特産物

若狭塗り

400年ほど前、小浜の豪商が国外から入手した漆塗盆を藩主、酒井忠勝公に献上。これを城下の漆塗り御用職人が模して製作したのが始まりとされている。その後、門人が海辺の貝殻と白砂を表現した磯草塗りを考案し、卵殻金銀箔塗押の技法を完成し、若狭塗りと命名した。
後に多くの優美な意匠が生まれ、日常生活にのぼる箸から家具調度品に至るまで、幅広い分野で珍重され、最盛期をむかえた。卵や貝の殻を埋め込んだり、松葉や菜種を用いる起こし模様付けの後、黄・赤・青と色漆を数十回塗り重ねて合塗りとする。この技法により、若狭漆器独特の美しい色合いが得られる。その後、石砥ぎ、墨砥ぎを行い、丁寧に磨き上げてつやを出す。
大下漆器店へ

若狭塗り箸

若狭塗りの技法を応用して作られた若狭塗り箸は、全国の箸生産量の9割近くを占めており、小浜の代表的な地場産業となっている。
若狭箸は、およそ16工程を経て製品として仕上がる。原木(竹)、野積、荒切り、小割り、仕上げ削り、塗り下地、模様付け、角取り、空研ぎ、合塗り、箔置き、箔押え、角押え、塗り込み、石研ぎ、艶塗り、炭研ぎ、磨き、以上の工程が基本。
最近では漆が化学塗料に変わり、工程も自動化されて大量生産が可能となっており、モダンなタイプの箸も数多く生産されている。

若狭めのう

8世紀初頭、若狭彦・姫神社建立にあたって、鰐族(漢民族)が神宝を作って祭祀し、その後、玉造りを生業としたのが起源とされている。その後、原石を加熱すると優美な色が出ることを発見、独創的な火窯を考案した。
美しい色を出すための独特の技法で原石めのうを焼き、「荒欠き」でおおまかに形どり、「小欠き」で細部まで欠き込む。その後、平ゴマ、切りゴマなどを使い分けて丁寧に磨き上げると、若狭めのうの鮮明な色彩が生まれる。明治にはいって工芸品の彫刻方法が考案され販路も拡大した。現在では、美術工芸品から装身具まで多種多様な作品が生み出されている。尚、荒欠きは、レーザーは使用せず、刃のないノコギリを使っておよそ一週間かけて切断する。
原石素材は、明治中期から枯渇し主に北海道産を使用していたが、現在はブラジルなど南米から100%を輸入している。

若狭和紙

若狭和紙の歴史は古く、「若狭国志」によると延喜(901〜922年)の頃、既に紙が製造されていた。強い紙質が特徴で、かつては絹布類の包紙として愛用され、和傘、障子紙、研磨紙、襖紙などを生産。現在は美工紙も手がけ、和紙人形などの材料として好評を得ている。

若狭パール

昭和26年小浜湾のカキ養殖筏に、アコヤ貝の稚貝が大量に付着しているのを発見。これを機に企業化、現在に至っている。真珠層の巻き上がり、色淡がよく、珠の硬いのが特徴。


鯛の浜焼き

“鱗をとらずに、串をさしてそのまま焼き上げる。”結婚式や、おめでたい祝いの席にはつきもののメニューで、蒸してやわらかくしてから醤油や酢醤油をかけて食べる。
鯛ではないが、類似するものとして「ぐじ」(「甘鯛」のことで、これは‘甘鯛科’)がある。ぐじは身が柔らかいがために、鱗をとらずにそのまま焼く。簡単な箸の操作で身が分離してしまうため、傷病者や子供にはうってつけの焼き魚料理とされた。所変われば品変わるの喩えの典型例で「ぐじ」は京では高級料理とされた。

小鯛の笹漬け

新鮮な小鯛を三枚おろしに調理。骨抜きしたものを塩と米酢で味付けして仕上げる。これを、樽に10匹ほどぎっしり詰め込み、本物の笹を入れて風味を出し、保存効果を高める。樽は秋田杉で作ったもので、鉄分が少なく、色が鮮やか。
専門店(その味は各店で少しづつ異なる)も多く、全国各地に出荷され、グルメに好評を得ている。
小鯛の笹漬けを縦方向に切り身を入れて作った寿司を、「小鯛の雀寿司」という。その姿が雀に似ていることから名付けられたという。

鯛の若狭煮

背ビレから包丁を入れ、骨を抜いて“尾を頭の方へ折り曲げて煮る”のが特徴。鯛の煮込みダシが加わるため、薄味で仕上げる。

鯛の味噌焼

“腹部に味噌を入れて焼く”のが特徴。特に、落花生を加えた皇室御用達風味の味噌を使うと、焼きあがりがたいへん香ばしくなり、淡白な鯛の味と味噌の味がうまく調和して、最高の焼き魚料理になる。

若狭ガレイ

暖流と寒流が入り込む若狭湾。そこで獲れたカレイの味はまた格別で、底引き網漁解禁とともに市場に出まわり、産卵が終わる2月半ばまで続けられる。柳や笹の葉に似ていることからヤナギムシガレイ、ササガレイなどとも呼ばれるが、アマガレイが一般的。これを5〜6匹、尾の付け根を串刺しにして30匹ほどをまとめて荒縄でつるし、半日ほど天日干しにすると透明になり、うっすらと骨や卵が見えるようになる。生乾きで柔らかいのが美味。
若狭ガレイは古くから有名で、安藤広重は諸国名所百景のなかに、かれい干しの風景を残している。

鯖の浜焼き

俗称「焼きサバ」。夏場、いたみ易いサバを保存するために考え出されたのが、鯖の浜焼きである。鯖を開いて串にさして焼きあげる。昭和30年代をさかいに漁獲高は減少の一途をたどり、現在は、その大半がノルウェー海でとれたもの。獲れたての新鮮な鯖は脂分や水分が多く、焼いている途中で身がはじけてしまう傾向がある。このため、焼き加減には高度なテクニックを要するが、一度冷凍されたものは水分が抜けるため焼きかたは比較的容易になる。
祇園祭りでは、赤飯(「おこわ」ともいう。)と一緒に必ず食卓に上るほどの重要なメニューとなっている。火を通して、生姜醤油をかけて食べる。

鯖寿司

字のごとく、酢じめした鯖に昆布を乗せた寿司であるが「バッテラ」とはその生い立ちや外見が異なる。バッテラは明治後期に「鮗」“このしろ”を使って作った寿司が始まりで、その形状が似ていることから「ボート」を意味するポルトガル語をあてたもの。漁獲量の減少に伴い「鯖」で代替するようになった。鯖寿司のネタは厚さが 1.5cm 近くはあるが、バッテラは本来の形状を維持するために、その3分の一程度しかない。
古来、若狭の鯖は有名で、鯖といえば若狭産の鯖といわれていた。現在はその漁獲高は著しく落ち、大振りの鯖にはなかなかお目にかかることはないものの、鯖寿司といえばやはり、ここ小浜であろう。

ワカメ

若狭地方はワカメの産地で、初夏の日差しの中、天然ワカメの天日干しが行われる。つるして干した後、むしろに並べてパリパリになるまでじっくりと干しあげるため、早くても2日はかかる。弱火で、色が変わらず焦げない程度に焼き、粉々にしてから、ご飯にふりかけて食べると、格別にうまい。煮込みは禁物である。

馴れずし

内外海“うちとみ”地区には、古代ずしともいわれる「馴れずし(馴れ鯖)」を作る風習が今でも残っており、各地のすしのルーツとされている。若狭名物「へしこ」は、鯖を背抜きにして塩とヌカを混ぜ、重石をして1年ほど漬け込んだもの。この鯖の「へしこ」を水洗いし、丸一日水に入れて塩出しをする。そして皮を剥ぎ、腹を開いて、ご飯とこうじを混ぜ合わせて詰め込む。これを桶の中で漬け込んだのが「馴れずし」である。年の瀬の伝承料理であり、こうじの量がポイント。内外海地区の正月に「馴れずし」は欠かせないものになっている。

若狭ふぐ

昔から若狭湾ではふぐが多く漁れていたが、春先から夏場にかけては毒がきつく味も落ちるため珍重されるものではなかった。それを高浜町の故・今井五作氏が生簀の中で蓄養し、2年かけて昭和31年(1956年)、国内では初めて養殖に成功したのを機に若狭湾一帯に広まった。( 今井五作氏はこの功績により「勲六等旭日賞」を受賞されている。)
特に、寒暖流が複雑にいりくむ若狭湾のふぐは、身がしまっているために美味で、これを全国的にアピールしようと平成10年9月26日、小浜市は「とらふぐ王国」の開国を宣言。市内のほとんどの宿泊施設でとらふぐ料理を味わうことができる態勢を整えた。またとらふぐは魚屋だけでなく、スーパーマーケットでも入手できる。変ったところでは、しろさばふぐやくろさばふぐを使ったふぐの「へしこ」があるが、市販には至っていない。


クズ饅頭

初夏の味覚。上中町、熊川産のクズとこしアンが材料。練って透明になったクズを杯に入れてアンを包み、水槽に入れて冷やす。店頭では流水槽の中に並べられる。水の中にアンが透けて見えるため、まんじゅうが並ぶさまは涼感たっぷり。

でっち羊羹

控えめで上品な甘味、“舌の上でとろける”ことが身上の水羊羹。水羊羹といえば夏の和菓子の代名詞だが、でっち羊羹は冬の和菓子である。長さ10cmくらいの直方体で、小豆、寒天、黒砂糖を煮詰め、そのまま置いておくと自然に固まったことから生み出された。
いわゆる水羊羹に比べると煮詰めが足りず、羊羹としては「半人前」という意味で「でっち」と名付けられたという説が多い。


茶碗蒸し

ほんとにそうなの?といわれそうだが、小浜にこられた方から、食堂や宿泊先では必ず茶碗蒸しが食卓に上り、ひょっとすると小浜の名物なのではないか?と思われたとのEメールをいただいた。
これは?だが、そういわれれば思い当たるフシもある。ここ小浜では食卓に必ず茶碗蒸しが上ることにすれば、小浜=茶碗蒸し、となって全国的に有名になる可能性もある。
名物の起源とは意外にも、皆でそのようにしてしまった結果なのかもしれない。