。朝ご飯をモリモリ食べ、昼にはウィーンに着くというのに、サンドイッチも食べてしまった。こっちのサンドイッチは本当においしそうに見えるのはなんでだろ〜?
 その他にも、500mLのジュースを2、3本買い、それも全部飲んだ。というのも、すごく空気が乾燥していて、ザルツブルクに着いてから喉を痛めていたのである。普通に呼吸していても喉に激痛が走り、常になにかを飲んで喉を潤さなければ痛かったのである。
『最後尾の車窓から』。
広い平らな大地に点々としている都市を結ぶ鉄道。高いビルがないので、本当に遠くまで見渡すことができる。狭い土地にせかせかと生活している日本人にはなかなかお目にかかれない風景だ。
 
 
リンツの近く。ただ地平線まで畑が広がっている。オーストリアの雲はすごく低いところに浮かんでいる。オーストリアは標高が高いのだろうか。
  
 
ウィーンの近く。町が近くになってきて、首都が近いことを感じさせる。
  12:30、私たちの列車はウィーン西駅に滑り込んだ。ウィーン西駅は、西側から来る鉄道の終着駅なのだ。近代的なホームは行き止まりになっていて、首都に向かう人たちを運び終えた先頭車は誇らしげに見えた。
ウィーン西駅に到着。ドイツロマンチック街道からここまで、長い列車の旅の終点である。ローカル線にもたくさん乗り、楽しい旅だった。今までほとんど毎日鉄道に乗って移動していたので、ちょっと名残惜しかった。
 ウィーン西駅から地下鉄を乗り継いでシュタットパーク駅へ。駅を出ると、すぐにホテルが見えた。この旅行最後の宿は、『インターコンチネンタル』、5つ星ホテルである。
 ホテルに入ると、すかさずボーイがやってきて、この旅で驚異的に重くなったスーツケースを持ってくれた。日本語がわかるスタッフがいると聞いていたが、そんな世の中甘いもんではなく、チェックインもちゃんと頑張って英語を話さねばならないのである。
インターコンチネンタルの室内。やはり5つ星らしく、すごく上品な雰囲気である。今回の旅では、歴史的な情緒を感じるホテルも多かったが、インターコンチネンタルは近代的なホテルだった。
 
違う角度から見た室内。落ち着いた雰囲気がとても好印象だ。
 明日、大晦日の夜は、結婚式の時に着たロングタキシードと赤いドレスを着て、コンツェルトハウスで『ベートーベン交響曲第9番』を聞く予定なので、それらをスーツケースから出してクリーニングを頼まなければならなかった。海外で英語を使って電話をかけるのは初めての経験だったので、すごく緊張した。相手の顔が見えないのは、本当に不安である。口の動きがわからないし、ジェスチャーも通じないので、聞こえてくる音だけで判断できるか心配で、自分の英語がちゃんとわかってもらえるかも心配の種だった。
 オーストリアに来てから、英語が通じなかったり、ドイツ語ばっかり話してくるおやじにつかまったりと、言葉の問題でちょっと不安を覚えていただけに緊張の一瞬であった。しかし、電話に出てくれた人の英語がとても聞きやすく、難なく依頼終了。

ホテルに着いたのが昼過ぎだったので、ウィーンの街を散策することにした。

 ウィーンの街は、『リンク』と呼ばれる環状の地域に見所が集約されている。リンクは、路面電車でも20分ぐらいで回れるので、路面電車の車窓から風景を楽しむというのもお勧めらしい。しかし、ウィーンは1日半しか予定を組んでいなかったので、近くを徒歩で散策することにした。

 まずは、ホテルの目の前の『市立公園(シュタットパーク)』へ向かった。

 市立公園には、数々の像がある。やはりウィーンは『音楽の都』であるから、音楽家の像が特に多く、クラシックにあまり詳しいわけでもない人でも、名前は知っているというような人にお目にかかれるのである。

ガイドブックに必ず載っている『ヨハン・シュトラウス像』。ウィーンっ子の誇りで、『ワルツ王』とも呼ばれている。1人だけ金色の像であることからも、いかにウィーンでは英雄なのかがわかるだろう。
 
『シューベルト像』。音楽の授業で必ず習う音楽家の一人だろう。私も中学の音楽の授業で『魔王』は鑑賞したことがある。交響曲第7番『未完成』も、名前ぐらい聞いたことのある人も多いのではないだろうか。


『ベートーベン像』。泣く子も黙るベートーベンである。明日の夜は、『交響曲第9番』を聞きに行くのだ。毎年必ず大晦日に世界各国で演奏されるということは、実に偉大である。
 
 市立公園を出て、リンクに沿って『国立オペラ座』方面へ歩いた。
リンクを歩きながら、宿泊しているホテル『インターコンチネンタル』を写真に収めてみた。
 
ホテルを横目にてくてくと歩くと、『コンツェルトハウス』が出てくる。ここは、明日コンサートを聞きに行くホールで、ウィーン交響楽団の本拠地である。ウィーンといえば、『ウィーンフィルハーモニー』があまりにも有名だが、ウィーン交響楽団は、ウィーンフィルと並んでウィーン2大コンサート組織と呼ばれ、ウィーンを代表する楽団なのである。
 そのままオペラ座方面へ歩くと、『楽友協会』にたどり着く。
『楽友協会』。ここがウィーンフィルの本拠地。ここはニューイヤーコンサートがあまりに有名だが、1年前に予約を入れようと思っても、なかなか取れないらしい。ここでも一度世界最高峰の音楽を聞いてみたいもんである。
 さらにてくてく歩くと、『国立オペラ座』に到着する。といっても、この間15分ほどであるから、ウィーンの市街というのは、あまり大きくないのである。
『国立オペラ座』。ここもあまりに有名であるが、一気に日本に名を広めたのは、なんといっても小澤征爾総監督だろう。ここは、リンクの中でも最初に完成した建物で1869年にモーツァルトの『ドン・ジョバンニ』でこけら落しが行われた。ヨーロッパの三大オペラ劇場にも名を連ねている荘厳な風格が訪れる私たちを圧倒させる。
 オペラ座は明日にまた来ることにして、そのままオペラ座の裏にある『ホテルザッハー』へ向かった。目的は1つ、ザルツブルクで買い損ねたおみやげ用のザッハートルテを買うことにあった。やはり、ザッハーの本店で買うことに意味があるのである。
ワインレッドの旗が垂れ下がっているのが『ホテルザッハー』。世界で最も有名なチョコケーキ『ザッハートルテ』の発祥の地である。おみやげを買うだけだったのだが、すごい行列だった。日本でいうところの、正月の『初売り福袋争奪戦』なみのバトルが狭い空間で繰り広げられていたが、なんとか予定していた分はゲットすることができた。
 ザッハーでもみくちゃにされた後、『王宮』へ向かった。ここもオペラ座のすぐ近くで、ザッハーからも5分と経たずに着くことができた。
『王宮』。ハプスブルク家が650年もの間住まいとしていた宮殿である。写真の中央には『オイゲン公騎馬像』が雄々しく鎮座している。
すでに夕方になりかかっており、中をゆっくりと見る時間もなかったので、新王宮だけ中に入ってみた。中も巨大な柱が重厚な雰囲気を醸し出していた。
 夜は、この旅で唯一のツアー『ウィーンナイトツアー』に参加した。夜はなかなか出歩くこともないし、『地球の歩き方』のツアーデスクが入れていてくれたので、キャンセルせずに参加することにしていたのである。

 ツアーの内容は、バスで車窓からウィーンの夜景見学(オペラ座−国会議事堂−市庁舎−ウィーン大学−ヴォティーフ教会)、ホイリゲで自家製ワインを飲みながら夕食、宮殿コンサートという流れで、日本人のガイドがついていた。

 私たちのホテルから地下鉄で3駅目のピルグラムガッセ駅で降りると、集合場所の『ホテルアナナス』にすぐ着くことができた。8名ほどの少人数にもかかわらず、バスは観光バス級の大きさで、少し寂しかった。

 バスから見るウィーンの夜景は、とてもきれいだった。歴史的な建物は、ほとんどきれいにライトアップされており、ネオンの光もないきれいな夜空に石造りの重厚な建物が浮び上がっていた。

 夜の観光を終え、バスは『ウィーンの森』へ。ウィーンの森は、ウィーンの北部に位置し、市街地の3倍もの広さを持つ。ベートーベンが『田園』を作曲した頃の家があり、「あ〜こういう静かな雰囲気の中で名曲が生まれたんだな〜」としみじみ感じるところである。

 ウィーンの森の基点は、グリンツィングというホイリゲ街で、夜になるとにぎやかになるらしい。
 ここで、『ホイリゲ』について語っておこう。オーストリアは、隠れたワイン王国で、国内で95%のワインが消費されるため、輸入で日本へ入ってくることはほとんどない。だから、日本人はオーストリアと聞いてワインのイメージを持たないが、ワインばかり飲んでいる国民なのである。ちなみに、オーストリアワインは95%が
白ワインだそうだ。で、『ホイリゲ』は、その年にとれたワインの新酒を振舞う店なのである。言ってみれば、ドイツで言う『ブロイハウス』(自家製ビールの店)のオーストリア版みたいな感じである。
ホイリゲ『バッハヘンゲル』。白ワインがとてもおいしかった。ホイリゲのワインは、やや辛口であっさりしていて飲みやすいワインが多いらしい。オーストリアに来て、毎日ワインを飲んでいるが、どれもすっきりしていておいしいのである。食事をしていると、アコーディオンとギターのデュオがやってきて、クラシックを聞かせるのである。それまでもがとても上手いのは、ウィーンの人の耳が肥えているせいもあるのだろう。
 
ホイリゲの軒先には、「新酒あります」の目印である松の葉束がぶら下げてある。この目印を見て、ウィーンっ子は、ウィーンの森の散歩の帰りにのどを潤しに立ち寄るらしい。
 食事を終え、このミニツアーのクライマックス、『宮殿コンサート』へ。ウィーンでは、こういったあまり肩肘張らないクラシックコンサートも盛んで、街を歩いているといろんな人に「コンサートいかがですか、今日明日やってるよ」と声をかけられる。そんなにきちんとしたコンサートではないので、客もラフな格好からドレスアップした人までいろいろだった。
『宮殿コンサートの室内』。弦楽四重奏から始まり、途中オペラやミュージカルなども組み合わさっていた。宮殿をこのように活用しているのは、ヨーロッパならではだろう。
 
宮殿内部。コンサートは第一幕で帰ることになったので、あまり人のいない宮殿内部を写真に撮ってみた。オーストリアの宮殿は、ザルツブルクでもそうであったが、白を基調とした作りで、シンプルな中にも繊細な彫刻が施されている。とてもきれいだ。こんなところでカジュアルなコンサートをしているとは、なんとも贅沢だ。
 コンサートを堪能し、ホテルアナナスへ。ここで解散し、ホテルへ帰ることにした。年末だからどこか店が開いているのではないかと少しウロウロしたが、ショーウィンドウが明るいだけでまったくどこも開いていなかった。
ピルグラムガッセ駅のホームに貼ってあったポスター。『ウィンナーコンツェルトハウス』という文字と『ベートーベンNo.9』の文字が見えた。明日の夜はコンサートで今年の締めくくりである。楽しみだ。

同じく、ピルグラムガッセ駅ホーム。ほとんど人のいないがらんとした空間だった。同じツアーでナイトツアーを回ったカップルがいたが、その人たちは結婚10周年記念旅行だった。10年経っても恋愛しているって、とてもステキだな〜と思ってしまった。
 ホテルへ戻ると、昼に頼んでいたタキシードとドレスのクリーニングが仕上がってハンガーに掛けてあった。長い1日を堪能した疲れを癒し、最後の1日を楽しみたい。明日はシェーンブルン宮殿にも行ってみる予定だ。

 9日目へつづく・・・
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